明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



肖像写真には、被写体の、こう写されたい、写って欲しいという願望がでているものである。同時に写す側の思惑も当然加わっている。さらに立体物という物は、ライティングにより、表情が違って見えるのは、私の写真作品が、頭部はただ一つなのに、何種かあるのだろう、としばしば指摘されることでも判る。 ポーのイメージに良くも悪くも貢献しているこの写真が撮影されたのは、死の前年。前の年に貧乏のどん底で妻を亡くし、本も売れない。そしてある夫人に強引に結婚を迫る。おそらく同情もあったろう。酒を断つことを条件に、なんとか承諾を得るが、飲酒がバレ、破談になった頃の撮影である。まさにそんな顔であろう。 これがポーの常態であり、すべてであれば、美しく幼い妻を得ることなど、まず周囲が許さないであろう。ポーに対する同時代人の証言の中には飲酒癖にたいする物も当然あるが、品があり立派な態度の紳士であったり、ハンサムであった、との男性の証言、頭の形が美しいという複数の証言もある。 つまり写真が仮に字義どおり、“まことを写す”物であったとしても、単にある日のスタジオにおける、エドガー・ポーが写っているに過ぎない、と何度も書いたとおりである。私のポーは当然それを踏まえた上で作ってある。 だがしかし、後世、デフォルメされた首振り人形やイラストTシャツなど、キャラクター商品が作られ続けるのは、皮肉にも不幸のどん底で胃液が上がってくるのをなんとか我慢しているような、このカットがあるからこそである。

※世田谷文学館にて展示中。

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