明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



現在制作中のモチーフは、日本人は一休宗純ただ一人の可能性が出てきた。後は中国人で、さらにインド人を一人作ろうとしている。 禅宗には高僧を木像や肖像画にして残す、という習慣があり、おかげで、間違いなく一休はこうだったろう、というリアルな姿を知ることが出来る。中でも曽我蛇足は、一休に画を教え、一休から禅を学ぶという間柄で、その肖像画に一休自らが賛を書いた、つまり本人のお墨付きという訳である。 蛇足の一休像は何作も残されているが、中には冴えない作品が混じるな、と思っていたら、蛇足は時代ごとに何人もいて、一休と親しく交わったのは墨渓という人だったようである。一休と共に臨済義玄像でもお世話になっている。となると、墨渓作を写した他の蛇足は私と条件は一緒である。そういえば曽我蕭白も蛇足を名乗ったことがあるというのを何かで読んだ気がして来た。 二メートル超はあろうかという赤鞘の大太刀を傍らの肖像は残っているが、それらはおそらく本人を目の前に描いているが、私が作ろうとしている、竹竿にしやれこうべの画は残されてはいない。だからこそやりがいはあるものの、実はあれは実話ではない、なんてことが露見しないことを祈るばかりである。事実とするなら一休いくつの時のエピソードか調べる必要がある。下手くそ蛇足も含め、若い頃から禿げて行き、老人とななった肖像があるので、おおよその経年変化は想像ができるからである。唯一の日本人、さらに小学生の時のイメージもある。こだわりたい所。


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