明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



複数の頭を同時に作り進めるのは、順ぐりと何順もしながら仕上げて行けるので良いことは判っていたが、10個もあるなんて初めてである。毎朝、本日のターゲットを決める。本日は一休宗純。臨済宗、風狂つながりで、つい手を出してしまったが、子供の時に読んだ伝記で感心した門松や、の“目出度くもあり目出度くもなし”から寒山拾得の ”笑いであり笑いでない“謎の笑みに思い至り、ようやく寒山と拾得の頭部制作に取り掛かれた。 一休の肖像画は数々描かれているが、中に赤鞘の長い、佐々木小次郎どころでない太刀を傍らに置いたのがある。何だろう、と思ったら、竹竿にしやれこうべだけでなく、こんな物を持って人々を驚かせていたらしい。そんな物もいずれ手掛けてみたいものである。 写真を初めて発表した時に、ある編集者が、被写体を目の前に置いてあるのに実写と間違えた。そんなつもりではない、と翌年作家シリーズに転向した。作り物にしか見えないよう、元々嫌いであった私小説家は避けたが、それでもリアル方向に行ってしまいがちであったが、陰影を削除する手法に至り、またここへ来て、実写と間違えたら、間違えた方が悪い、というモチーフにようやくたどり着いた。



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アポロ11号の乗組員の食事内容が、毎日、新聞に載っていたような記憶があるが、これは何だ?と思ったのがオートミールであった。それがここのところ、良くテレビで見るのでようやく入手、以前から朝食に、カツオダシ、塩こうじ、ごま油、海苔でお粥を作って食べていたが、オートミールでやってみると、できあがりも早いし、今後もこちらで行くことにした、ただ、普通の物が売り切れていて、砕いてある物だったので、糊状になり、若干舌切り雀感があるので、普通のオートミールを買うことにする。 頭部だけでおおよそ出来ているのが10個もあると、一つに集中し過ぎて道を踏み外すこともなく、新鮮な気分のまま進められる、こうして全体的に仕上げを進めており、三、四順目、一休禅師。子供の頃、左卜全そっくりだと思ったが。それにしても、禅宗に、肖像画や木造を遺す、という習慣があったおかげで、驚くほど昔の肖像が、鏑木清方並みのリアルさで残されていて助かる。一休も、肖像画と木像を頭の中で折衷案を引き出しながら制作している。竹竿に掲げるしやれこうべも作らなければならない。しかし禅宗といえども開祖、臨済義玄ともなると、後年描かれた肖像画しかなさそうである。



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