明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



蛸と画狂老人北斎は、後は頭部を着彩して乗せるばかりだが、着物や、特に蛸の色調整をしなくてはならない。北斎の手足、着物、蛸の足がからみ合い、画像のレイヤー(階層)を統合したくてもできないのが面倒である。一番の問題は蛸の色である。北斎も赤い色をつけているが、蛸といえば赤というイメージがある。環境により、どんな色にも変化するが、茹でた時の赤いイメージが強いのであろう。撮影した原色のままではリアル過ぎて気持ちが悪過ぎる。目玉も凶悪過ぎて北斎の画ほどではないが、丸い目玉を創作しないわけにはいかなかった。 酢蛸くらい赤くして丁度良いかもしれない。あれは食紅の色なのだろうが、蛸は赤のイメージから、またお目出度くしたのではないか。酢蛸一歩手前まで赤くしてみると、ヌメリを取ったせいで象の化け物めいていた質感の気持ち悪さが軽減した。このぐらいウソ臭くして丁度良い気がする。それにしても良くこんな物食ったな、と思いながら制作して来たが、そうしたのは私なのであった。 ユーチューブにアップしていた江戸川乱歩の朗読ライブ『人間椅子』が長過ぎるとかで、いつのまにか削除されていた。なんだか良く判らない。公開しないままになっていた『白昼夢』をアップしてみたが、公開されていない。なんだか良く判らない。

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載6回「夏目漱石の鼻」

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1時に北斎の身体役をやってもらった爺さんのアパートに集合。爺さんの後輩であるトラックドラーバーSさんに着物を羽織ってもらい撮影する。爺さんにはパンツ一丁で股を広げ、大蛸に奪われそうな画帖を死守する北斎の身体をやってもらったのだが、今回はポーズこそ同じだが、合成する着物部分だけなので、裸である必要はない。 私の撮影は、完成形が私の頭の中にあるだけで、現場は馬鹿馬鹿しいことが多いが、今回は馬鹿馬鹿しさの記録を更新しただろう。しかしこういうことを経ないとできない画が浮んでしまうのだからしかたがない。またこういうことに付き合ってくれる仲間がいるというのは何よりである。撮影終了後、元トラックドライバーと現役ドライバー2人と4人でサイゼリアに向かい打ち上げ。ビールで乾杯の後、マグナムワイン。以前は読書しながら一人で飲んでしまっていたこともあったが、可愛らしい母娘の視線を感じ、携帯電話見ながら、つい“待ち合わせているアイツはいつになったら来るんだ”的な演技をしてしまって以来止めた。こんな打ち上げは、撮影が馬鹿馬鹿しいほど肴になる。アナログカメラの頃は現像するまで安心出来ず、落ち着いて飲めなかったが、その点デジタルは確認できるから安心である。楽しく飲みながら、帰宅後その数倍楽しい作業が待っているかと思うとまたワインも進むのであった。帰宅後即作業開始。こういう時は勿体ないくらい酒が醒めるのが早い。陰影を出さずに撮影した画像は蛸でも着物でも、切ったり貼ったりが樂である。無事、裸の北斎に着物を着せ終わる。 

