明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



骨組みのままロクロ台の上にそのままになっていた鉄拐仙人は、私に後回しにされ続けている。脚の悪い乞食の死体に乗り移り鉄の杖をついている。その杖に脚を絡ませ、器用に義足のようにしている画を描いていたのだが、どちらの脚が悪いのかが不明である。ただ杖を持っている図ばかりなのでこうしてみようと考えたが。ホントのことはどうでも良いといいながら、想像上の人物なのに関わらず手が止まってしまう。これは性分なので仕方がない。その代わり歌舞伎のようなポーズで中空に分身を口から吹き出しているところとした。むしろ格好が良い。不都合があっても、悔しいので失敗して良かった、というところまで絶対に許さない。これもまた性分である。 豊干禅師は釈迦如来ではなく、やはり記憶通り、阿弥陀如来の化身だと判った。これでメインとなる寒山と文殊、拾得と普賢、豊干と阿弥陀の共演作は確定した。聖俗の二面ということだが、この共演は私は見たことがない。文殊菩薩、普賢菩薩、阿弥陀如来はそれぞれの背後霊のように立ち現れている、というのをイメージしている。鉄拐仙人、ようやくロクロ台の上でポーズを取る。



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