明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



山水図というだけあり山深い風景の水表現をどうするか。蝋燭の火や人魂は筆で描いてこなしたが、滝や小川を筆描きは考えていない。筆で生きた線を引くのは簡単ではないことは、陶芸を齧った経験で知っている。前から考えていた方法があるので、近所の川面で実験してみたい。肝心の山々は雪舟が中国に渡り、きっと「ホントにこうなってんだ!」といったに違いない日本とは違う風景である。ない物は作った方が良いのか。 陶芸家を目指していた学生時代、カメラマン志望の友人と我がアパート、名前は寺山修司と同じ松風荘で良く飲んだが、奴は少々酒癖が悪い。「お前みたいな雑なヤツが良い器など作れる訳がない。」と絡んで来るので売り言葉に買い言葉で「あの娘はお前が可愛いくした訳じゃないし、あの山だってお前が雄大にした訳じゃないだろ、このかっぱらい野郎!」という訳で、後に私は彼の予言の的確さに驚くことになり、写真にまったく興味がなかった私が、まさかの写真展をやるようになるとは。そしてひどいことを口にしたバチが当たったのだろう。自分で被写体を作り、雄大な山まで作るハメに陥いるのか。そもそも冒険登山家を世間はなぜ変態扱いしないのか?0メートル地帯育ちの散歩嫌いが山に登って撮影なんてする訳がない。そもそもあんな景色は日本にないし。遠景はレンズを眉間に向けることに決めた。つまり石膏で作ろう。



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