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

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昨晩は私の作家シリーズに転向直後からの知り合いの編集者と飲んだ。昨年の円朝以来の一連のプリントを見せる。作品の変化は予想していなかったようであったが、作っている本人がそうなのだから当然であろう。思えば作家シリーズへの転向は、始めて自作の人形を撮影した写真を人間の実写だと間違えた雑誌編集者がいたことがきっかけであった。リアルだといわれて喜ぶはずが、人形を使って実写と見まごう物を良く作りましたね、といわれているようで、次第に不機嫌になる私。そこで作り物でしかできない写真を、と翌年作家シリーズに転向し、澁澤龍彦には空に浮んでもらったりした。しかしそういう動機で始めたはずであったが、陰影を案配し、そこに在るかのように撮影を続けて来た。それが写真なればこその面白さなのであったが、頭の中のイメージを取り出し可視化するのが私の制作だ、といいながら頭の中のイメージに陰影などない、と昼間街を歩きながら気付いてコンビニの袋を落としそうになったのは昨年である。 今になって思うと、私の創作について考えるきっかけになったのは、鏑木清方作の円朝が写真の円朝と似ていなかったことであったろう。葛飾北斎の娘を描いたドラマで長塚京三演ずる北斎が、西洋画を見つめ「そのまま描いていやがる」。 明日は飲み仲間のトラックドライバーに着物を羽織ってもらい撮影し、北斎に着せ、最後に筆を横銜えした頭部を配すれば完成である。北斎に「そのまま描いていやがる」。とだけはいわれないようにしたい。

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実在した人物は、依頼がない限り作らないといってるそばから作り始めた葛飾北斎だが、有名な北斎の春画『蛸と海女』のように北斎が蛸に絡まれている画が浮んでしまい、しかしそんな物作ってはいけない、と葛藤しながらT千穂のカウンターに。隣にいたIさんに北斎作りたくなった話しをすると、以前、女性に蛸が絡んでいる作品を見せていたことからの連想だろうが「北斎と蛸を絡ませたりして」。驚いていると、Iさんの奥さんがみえて、今日墨田区にできた北斎美術館に行って来た、という。これで腹が決まった。ユングいうところの意味ある偶然ではないが、こういう流れには逃さず乗ることにしている。案外こんなことで方向に変化が生じることがあるが、性能の悪い頭でひねり出した方向で良かったためしはない。むしろ棚から突然落ちて来たボタ餅のようなイメージは逃さず、東洋の魔女のレシーブのようにかならず拾って来た。おかげで行き先はサッパリ判らず。 北斎も佳境に入り、ムクムクと思い出されて来たのが『寒山拾得』である。これがなんで昔から気になっているのか自分でも理由が判らないが、いつかよぼよぼ爺さんになった頃、墨絵でも始めるのかな、と漠然と考えていた。昨年、鏑木清方作三遊亭円朝像へのオマージュから始めた立体から陰影を排除して、という手法をやってみて、これなら身も蓋もなく写ってしまう写真でも寒山拾得図が可能ではないか、と思い始めた。そして谷中の全生庵に円朝旧像の幽霊画とともに1ヶ月円朝像を展示していただくことが決まり、そこが中国の寒山寺と同じ臨済宗の禅寺と知った時、玄関先で『そう来たか』。帰り際、「いずれ寒山拾得作ります。」思わず口走っていた。 私はバプテスト系の幼稚園に通い、卒園後も日曜学校に通わされて以来の、神も仏も無い派ということになっているが、どうも上の方にシナリオ書いてる奴がいるな、とは薄々感じてはいる。終いには唐突に100年ぶりに発見された鏑木清方作のお菊さん図が私の円朝像の側に来た時は、『いくらなんでもこれはやり過ぎだろ』。

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午後、制作途中ではあるが、北斎を見たいという方がみえたのでヨーカドー内の店でお見せする。極近所ではあるが杖を持たずに出かけられた。 この北斎は杖をついて遥か遠くの富士を眺めている図になる予定だが、ストレートに写真で、と思うと、富士山とそれを眺めている北斎の顔を、同じ画面には当然入れられない。しかし陰影を排した北斎には斜め正面を向かせ、実際は背後にある富士を眺めているという設定にする予定である。当然実物の富士山ではヘンだろう。今の所北斎の赤富士あたりを考えている。 日本の絵画には昔から背景に心象風景や物語を配して、主人公の内面を描く、という手法が普通に行われて来た。陰影、光と影という物理的なルールを排しただけでこれが可能になるのではないか。そもそも西洋に光源は1つだろうが日本には便所にまで神様がいるのである。写真とは陰影をいかに捕えるかの芸術だ、という考え方もあるが、富士山と、それを眺める北斎を共にこちらを向かせられるのならば、私にはどうでも良い。どうせ北斎だって私が作った物。ウソもホントもあるかい、という話しである。ここにきて写真を始めた当初から常に苦々しく思い続けて来た“まことを写す”写真という意味から決別することができるだろうか。
以前家にいると、トタン屋根に雨だれのような音が46時中聴こえ、エドガー・ポーの『告げ口心臓』ではないが、それは私の鼓動だった、ということがあり、それはプッツリ途絶えたが、最近はかすかに遠くの踏切のような音が聴こえる。静かな時に限るし、なんだかシミジミしてるので、良しとしている。

