岩窟の寒山。本来最初にイメージしたものだった。房総にでも背景を撮影に行こうと考えていたはずだったが、何を思ったか、急遽自分で作る事に決めてしまった。外側にレンズを向けず、眉間にレンズを当てる念写の一環だとでもいうのか。確かに主役の被写体はおろか、背景まで作れればいうことはない。決めたは良いが策が見つかったのが個展の一月前であった。 岸壁の制作法は二つあり『慧可断臂図』で用いた一から自作する方法。これは達磨大師が座した台座状岩場も自由に造形出来る利点があった。もう一つが『虎渓三笑図』の自然石、岩を画像加工する方法。大きいも小さいもなく、切り取り結合自由である。ただし陰影がないことが前提である。以来、ヤフオクで石の出物があると、つい手を出したくなるが、居もしないカミさんに〝石だけはやめて”とすがりつかれる思いがする。水は買っても、石は買ってはならないだろう。せめて拾って来いという話である。いずれにしても、石を集める私、妙に似合ってそうなのが癪に触る。 つげ義春『無能の人』あれを読んで私同様、複雑な気分になった人は少なからずいただろう。