明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


母は毎月写経の会に通っている。ところが錦糸町のバスターミナルに、財布の入ったバッグを置き忘れてバスに乗って来てしまったという。すぐに警察に連絡したようだが、「錦糸町のバス停に置きっぱなした財布が出てくるわけないだろ」。(特に他意はない)どうせ何かを探してゴソゴソしていて忘れたに決まっている。母は典型的な、カギ閉めたか、ガス止めたかタイプである。ところが落し物として届けられたという。「錦糸町で財布がでてくるなんて奇跡だよ」。(やはり他意はない)母は電話で不思議だ々と繰り返す。写経のおかげだといわんばかりである。もちろん一番不思議なのは、あんな所にバッグを置いてくることだし、写経やってなければ、何も起こらなかったのだ、と念を押しておいた。 先日、ある有名であろう外国の彫刻家のエドガー・ポー像を見て、私が何をしたいか、しようとしているかを再認識した。この彫刻家と違って、残された肖像写真に写っていないところが見えなければ私の場合話にならない。肖像写真は写真家の物である。そんな物に簡単に乗っかるわけにはいかないのである。写真に写っていないところを探す為、本日も全集の中から数編選んで読んだ。 写真を素直に受け入れないでいると、おかげで写真師が修正した夏目漱石の、まっすぐな鼻筋に騙されないで済んだりする。ただ今世田谷文学館に展示中の私の夏目漱石は、ちゃんとカギ鼻である。漱石自身が写真師に指示したに決まっているが、残念でした。そうしたいなら俺が死んでもデスマスクは取るな、といっておくべきだった。

※世田谷文学館にて展示中。

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午前中クリニックへ。どうも血圧が高い。原因は睡眠不足が大きいようである。寝ても3時間ほどで目が覚めてしまう。加齢もあろうがトイレで目が覚めることも大きい。睡眠薬出しましょうかといわれるが、あのまま目が覚めなかったら恥ずかしいことになりはしないか、と今回は辞退した。 家で飲んでいるときは、なんでも生のままで飲むのでトイレに起きないが、酒場で長時間楽しい馬鹿話をするためにはそうもいかない。K本でも水分を控えるためキンミヤ焼酎を生で行きたいが、瓶の本数で勘定するので迷惑である。一度試したが、確かにチェイサーの炭酸は減らないが、私だけ炭酸用にコップを出してもらうのも迷惑。しかし紳士淑女御用達酒場における炭酸のラッパ飲みは、大人のすることとは思えず断念した。 午後麻布十番の田村写真へ。前回久しぶりにオイルプリントをやってみたが、ゼラチン紙の制作の都合上、冬季にしかやったことがなかった。ゼラチンを変えることにより、ゼラチン紙の制作は田村写真で成功したが、ゼラチンが高い気温でダメージを受ける。そこで硬膜処理やネガの調子を変えるなど、試行錯誤中である。それにしても自分のHPの制作法を参考に見るのはいい加減にしたいものである。 世界でも、古典技法をやる人は、アルコールにポーランドの『SPIRYTUS』というウオッカを使うそうである。せっかくだからと生でいただいてみたら、口中の粘膜が縮緬状になったような痛さであった。そのわりに喉はそうでもなかったから、世界でも寒い地域に住むバカが喉に放り込むための酒であろう。つまみは写真用のゼラチンを重クロム酸アンモニウムに漬けた物。にしか見えない、鶏卵紙制作用に余った黄身の醤油漬け。酒場とは二味違うオツさ加減であった。

※世田谷文学館にて展示中。

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猩猩  


真っ赤に燃える目。女の首をワシ掴み、剃刀を握る腕をまさに振り下ろそうとするオランウータン完成。まだ剃刀も女もいないが。 オランウータンは母と娘を惨殺する。娘は煙突に逆さまに押し込められ、母親の方など、首がちぎられる有様で、なんとも凶悪な獣として描かれている、実際そんな面があるのかどうかは知らないが、対面した感じではそんな気配はまったくなく、まさに森の人であった。 ほぼ同時代のビアズリーの挿絵は、どう見てもオランウータンを知らなかったに違いなく、巨大なニホンザルのように描かれている。ポーにしても、どこまで知っていたのか疑わしい。 木造校舎であった小学校の図書室。授業開始のチャイムが鳴っても出てこないので、一時出禁になってしまったが、大好きな漢和辞典みたいな古い動物図鑑があった。動物は小さな線描である。それには『猩猩』(しゃうじゃう)と書かれていた。世界の動物の生態がお茶の間で見られるようになったのは最近の話である。カバが鹿の類にがぶりと齧り付く映像で驚くこともできる。

