おかしなもので、寒山拾得に集中していた時は目に入らなかったのに、未撮影の葛飾北斎が目につき、やり残すと後悔する、という気がして来た。確かに男の種々相を描くには羅漢図は究極のように思えるが、K点を超えたジャンプそのままの勢いで行ってしまうのは急ぎ過ぎのように思われた。 座りっ放しのせいでの足腰の衰えはともかくとして、個展開催でサボったクリニックでの数値もすでに取り戻している。 個展の一月前に、『虎渓三笑図』によりようやく、それも突然に中国の深山風景の作り方を思い付いたので、最初に考えていた、寒山と拾得の日常を描くことなく、月を指差したり、象徴的な姿しか描けなかった。まずはその辺りを作り足したい。曾我蕭白の、岩窟に棲まう寒山のもとに訪ねて来たような拾得。あの結晶のような奇岩は気持ち悪いが。より私のイメージにしたい。 考えてみるとこの40年、新しいことを、とやって来たが、やり尽くした、と言えるのは、唯一2回行った三島由紀夫ヘノオマージュ展だけである。ここを良く考えなければならない。