明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 




日曜美術館『ユニークな肖像画が語る異色の人物たち』曽我蛇足の『一休宗純』が画面にアップで映る。おそらくこの作品のおかげで、数百年間、好き勝手な像が捏造され続けて来た松尾芭蕉みたいな目に合わないで済んでいる。その代わり小坊主時代をいじられまくったが。 これらの迫真的肖像を残す、というのが禅宗でも臨済宗の特徴であることを知らず、一休も臨済宗か、などと偶然だと勘違いしていた私だが、座禅一つしたことがないのに開祖臨済義玄を作るという〝暴挙”に出たのも無知が故のことであるが、2001年筋肉モリモリの男が薔薇の花を身体に貼り付けて踊るバレエを一度見ただけで翌年ニジンスキーで個展を開いてしまった。若気の至りだと思っていたら私は何も変わっていなかった。知らないというのは可能性においては素晴らしいことである。そう思うと、私が独学我流者でなく、師や先生がいたなら、一番美味しい所を失っていた気がする。良いか悪いかは別にして、間違いなく今の私にはいなかった。 小学生の頃、算数なんてつまらない物が大人になって必要になるはずがない。そんな物教えてないで、先生は聞かれたことだけ答えてくれれば良いのに、と思っていた。



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