明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



寒山拾得が、人や物事の二面性、また矛盾を体現させた物ならば、寒山と拾得それぞれに矛と盾を担当させることをしなかったのは何故であろうか?いやもう充分であろう。そもそも”考えるな感じろ、を“ブルース・リーに教わるまでもなく、天からぼた餅が降って来るのに任せ続け、へそ下三寸辺りの自分を信じて来た私である。ここまで来て、寒山拾得相手に、性能の悪い表層の脳を持ち出すのは止めておこう。 それにしても、中国の説話を読んでいると、当時日本はまだ弥生時代だったたりする。中国が上から日本を見るのも仕方ないとも思えるが、人間の細胞も6、7年で入れ替わるという。すっかり別物だろう。もっとも日本の幕末、日本を訪れた外国人の見聞記を読むと、繁華街でさえ大きな声で話す人はおらず、ソヨソヨと話声がし、そのせいで下駄の音ばかりが目立って聞こえたというから、外で大声で酔っぱらう連中を考えると、日本もすっかり細胞が入れ替わってしまったといえよう。



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