女性器の3Dデータを配布したと、わいせつ電磁的記録頒布の疑いでアーティストが捕まった。無事釈放されたが、こういう活動は捕まってこそであろう。警察も動き、ちゃんと世間の目を向けることもできた。それにしても、今時あれで猥褻というのもズレている。私にしてみると猥褻と聞くとむしろ家庭、もしくは家庭生活。という言葉が浮かんでしまうから人それぞれなのかもしれない。 以前書いたことがあるが、私が件の“猥褻物”を初めて見たのはTVのたぶん『性教育を考える』という番組である。おそらく中学1年。70年ではなかったか。 母方の祖父が亡くなったと学校に連絡が入り、急遽駆けつけたが、数日前、自宅で癌を患い伏せっている祖父を見舞って覚悟はすでに出来ていた。いってみると近所の人も手伝いに来ており、私がいても邪魔なだけなので、隣の伯母の家にいろといわれた。昼間その番組をやることを知っていた私はこれ幸い。スゥエーデンあたりが制作した番組の、性器も露な男女のヌード、出産シーンを観ることになった。幸いとは不謹慎であるが、中学一年生の男子にとっては一大事である。ただこの時点で祖父の死がピンときていなかったのは確かであった。 その後火葬場へ行き骨を拾い、夜寝床に入ってからである。祖父は焼かれて物になってしまった。もう会えない。私もいずれああなるのは決まっている。私は生きていることになっているが生きているとはどういうこと?急に被っている布団から見上げる天井から空々しく思え、物凄い恐怖が襲ってきた。この恐怖にコントラストを与えていたのは昼間見た場面であったことは間違いがない。生から死へと触れ幅の大きすぎる一日であった。 私は、小学生の時、母が隠し持っていた石原慎太郎著『スパルタ教育』を“敵”の作戦を知るため先に読んでしまって以来の石原嫌いである。しかし、古い記憶ゆえ定かではないが、子供に遺体といったか死体といったかを見せろ。という項があったと記憶する。それは間違いなく意義のあることであると、経験上からも思っている。
※世田谷文学館にて展示中。
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