※世田谷文学館にて展示中。

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動物園といえば子供の頃から上野である。江戸川乱歩の『目羅博士』では猿が人を真似るというエピソードの為、猿を撮影し、『貝の穴に河童の居る事』ではカラスや蛇を撮影した。鎮守の杜の女顔のミミズクのため撮影に行ったら金網越しで、表情もいまひとつ。どうしようかと思っていたら、近所に猛禽類専門のカフェができて事なきを得た。しかし今度はオランウータンである。さすがにいくら待っても類人猿カフェはできない。初めて多摩動物園に行ってみた。 エドガー・アラン・ポーの『モルグ街の殺人』は世界初の推理小説ということであるが、発表から200年ほど経って小学生の時に読み、犯人がオランウータンというのに唖然としたのを覚えている。 行ってみると随分すいている。目的はオランウータンである。ゆるやかな坂の一番奥にいるということで、園内を巡回するバスに乗り、いきなりオランウータンへ。すると小型バズーカ砲のような望遠ズーム付きカメラを持った、中年から老年男女の集団が連射している。最近生まれたオランウータンの子供が母親にしがみ付いている様子を撮っている。 オランウータンはオスメスはっきり違う。兵隊の位でいえば間違いなく私より貫禄はあちらが上、というオスだけを撮影した。何しろ老人である。落ち着き払っていて、原作通り、血に酔って狂乱、というわけにはいかなかったが、剃刀を振りかざして、女を切り刻むオランウータンはいけそうである。あ、また書きながらウットリしてしまった。

※世田谷文学館にて展示中。

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鍵盤の間にブルースがあるという。白人が考案した西洋音階に基づき配列された鍵盤では、黒人音楽のニュアンスは表現しきれない、ということであろうか。調律してあるピアノのピアノ線に新聞紙を挟んだ、等のエピソードも聞いたことがある。もちろんこれは言葉の綾というやつで、カウント・ベイシーを聴けば新聞紙など必要ないことは判る。セロニアス・モンク、メンフィス・スリムしかり。 ところで写された肖像写真について。ある写真は、被写体の人物がある日。写真スタジオを訪れた日のことを表しているに過ぎない。と前回書いた。自分で作ったものを自分で撮影しなければ考えなかったことがある。 私の場合人物像を作り、そこからある場面を想定した撮影がある。となるとある日のスタジオでの事実という確かな鍵盤だけでは不足なのである。肖像写真に写っていない部分。つまり鍵盤の間が重要になってくる。まだ解りにくい。 では簡単な枝葉の話でいえば、エドガー・ポーは、有名な写真が片方の眉が下がっているが、これはおそらくスタジオに見当があり、写真師に何番を見ていて下さい。といわれたであろう。長時間露光の場合、黒目が動くと目の中が黒目だけ、というエイリアンのような不気味なことになりかねない。ポーは視線を向けた方向により、片側の眉がああなる人だったはずである。世界中に片側がかしいだ画像があふれているが、それを違うシチュエーションで常にあれではおかしいであろう。ビアズリーは正面向かせたせいもあり、さすが、そのまま描かない。 これは枝葉についていっているに過ぎず、写真に写っていない、鍵盤の間のニュアンスをイメージするために有効なのは、伝記を読むことである。

※世田谷文学館にて展示中。

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エドガー・ポーの立体像は検索すると、世界中に首振り人形からトロフィーから彫刻から随分ある。しかしどれも一長一短で、何ヶ所かあるミュージアムの収蔵品もたいした物はないようである。しかし一点、手強そうな作品があった。それは政治家など著名人の像を公共の場にかなりの数、設置しているような海外の彫刻家で、ポーに関しても有名な写真を元に、頭部を精密に再現している。私のようにデッサンもろくすっぽしたことなく、ただひたすら完成を祈るだけ、というような制作方法の人間からすると感心するほかはない。大きさもおそらく実物大以上で、込められるディテールも、数センチの大きさで作る私は不利である。 ところでおそらくこの彫刻家と私の資料写真に対する考え方の違いがありそうである。私はあるポートレイト写真に対して、この写真はこの人物の、この日のこの時間を表しているに過ぎないと考える。つまりある日写真スタジオを訪れたポーが、写真家の指示で椅子に座り、ポーズをこうして視線はこちらへ。そして写真家のタイミングでシャッターが切られ、数秒の露光時間、じっとしていた。ことが表現されているに過ぎない。ようするに私の場合、写真スタジオで写真撮られているエドガー・ポーを作る訳ではない、ということである。むしろこの後、飲みに出かけて飲みすぎたろう、などと想像しなければならない。

