明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



雪舟の国宝『慧可断臂図』(えかだんぴず)には元になった作品があることが判った。洞窟、達磨、切断した己の腕を差し出す慧可、という同じモチーフだが、構図の違いにより、より主題が強調されている。雪舟は達磨の表情と面壁座禅を表すために真横を向かせ、目の前に壁を配している。 歴史ある様々なモチーフの端を齧ってみて、つくづく感じるのは、自然物である人間が創作した物、それもすなわち自然物であるならば、先達の作品を模写することは、風景を模写することと同義であろう。そこにはパクる、などということとは全く異なる絵師達の姿がある。 歴史の厚みを前にして、”立体を作ってそれを被写体として写真作品にしました“それだけ言えれば良しとしよう。という心持ちになっている。しかし雪舟は達磨などいくらでも描いただろうが、私は初めてである。見る人が達磨と睨めっこ出来るように正面を向かせたい。洞窟の壁に達磨の顔に接するようにガメラを配し、達磨の背後には己の腕を切断しようと刀を構える慧可、その背後に洞窟が口を開け、眼下に広がる風景。 頭に浮かべるのは勝手だが、養老孟司いうところの“人間は頭に浮かんだものを作るように出来ている”という仕組みにこれから苦しむことになるのは私自身である。


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