明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



人間も草木と同様自然物、草木が持っている程度の物はそなわっているはずであり、その声さえ聞いていれば良いのではないか。下手な頭を使って考えたことはことごとく外し、へそ下三寸より湧き出る命令に従った方が、その時何でこんなことをしているのか理解出来なくても、必ず辻褄が合い、結果が良いことに、早々に気付いたことは幸いであった。”考えるな感じろ“である。幼い頃は、何処かの王様に石の塔に幽閉され、ここで一生好きなことをしておれ、なんて夢見たような私は、レンズを外側に向けず、眉間にレンズを当てる念写が理想、なんていっていた時点で、現在のモチーフに至るのは必然だったのではないか。元々無神論者で不信心者であつたから、寒山拾得も、ずっと、単に物語として面白いから惹かれている、と思い込んでいたので、宗教的な部分に至ることは避けるつもりでいたのに、金魚を眺めていれば必ず棚からぼた餅が降って来ると、思ってそうしていたら、あらぬ方向に向かっている。(あくまで撮影のために金魚を飼っている、と思い込んでいる人が存外いる)金魚を眺めるという“手法”は、思った通りの効果を私にもたらせた。金魚を眺めるしか策がなかったのは、つい最近のことである。 10年以上続けたジャズ、ブルースシリーズから突然作家シリーズに転向した時は、嗚呼これは戦前生まれの日本人なのだ、と澁澤龍彦の脚を何度も切断したのを思い出す。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )