エドガー・アラン・ポーの第1作目は、ただ立っている、まずは基本の像にするか、“恐怖の”振り子が迫っている状態のいずれかにしたい。そろそろ振り子も友人に制作を依頼しないとならないが、あまり重すぎても都合が悪いので、大きさと厚みの兼ね合いが難しい。まず粘土で試作してみた。こうしたものは例えば鉄板、アルミ、アクリル板など、届いてみたら厚過ぎた、などのミスが起こりがちなので、念のため、目で確認しないとならない。 それにしてもおかげさまで。捕らえられた男が無理やり仰向けに縛られ、上から刃の付いた振り子が己の心臓めがけて徐々に降りて来て恐怖に戦慄している。というなんとも奇妙な場面を作れるわけである。なんでこんなことで私はウットリしているのか。そのかわり大概の人がウットリすることで私はウットリできないから、こんなことになっている。 何度も書いているが、これは私の生い立ち経験、もちろん努力とは関係がなく、初めからこんなように生まれてきたので私に責任はない。しかし妙なことにばかりウットリする息子を危ぶんだ母の、“どこも優れてなくて良いから、目立たず大人し生きよ”という教育のおかげで、人間関係の失敗はない。その代わり、未だに、こんな物ばかり作ってしまい、という罪悪感のような物が払拭できないでいる。まあそれは、やっちゃいけないことは楽しい、と快感に変換できる程度のことかもしれないが。 それにしても84歳の母が、帝劇の『レ・ミゼラブル』の楽屋で、我が息子の前で出演者の今拓哉さんにハグを要求したり、カラオケでデュエット相手の顔を下から見つめながら歌っているところを見て“私にいっていたことと話が大分違うじゃねェか”と思う私であった。
※世田谷文学館にて展示中。
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