明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



連休前から開始し、連休後も全く形にならなかった海外作家の頭部であるが。本日も午前中までは酷いものであったが、日が落ちる頃から急に感じがでてきて、この方向でいいんじゃないか、という状態になってきた。手のひらに乗る小さな頭部であるから、駄目な時は延々と駄目だが、ちょっとした変化から劇的に完成に向かう。何日、何十日かかろうと、完成に向かうときはこんな感じである。これも何日もの紆余曲折あってこそであろう。 久しぶりに『只今誰を作っているでしょうクイズ』をやってみたい。ヒントは充分であろう。件名をクイズとし、17日土曜日までに答えをメールでお送り下さい。お一人一回のみ。正解された方の中から7名の方に極ささやかなポストカードほどのプリントをお送りします。何をお送りするかはお任せ下さい。抽選方法はいつもの通り、不正の余地がないほど前後不覚状態の人に選んでいただきます。勿論、私から正解を聞いてしまった人は不可。只今送信が携帯のみなので、7名の方には携帯より改めてご住所を伺います。 クイズが何故今日からかというと、ホントにできるのだろうか、と今日の午前中まで思っていたからで、何十年作り続けていようと毎回こんなものである。一発で禁煙に成功した時も、自分が信用できず、なかなかブログに書けなかった。だがしかし、頭さえ完成してしまえば出来たも同然。楽しいことが待っていることであろう。

『世田谷文学館』展示中

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制作中の人物の最後は、天才、奇才の伝記ではおなじみのものである。飲酒のあげくに最後を迎える。詩人で画家の村山槐多は結核を患い喀血。自暴自棄になりまた飲んでしまう。房総を旅し、紫外線を浴び、健康を取り戻しつつあると思っていた矢先の喀血がショックだったのであろう。最後は「白いコスモス」「飛行船の物憂いひかり」という意味不明なことをつぶやいて亡くなる。ジャズの天才アルトサックスプレイヤーのチャーリー・パーカーは、飲酒もさることながら酷い薬物中毒で、衰弱して死んだ時の警察の検死報告では、母親より年上に判定されている。私はパーカーのサックスは、単にモダンジャズ音楽というより、この世の物ではないと考えているので、その才能を抱えるには生身の肉体では元々無理があっただろう。そしてこの人物。亡くなる前から心臓が弱っており熱もあった。そして飲酒の果てに誰だか未だに判らない人の名を口にして亡くなる。 伝記を読みふけった子供の頃の私は思ったものである。可哀想に。なんでこうなるまで誰も止めずに放っておくんだろう?大人はみんな勇気があるから、顔が黒ずんでこようが頭をぶつけて何度救急車に乗ろうが平気なんだよ。そんな秘密は誰も教えてくれなかった。 先日、近所のある人物に私はいった。「あんたは酔っぱらって知らないうちに死んじゃうからいいけど、酒臭い死体見せられるこちらがたまらないよ。兄弟があっちで暮らそうって呼んでくれてんだろ?行くべきだよ。K本の猫だって死ぬとこ見せないんだから」。 当ブログではよくあることであるが、書き始めたら風に流された飛行船の如くに、予定と違うところに着地してしまった。近所のただの酔っぱらいで〆てしまい、前述の天才芸術家の方々には大変失礼なことになってしまった。

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やはりいつもの通りのことが今回も。頭部の制作開始早々、なかなか良い滑り出しで、初日から妙に感じが出ている。こんな時はきまって後が続かず難航する。初日からそんな予感がしていたら案の定である。結局連休中、音楽スタジオを借りた一日以外は、ずっと家にこもって作っていたのだが。そう思うと中井英夫の頭部がわずか4日で完成というのは私としては夢のようである。そんな訳ないだろ。といっているうちにできてしまった。架空の人物を除けば異例のことであった。あんなことは最初で最後であろう。 進展もなし、無駄だったかというとそういう訳ではない。作りながら色々想ったことが頭に残っている。よって諦めて最初からやり直すことはしない。だいたいこんなことを無駄といっていたら、私のやっていることは大半が無駄になってしまう。 本日よりこの人物の伝記を読み始める。できることなら制作するごとに伝記をじっくり読みながら進めたいところである。鼻がどっち向いているとか目元がどうした、などということより大事なこともある。読み始めた伝記は70年代の終わり頃の物で、いささか古いが、著者によると、その時点で読むことができるあらゆる文献に目を通して書いた、ということである。気になっていたことがあり、最後の方を拾い読みすると、この人物の亡くなる直前の着衣などの描写があった。これも知りたかった。

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午前中にそういえば、と川口で鍛造をやっている友人に制作を依頼する刃物の件で、電話しようと携帯を手にする。これはなくてはならない重要な物である。都合の良い形状の物は売っているとは思えないので特注するしかない。刃物が重過ぎて、思ったような動きはしないだろう、という友人の意見に対し、予定を少し変えるから大丈夫。と連絡しようと思ったのであったが、携帯を開こうとしたところで、友人とはそんな話をしていないことに気がついた。つまり夢の話であった。私の夢は、シチュエーションや出演者は突拍子もない場合が多いが、私自身は私がいいそうなことしかいわないし、やりそうな事しかしない。死体の隠し方や逃走の仕方もいかにも私らしい。それにしてもである。確かに友人に依頼する件に関して、頭を悩ませた記憶がある。結果的に解決策も見つかり一件落着。こんなことは始めてである。 友人に電話をしてしまった場合、どこで気がつくかによるが、いずれにしても相当恥ずかしい。最悪、全部話した後に気がついたら、「なんて夢見ちゃって」。と誤摩化したとしても、電話して来た用件は、まさかその夢のことじゃないだろ?と彼は思うに決まっているから、その代わりになる話題を提供しないとならない。しかしわざわざ休日の午前中に電話をする用事は何もないのであった。