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

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午前中、再び整体へ。昨日より若干ではあるが樂。午後には出かけなくてはならないので今日も来たが、『貝の穴に河童の居る事』(風濤社)で旅館の番頭がマテ貝の穴に隠れた河童の肩を突きくじいた杖なしでは未だ長い距離は歩けず。結局駅の階段など考えタクシーで。 昨日、ゲンセンカンの女は、暴風の中男が現れる前の状況に変えた、と書いたが、つげ作品中では、女は寝化粧をし、身だしなみを整え男を待っている。しかし私のゲンセンカンの女は、そのしどけない様子から、どう見ても“事後”だろう。男が現れた場面だった前作では目つきが淫媚な期待感を表していたが、こちらは同じ目つきがゲンセンカン主人を確保した歓びに見えてくる。 男を待っていた前作、前々作、前々々作は間違いで、事後ということでこちらが正解。結果メデタシである。撮影中は女の露出加減ばかり気にして、そこまで頭がいかなかった。しかし始めから事後のつもりで制作していたら、私のことだから簪はずれ髪は乱れて、と盛り上がってしまい、やり過ぎてまた女性連からの顰蹙を買っていたであろう。私が程良きところを知らない、と観る向きもあろうが、やり過ぎて始めて見える景色もある。「そうだろ?八ちゃん」。モニター上で葛飾北斎にからむ蛸を見つめる私であった。



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始めて整体なるものに行った。ギックリ腰をやった時にも行ったことはなかったが、脚が痛くて休み々でないと長い距離が歩けず。膝から下にビリビリと激痛が走る。保険が効くというので治療費は安かったが劇的な改善とはいかず。針がいいのだろうか。明日午前中にもう一度行くことにする。 葛飾北斎はすでに仕上げの段階に入っており草履を履いた足の部分と杖を持つ両手、杖さえできれば着彩に入れる。しかしここを急ぐと良いことはない。「蛸と画狂老人」の方は、日曜日にも手持ちの着物を着てもらって撮影の予定。そもそも北斎の身体用の爺さんが、もう少し大きければそのまま着せて撮れたのだが。 今春予定している個展は、昨年来やっている陰影のない写真を日本絵画的ということでピクトリアリズム3として予定しているが、手漉き和紙にプリントして映えるならば、特にこだわらないことにする。それならば燃える金閣寺や、房総の海女風景も出品できる。 『つげ義春トリビュート展』に出品した作品もちょっと雰囲気を変えて出品する。外の暴風を表すため障子に斜線を描いてしまったが、そんな表現はトリビュート展なればであり他所ではヘンであろう。男がまだ上がって来る前にした。前作を横位置にしたのは横に放り出した左脚を切るのが惜しかったからだが、横位置が苦手なので楯位置にした。4作目にして大人しくはなったが落ち着いた。私もしつこい。3ヶ月病院で寝たきりにされ歩けなくなった88の母がシルバーカーで歩くために執念を燃やすのを見て“これも母由来か”。もっともあちらはリハビリ担当がちょいと良い男なのだが。つげ義春ゲンセンカン主人より『ゲンセンカンの女』


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貴乃花が黙っている、話すべきだ、とずっとボンクラキャスターが喧しかったが、相撲界のために黙っている、ということが安藤優子あたりにはまるで判っていない。相撲協会の方が逆に内心手を合わせているくらいだろう。貴ノ岩は災難だったが、貴乃花に取れば改革の一歩のための千載一遇のチャンスに思えただろう。かつて若貴兄弟対決のとき、貴乃花が父親の二子山に「判ってるな」と星を兄に譲ることを示唆された話が事実ならば、当時洗脳騒動となった先代との不和その他、今の行動に至るまでの説明がつく。 星の貸し借りがなくなり、すべてガチンコになれば怪我は増えるだろうが、大きくなり過ぎた力士が戦後すぐの栃若時代とはいわないが、せめて40年前くらいの体型に戻れば良いこと尽くめである。 この間まで最下層の若手力士が「今日は郷からお袋が観に来るからラーメン一杯で頼むよ。」なんていうのは有りだと思っていたが、力士を育てる貴乃花の親心を知るにつけ、そうは思えなくなった。そもそも可愛い子供の頃の光司君から知ってるから、つい無愛想で偏屈に変わってしまった、と思ってしまうが、もう45歳だし、かつての父親はみんなああだった。私の父が子供の前で見せたギャグは、納豆をかき回しながら器を逆さまにして見せた、たったその1回きりである。

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相撲界もここのところモンゴル出身力士のことで随分騒がしいが、高見山から始まる外国人力士への門戸を開けたのは高砂の前田山英五郎である。その猛烈な張り手は相撲の技ではない、と論議を呼んだ程だったが、粗暴な性格、素行ゆえに条件付きで横綱になっている。腕の病気を治してくれた前田博士の名前をいただいたのはいいとして、ついでに大前田英五郎つまりヤクザの大親分の名前までいただくという人物であった。休場中に、来日したフランシスコシールズ対巨人戦を観に行き、監督のオドールと握手している写真が新聞に載り、引退することになる。高砂部屋の朝青龍が引退に巻き込まれた騒動の時は勿論これを思い出した。 今話題の富岡八幡宮で白鳳を見た時、胴体から発するオーラのような物に圧倒されたものだが、最近は相撲は土俵下に落とし合うゲームだと思い込んでいる節がある。立ち合い不成立を主張したり、万歳三唱で愛想が尽きた。結界である勝負俵を踏まないようすべきところ、白鳳はまるで青竹踏み代りである。深川江戸資料館の江戸の下町を再現した建物でさえ、敷居を踏んでいた子供がお年寄りに叱られていた。 それはともかく。貴乃花が闘っているのはモンゴル力士云々ではなく、金銭の授受さえなければ星の貸し借りは八百長ではない、という協会内の体質であろう。人数が多い分タチが悪いのがモンゴル互助会であり、いうことを聞かない貴乃花の弟子にヤキを入れたということであろう。 私が最も好きだった力士が“休場は負けと一緒”と大関陥落覚悟で土俵に上がり続けた魁傑だが、11代理事長放駒として相撲界のクリーン化が期待されたが亡くなるのが早かった。その放駒が育てた“ガチンコ”横綱の大乃国の芝田山に期待である。甘い物食ってる場合ではない。

