明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



寒山拾得が難航し、その間他のモチーフに手を広げていった経過について全く覚えていないが、雪舟の『慧可断臂図』は一眼で引きつけられるものがあった。構図の妙というか達磨大師は伝説の通り、岩壁に接するように真横を向いている。少林寺の岩窟で9年座禅を続け、しまいには手足が腐り取れてしまい、その様子を作ったのが高崎のダルマということになる。そして曾我蕭白の寒山が住う結晶のような岩肌ほどではないが、奇岩に取り囲まれている。その手前に切断した腕をささげ持つ男。その切り口は羊羹を切ったかのようにスッパりと、よく見ると僅かに切断面を現す赤い色が引かれている。断臂(だんぴ)とは肘から下を切断することをいう。慧可も大師と並行に真横を向いている。不思議な空気が漂っている。しかしこれが全て雪舟のアイデアなのか。オリジナルなのかは知らない。中国の検索エンジンで同じような絵を観たことはある。 腕を切り落とし、教えを乞う慧可は、悲しげであるが、私はもっと意を決した表情にさせたい。当時これがどれだけ知られた画題だったのか不明だが。もう少し説明したい。慧可は切断に使用した剣を雪に突き立てている。積雪の場面であることも雪舟作では良く判らない。慧可は手前に大きくほぼ正面を向き、達磨大師は洞穴の奥4メートル辺りでこちらを振り向いている。残る問題は、洞穴を実写にするか作って撮るかである。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )