明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

進む  



作っていて、ほんの些細な違和感であっても、失敗の記憶に関しては膨大なデータが身体、手指に染み込んでいる。三十代の頃までは、何か変だが、打開の方法が判らずに固まる、という夢を良く見たが、結局私のような独学者は一通り経験するしか、そこから抜け出す方法はなかった。それも知らないでやっていたから良かったようなものの、知っていたらどうだったろう。それもこれも先の目標など持たず、パン食い競争のように、ただ目の前にぶら下がったパンだけを見てやって来た賜物であろう。  とはいえ、この間まで寒山拾得をどうすれば良いのか、策が浮かぶまで金魚を眺めて暮らそう、なんていっていたのが、寒山拾得を作りもせず、仙人を作り、小学生の時伝記を読んだ一休禅師を作っている。行き当たりばったりも程というものがあろう。だがしかし、こんな状況にも関わらず、頭で考え進めるよりマシだ、ということは知っているのである。これこそさんざん経験して知っている。



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