明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 




作り終わった作品に対して私は冷たい。頭の中の物を可視化し、やっぱり在ったな、と確認をし、撮影してしまえば役目は終わる。急遽某作家を撮影することになったのだが、眼鏡が出て来ない。久しぶりに作る。ジャズ、ブルース時代の楽器に比べれば楽だが、実に面倒である。背広の色も塗り直す。 仙人を作っているとつい浮世の諸々を忘れてしまい、とすべて仙人のせいにする。浮世のことはどうでも良い、という顔をしてはならない、というのが母の教えである。これで霞を喰って生きられたら私も仙人に近づけるのだが。空気を飲み込んで腹を膨らませられないか。これはすでに20代で試み失敗している。 月刊アートコレクターズ“いまこそ幻想美術”に日本初のシュルレアリズム小説といわれる室生犀星『蜜のあはれ』1カット。浮世離れした作品ばかりである。



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今まで無表情な人物ばかり作って来たが、今回のシリーズは人物に表情があるので、様々な角度から撮影してみたい。『虎渓三笑図』などは登場人物は三人である。三人も作っておいてたった一カットで済ますわけには行かない。三人のバストアップ、また山で修行中の僧が帰りに友人を送って行って、そこを越えまい、と決めていた石橋を渡ってしまって三人で笑う、ということなので、夕日が当たっていても良いだろう。つまりすべてが陰影のない石塚式ピクトリアリズムである必要はない、と考えている。  等々いちいち備忘録として書き残しておくのも、後に決して行き当たりばったりではなく、最初の計画通り事を進めて来たのだ、という顔をするためである。これはおそらく、妙な快感物質に幼い頃から取り憑かれた私を母を含め大人に、繰り返し気付けのアンモニアを嗅がされるような目に合ったせいだろう。しかしおかげで以降、私の目を覚まさせようという、一切の要素を拒絶、排除した結果、のうのうと、かつ嬉々として仙人を作っているという訳である。 ホームセンターでティッシュとマスクを貰ったら、ウォーターサーバーのパンフを手に売り込みである。「こういうのは何でもカミさんに聞かないとさあ。」仙人を作っている男がいう。



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