明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



篠山紀信版『男の死』の出版のガセ情報に怯えながら、一日でも先に発表を、と三島の命日を含む期日が、たまたま大地震でキャンセルになったのを知り、無理を承知で開催を決めたのが2011年の『三島由紀夫へのオマージュ男の死』(ギャラリーオキュルス)であった。寝床に本をばら撒き寝心地を悪くして睡眠時間を削ってまで決行した。篠山紀信版の企画者である、元薔薇十字社社主内藤三津子さんにも一文をいただき、鈴木邦男さんにも来ていただいた。その後鈴木さんとは雑誌で対談をさせていただき、三島の人形を持ってトークライブにまで呼んでいただいた。 先に登壇したのは最近亡くなった人食った佐川一政氏、一緒に登壇したのが、オウムの村井秀夫刺殺の徐 裕行氏。客は人形制作者より、徐氏の話を聴きたいに決まっているから壇上では端に座りたいのに、氏があまりに遠慮深く、差し手争い?に負けて、端の席は取られた。そんな珍しい経験もしたが、その後展示の可能性など無いと思いながらやり残した背中に唐獅子牡丹の三島を作り足し、市ヶ谷に向かう車中「ヤクザ映画ならここで唐獅子牡丹が流れるところだ」といって隊員と共に唐獅子牡丹を歌った三島に捧げることができた。そして築地より移転するふげん社で『三島へのオマージュ椿説男の死』が決まった時は、ボーッとして帰宅したが、聴き違いではないのか、と移転後確認に出かけたくらいであった。 私が40年間で、やり尽くしたと言えるのは三島だけだ、と書いて、新しいことをやり続けることは大事だが、やり尽くすことがさらに大事だ、と寒山拾得の新作に取り掛かることに、ようやく決めた。



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