明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



豊干禅師は阿弥陀如来の化身だというのは私の勘違いで、釈迦如来であった。冷や汗をかく。 よほどのことがない限り、撮るのは縦位置の写真ばかりだが、今回は特に掛け軸ほどではないにしても、縦長画面が似合うだろう。主人公の状況、心理状態など背景に反映させられることを考えると縦長画面がふさわしい。 本来、寒山拾得により聖俗両面表すべきとも思うのだが現在、俗世に背を向け山に住う乞食坊主により聖性を表す、というのは私の能力をも含め難しいと判断。であるならば、文殊、普賢に聖性を担ってもらおうと考えた。展示にさいしては、真ん中に豊干禅師と釈迦如来、左に寒山と文殊菩薩、右に拾得と普賢菩薩。配置には決まりがある。合わせて『三聖図』としたい。釈迦如来もいずれ、と思っていたら入手済みの文殊、普賢とほぼ同サイズの釈迦如来を友人が持っているのが判った。これでたった1カットのために、と愚痴らないで済む。仏像を自分で作る気は今後もない。そもそも私の手垢にまみれたイカれた寒山拾得と、私ではない他人由来の聖性の象徴、そのコントラストが望ましいと考えている。



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