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久しぶりの古石場文化センター音楽スタジオ。ベース担当の一人が家族サービスということで私とトラック運転手のSさんと2人。 いつだったか、ギターの腕前をなんとかしたい、とインスト曲をコピーをするため、ギタートレーナーという物を買った。曲のデータを入れると、音程を変えずにスピードを変えられる、という物である。ところが今時の機械で、やたら軽くてコンパクトなくせに機能が多くてうんざり。放ったままであった。しかし録音機能があり、音を重ねられることを思い出し持って行った。Sさんは買ったばかりのギター、私はコンデンサーを換えたギターを二本、大きな音でひとしきり。煙草を吸いに休憩のSさんにトレーナーと取り説を委ねる。 思い出すのは、幼稚園からの付き合いのNと、持ち寄ったカセット二台で中学頃から多重録音をしたことである。いかに音の劣化を防ぐかにNは苦心していた。Sさんは録音したことがなく、下手な証拠を残すのは嫌だというが、残さずとも下手な物は下手である。本日はギターをラインで繋ぐので会話等は録音されないが、昔の録音の、面白いのはむしろ口喧嘩である。私がNが間違ってる、と文句をいって口喧嘩になったのを、今聞くと間違っているのは私の方であった。謝るにもNはとっくに亡くなってしまった。あっけなく簡単に録音ができ、近くの居酒屋で打ち上げ。Sさんが“荷物運んでた人がお荷物になってどうする”。といった64になった運送会社の先輩Kさんを呼ぶ?というので、電話して酔っぱらってたら、さっさと切れよ、といったが、ただ寝てたというので呼ぶ。 乾杯の後にKさんに録音を聴かせると「へー凄いなー」。僅か5、6秒でヘッドフォンを置く。この爺いには付き合っているわけでもない、何人もの女性との妄想話を4年以上聞かされ続けている。お愛想で良いから、せめて1分間は聴けという話である。

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制作中の人物へのオマージュ写真集があり、日本版が古本で出ていたので取り寄せてみた。海外の作家であるから当然撮影場所もいきなり本場である。だがしかし。私にはそれだけであった。イメージを込めようと増感して粗い粒子にしてみたり、赤外線フィルムで撮ったような物もある。撮影者のイメージさえ込められていなければ。と思ってしまった。 私の方はというと、世間が休みの間に励んでいるものの、いつものごとく一進一退。被写体がなければ始まらないので、これはもう祈るしかない。そうしながら小説を読み、作品化する小説を選んでいる。 奇妙な昆虫がでてくる短編がある。私は以前この作品のイメージは、いつか見た夢だと思い込んでいて、読むことで再会する。という体験をした。この作品は登場人物の錯覚だったという結末であるが、これは文章、もしくは夢ならではの作品で、実際はどう考えても、思い込み錯覚するのは無茶な話である。私が作品化するにあたり、“多少”考えるのは、その作品を読んでいなくても面白いと思える場面を選ぶことである。そう考えると、この作品は避けるべきかもしれない。視覚化している人などいないだろううと検索したら、1カットだけ海外のイラストレーションが見つかった。たしかにそういうことなんだよな。とつい笑ってしまった。せっかく視覚化しても、下手すると笑われ火傷する、避けるべき作品であろう。それが解っていながら、頭の片隅には、私だったらどうする。という気持ちがあるのも否めない。私の場合火傷はすぐなおる方だし。

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世間が休みの時はリラックスした気分で制作ができる。大晦日も正月も、何か作っていることが多い。それは東京が静かだからという理由ではなく、幼い頃から好きなことしかしない、と各方面からいわれ続けたせいであろう。少々拭いきれない罪悪感のようなものがあって、世間が休みの時は、こんな物を作っていてもかまわないだろう。とどこかで思っている気がする。晴天の日に家にこもって陰鬱な表情の男を作っていても気分は清々しい。 九条今日子さんが逝去された。先日、世田谷文学館の展示のお知らせをさせていただいたばかりである。昔個展に来ていただき、寺山のボクサーの練習着姿のモノクロ作品を購入いただいた。当時よく自転車で出掛けてハゼ釣りをしていた、墨田川に面したマンションにお届けし、ロビーでしばらくお話しいただいた。寺山がカメラに向かってファイテイングポーズをとっている写真を見てウスウス感じていたが、「ボクシングやってたなんてウソばっかり」。やっぱり。私は九条さんの砂浜で水着姿のブロマイド写真を持っているのだが、何故それにサインを貰わなかったか。しばらく悔やんだのを覚えている。ご冥福を御祈りしたい。 ネットで『花咲舞が黙ってない』を観ていたら、詐欺師の架空の会社にかけつける場面に、後ろに母の生家があった場所が映った。某局アナウンサーの実家の“拝み屋さん”の建物も。会社の場所は私がよく遊んだ極小の公園であった。数メートル横に佃の渡しの渡船場があった。何が驚いたといって、見たとたん昭和30年代の隅田川のドブ臭さが鼻の奥に蘇ったことである。

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