明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



制作中の鉄拐仙人を含め全11体、眺めるとフリークショーの団長の心持ちする。だがしかし、頭に巨大な三本脚のガマガエルを乗せたような人物の間に、目を凝らすと開祖、宗祖、禅師など偉人が混ざっている。結果的に、歴史上の名作群の末席に、どさくさに紛れて座ってしまおう、という企みは失敗に終わった。つまり伝統的とは言い難い結果となった。 そう考えると、私としたことが、禅宗の大本たる達磨大師の表情がステレオタイプの域を出ていない。作りながらも思ったが、私が作りたかったのは、大師に相手にされず、気概を示すため、己の左腕を切り落として教えを乞おうとする、後に第二祖となる慧可禅師である、達磨大師に特段、新味を与える面白さ、メリットを感じ図、おなじみのあの顔で良い。雪舟の『慧可断臂図』の達磨大師は、岩壁に向かい、横を向いたまま慧可の気合いに気付いていない様子だが、私の場合は、その直後、慧可の気迫に気が付いて大師が振り向いている。以前書いたが大師が座禅する洞窟以外は一面の雪。その雪は何もないことで白い雪とする予定である。それで行こうと思い付き、翌日の降雪を知りながら撮影しなかった。後悔は後でするものであり、今のところは勝算ありのつもりでいる。



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