明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


母は毎月写経の会に通っている。ところが錦糸町のバスターミナルに、財布の入ったバッグを置き忘れてバスに乗って来てしまったという。すぐに警察に連絡したようだが、「錦糸町のバス停に置きっぱなした財布が出てくるわけないだろ」。(特に他意はない)どうせ何かを探してゴソゴソしていて忘れたに決まっている。母は典型的な、カギ閉めたか、ガス止めたかタイプである。ところが落し物として届けられたという。「錦糸町で財布がでてくるなんて奇跡だよ」。(やはり他意はない)母は電話で不思議だ々と繰り返す。写経のおかげだといわんばかりである。もちろん一番不思議なのは、あんな所にバッグを置いてくることだし、写経やってなければ、何も起こらなかったのだ、と念を押しておいた。 先日、ある有名であろう外国の彫刻家のエドガー・ポー像を見て、私が何をしたいか、しようとしているかを再認識した。この彫刻家と違って、残された肖像写真に写っていないところが見えなければ私の場合話にならない。肖像写真は写真家の物である。そんな物に簡単に乗っかるわけにはいかないのである。写真に写っていないところを探す為、本日も全集の中から数編選んで読んだ。 写真を素直に受け入れないでいると、おかげで写真師が修正した夏目漱石の、まっすぐな鼻筋に騙されないで済んだりする。ただ今世田谷文学館に展示中の私の夏目漱石は、ちゃんとカギ鼻である。漱石自身が写真師に指示したに決まっているが、残念でした。そうしたいなら俺が死んでもデスマスクは取るな、といっておくべきだった。

※世田谷文学館にて展示中。

過去の雑記

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