※世田谷文学館にて展示中。

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エドガー・アラン・ポーの第1作目は、ただ立っている、まずは基本の像にするか、“恐怖の”振り子が迫っている状態のいずれかにしたい。そろそろ振り子も友人に制作を依頼しないとならないが、あまり重すぎても都合が悪いので、大きさと厚みの兼ね合いが難しい。まず粘土で試作してみた。こうしたものは例えば鉄板、アルミ、アクリル板など、届いてみたら厚過ぎた、などのミスが起こりがちなので、念のため、目で確認しないとならない。 それにしてもおかげさまで。捕らえられた男が無理やり仰向けに縛られ、上から刃の付いた振り子が己の心臓めがけて徐々に降りて来て恐怖に戦慄している。というなんとも奇妙な場面を作れるわけである。なんでこんなことで私はウットリしているのか。そのかわり大概の人がウットリすることで私はウットリできないから、こんなことになっている。 何度も書いているが、これは私の生い立ち経験、もちろん努力とは関係がなく、初めからこんなように生まれてきたので私に責任はない。しかし妙なことにばかりウットリする息子を危ぶんだ母の、“どこも優れてなくて良いから、目立たず大人し生きよ”という教育のおかげで、人間関係の失敗はない。その代わり、未だに、こんな物ばかり作ってしまい、という罪悪感のような物が払拭できないでいる。まあそれは、やっちゃいけないことは楽しい、と快感に変換できる程度のことかもしれないが。 それにしても84歳の母が、帝劇の『レ・ミゼラブル』の楽屋で、我が息子の前で出演者の今拓哉さんにハグを要求したり、カラオケでデュエット相手の顔を下から見つめながら歌っているところを見て“私にいっていたことと話が大分違うじゃねェか”と思う私であった。

※世田谷文学館にて展示中。

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一日  


先日久しぶりに『オイルプリント』をやってみて、“ああこういう事故が起きたな”と思い出しても、その対処法まで思い出せなかった。 当時の文献を読むと、そこら中にアマチュア芸術写真家がいて、道具、材料が普通に売っていた。しかしインターネットにもまだ情報がなく、肝心の絵の具の硬軟、ブラシのストロークも不明であった。当然、質問に答えてくれる人もいない。用語など、話し合う相手がいてこそである。 しかしゼラチン紙に塗布する重クロム酸アンモニウムの感じや、焼付ける度合いなど、少しづつ思い出してきた。 私は薬品問屋から入手した精製されているゼラチンを使用したが、これが冬の寒い時期でないと、なかなか固まらず、固まらなければ乾かしようがなかった。(大量に作るには家中の壁に画鋲でとめて乾かした)しかし、当時の文献には季節には特に頓着していない。これが不思議であったが、田村写真の田村さんが、写真用のゼラチンを調達し、それがある程度気温が高くても固まるのであった。つまり私は冬の寒い時期にしかオイルプリントを試みたことがなく、先日の実験で勝手が違うのは当然のことであった。しかし祈るようにプリントした記憶は身体に残っており、回復するのは時間の問題であろう。
本日最後にたどり着いた店では、同行したMさんと、店主のHさん。共に娘の結婚を間近に控えている。この砂糖と塩を同時に口に放りこんで、それが気取られないよう強がっている二人の微妙な空気に居たたまれず。

※世田谷文学館にて展示中。

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9月に写真の古典技法によるグループ展に参加を予定している。田村写真で作った田村印?のゼラチン紙のテストを兼ね、久しぶりに『オイルプリント』を試した。何しろ忘れてしまっていて自分のHPを見る始末である。 この技法は数ある古典技法の中の一つであるが、すっかり廃れており、大正時代の文献を頼りに試み、2000年年に立ち上げたHPも、主な目的の一つはこの技法公開にあった。 国内における芸術写真と称されたピクトリアリズムは、大正時代を中心に、富裕なアマチュア層が支えており、世界の写真界の動向も、いち早く知ることができた。当時のプロといえば写真館の写真師だが、ピクトリアリストからすると、 チャレンジ精神の欠如した古臭い連中とみなされていた。しかし歴史は動く。先端をいっているはずのピクトリアリストも、レンズを通し、対象を冷静に見つめるリアリズム写真の流れに抗しきれず、絵画を模倣した古臭いサロン写真とされ消えていった。 私は試作をくりかえしながら、この金持ちの爺ィどもを倒す!とむやみに敵愾心を燃やしたが、それはモノクロとカラーの銀塩写真全盛の時代に、様々な技法が当たり前に存在した時代に対する羨ましさと、写真を発表するつもりもなく、ただやってみたいというだけで人形制作を放っぽり出している罪悪感に耐えるためであった。 当時古くからの友人は、私が機械音痴のカメラ嫌いというのを知っていたので、友情を持っていい加減にしろ、といってくれたものであるが、しかし不倫の恋に燃える柳原白蓮の如く、そんなアドバイスも妙なる音楽にしか聴こえない当時の私であった。

プリンターにより出力されたネガ。左から『今古亭志ん生』『ドストエフスキー』『九代目市川團十郎』

太陽光による焼つけ。この後水洗し、ブラシにより油性絵の具を叩きつけていく。

インキング中映像↓

https://www.facebook.com/photo.php?v=248146845373855

※世田谷文学館にて展示中。

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