明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



一時期、目に着いたあらゆる物をパーツとして撮って置いて、例えば空や海、道路や屋根や壁や何でも撮り溜め、本気で寝たきりの老後に備えていた。その後ハードディスクの度重なる故障などあり、ほとんど失われたが、今思うと愚かなことであった。その後、浮世絵、かつての日本画の、西洋画や写真にない自由さを取り入れるにはどうすれば良いか、毎度お馴染みの〝孤軍奮闘”していて、陰影がそれを阻害しているのではないか、と思い始めた頃、スーパーからの帰り道、頭の中のイメージに陰影が無いことに気付いて、危うくスーパーの袋を落としそうになった。頭の中では光源まで設定されていない。それまで頭の中のイメージを取り出し、確かに在った、と確認するのが私の創作行為だ、といっていながら、外側の世界に在るかのように光を当てていたことに気付き、ここから一挙に陰影のない手法に向かった。この世の世界でないことは一目瞭然であろう。 この間の〝騒動”は、私の子供の頃からのこだわり、独学我流、マコトを写すという意味の写真という言葉への嫌悪、様々が凝縮されていた。そして自ら作り出した陰影つまり被写体の陰影を取り除く、というアンビバレント、葛藤は、被写体制作、撮影の二刀流の私だけの物であり醍醐味である。その先に在ったのが寒山拾得ということになろう。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




久しぶりに撮影の仕事で隅田川の向こうへ。ツアーで一度ニューヨークに行った時、オプションツアーのバスガイドから、チャイナタウンから一歩も出ないで生涯を終える人がいると聞き、その狭さにバカじゃないかと呆れたのだが、気が付いたら私がそうなっていた。『虎渓三笑』の高僧慧遠は、山を降りない、と自ら決めたが、二人の客を送って行き、渓谷の橋を越えたことに気づいて笑う。とすると橋を渡り切るべきだと思うのだが、橋の半ばで三人が笑っている作品が多い。もしや、と思って曾我蕭白の三笑図を見てみたら、ちゃんと渡り切って笑っている。案の定蕭白は真面目だ。その真面目をこじらせた挙句のイカれ方だと私は踏んでいるのだが。 隅田川を超えた私は2時間をこえ、乗り換えに迷い苛立った。撮影はというと、あっけなく終わった。クライアントがこれで良い、というのだから良いのだけれど。レンズを選んだりしていて寝不足。帰りは電車が混み殆ど座れず疲労困憊であった。無呼吸症候群用の装置はおそらく外泊のためだろうバックが用意されている。ちょうど良いサイズのカメラバックがなかったので、それにカメラ、レンズを入れて出掛けた、



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )