明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



”人間は頭に浮かんだ物を作るように出来ている。“ 養老孟司の言葉に感心しながら、そんな仕組みがあったのか、と一方で苦虫を噛んだような心持ちした私であった。棚からぼた餅のように予告もなく降ってくるイメージは避けようがない。しかも出番を待って後ろに並んでいる鮫の歯のように後から後から降って来る。なので怖れていたのは死の床で、あれも作りたかった、これも作っておけば良かった、と苦しみ悶えるに決まっていることであった。これはあと二年時間があると仮定し、以降のことは考えない、という手を見つけた。そのくらいなら、なんとかなりそうである。ただ、厄介なのは遠藤周作いうところの“やらなけれならない事がある時、他の事をせずにいられない人を怠け者という”この仕組みが二重に重なっていることである。 毎年大晦日のブログで昨年、やれなかったこと、思い付かなかったことが出来たか?と考えることにしているが、前述の仕組みに拍車がかかり、昨年どころかついこの間まで考えもしなかった仙人を作っている始末である。さらに実在した人物は作らないと宣言し、昨晩まで考えもしたかった一休宗純、つまり一休さんを何故か作っている。 例え自分で呆れたとしても、頭より臍下三寸辺りの声を優先した方が結果は必ず良いはずである。



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