明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



三本足のガマとガマ仙人を作ることにしてしまって以来、ようやくガマ仙人にたどり着いたのだ。という気分になっている。今でこそ半径数百メートルから出ず、運動不足をものともしない有り様だが、これでもかつては多動症を疑われ、もしくは一歩手前の子供であった。それでも本か、鉛筆、クレヨン、あるいは粘土を与えておけば何時間でも大人しくしている、といわれていた。その頃すでに脳内に涌き出るある種の快感物質にとり憑かれていたのだろう。結局以降それ以上の物は見つからないままである。これに比べればどんな物ももの足らない。ガマ仙人用のガマガエルがネットで入手可能なことを検索しながら思い出していた。  母がいっていた。幼稚園児の頃、台風が吹き荒れていた。母の実家から100メートルくらいに佃の渡し船の渡船場があり、渡し船の絵を描いていた私は、そこにあるマークが着いていて、マンホールの蓋に同じものがあった、と母が止めるのも聞かず暴風雨の中、見に行ったという。そんな昔のこと覚えているかよ、と母にはいったが、実は傘がオチョコになったことから履いていた黄色い長靴まですべて覚えているのであった。



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