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腰痛が痺れをともなった右脚の痛みとなり近所にも出かけられず。無理しても歩いた方が、と思いながら痛くて戻る。これは制作を続けろということだろう。 昨日は、架空のジャズマンの頭部をちょっとやってみた。粘土を袋から取り出し、おおよその頭の量の粘土を取り出すのだが、当時は、掴み出した粘土の様相が、後々までその人物のキャラクターに影響する場合があるので、ファーストコンタクトは案外大事で、適当に粘土を取る気にはなれなかった。懐かしい心持ちである。黒人特有の骨格にするため、粘土を盛って行く順番も決まっており、こういうことは忘れないものだな、と思った。こんな調子でやってきて、突然96年より日本人制作に転向したのだが、黒人のプロポーションに慣れていたので澁澤龍彦など、何度脚を切断しただろうか。 好みの顔など変わってはおらず、昔と同じような人達を作る事になるだろうが、多少の違いが出てもらわないと困る。また架空のミュージシャンといってるだけで、楽器は一切作らない。私が止めた理由の30パーセントはこれである。ただ実物の楽器に似せて作るなんて、苦痛以外のなにものでもない。子供の頃から写生など、観察しながら何かをするというのが嫌でたまらなかった。それが皮肉な事に96年のジャズシーリーズ最後の個展以後、作家シリーズでは写真を穴の開く程眺めながら制作することになった。しかし朧げな写真という間接的なイメージを、伝記その他を読みあさり、立体的に頭の中で作り上げるので続いたのであろう。そこが楽器などの小物を作るのとは違う。北斎立像仕上げに入る。

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一日  


朝呼び鈴で起される。ついさっきまで北斎を作っては乾かししていたし、腰の痛みが太腿奥や膝下に移動しているので立ち上がるのも難儀であったが、出てみると、向こうのお宅の呼び鈴を押してる二人組。“ああまたあれか”昔のアメリカンコミックみたいな安手の印刷物配る連中である。今日は子連れでない分まだましだが。 北斎を作りながら、そろそろ架空のジャズマンの頭を試しに作ってみようか、と。学生時代の友人が、昔買ってくれた作品を久しぶりに飾ってくれているとフェイスブックで見たのがきっかけである。 私が最初に架空のジャズ、ブルースマンで個展をやったのが、82年である。あれでまた今年個展を、という話しをいただいている。やるといったものの、何十年も作っていないので、期日など決められないでいる。頭が1つできれば、見えてくる物もあるだろう。話しをいただいた時、周囲に「冗談じゃないよな今さら。」と同意を求めた友人達が、全員やれ、という。確かに荷風を作れば荷風ファン、乱歩作れば乱歩ファン、せいぜいそんなファンが喜ぶだけだ、と連中は口を揃えていう。初期の作品は架空の人物なので飾りやすいとも。そういえば、駅ばりの企業ポスターや、TVCM、雑誌に使われたりしたのもそのせいであったろう。 初個展の直後に川崎麻世司会のTV番組に出た。人形だけで私は出演しない約束だったが、デイレクターと私が揉めているのを夜遅く、スタジオ中の疲れた顔のスタッフが見つめている空気に負けた。その代わりタレントみたいに、同じことを初めてみたいな顔して何回もは恥ずかしくてあいえないので一発で、という条件で。第一回と二回の二本撮りで、この新番組、まだ誰も観てないのに感想のお葉書が着ていた。東京12チャンネルからテレビ東京に変わった頃だったか、まだオールナイトフジも始まる前の深夜番組であった。歌のコーナーのパンジーと扇ひろ子が目の前で観られたのは良かったが。
 
2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

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以前から耳に入って来ていたが、ここのところよく私の作品を壁に飾る人なんかいない、といわれる。確かに独身者ならともかく、という気はする。それに好きな小説家がいたとしても、本人自体の姿には興味がないから、という意見も複数の、特に女性にいわれる。いわれればもっともだが、長年続けて来た私にすれば、それをいっちゃお終いである。 蛸なんてグロテスクな物をまた、ともいわれるが、気持ち悪いといえば気持ち悪いが、葛飾北斎がフンドシも露に蛸に襲われながら絵筆を離さない、というのは画狂老人という感じで面白いのではないか。さらに蛸が本物でグロテスクな方が、だからこそ面白いだろう、とも。 私の人形作品を初期の頃から何十体も所有されている方がいて、震災の時、随分破損したのではないか、と連絡を取ってもらったら、全部、箱に入れてしまってあるから大丈夫、というお返事であった。こういう方もおられるのである。独身である私も、壁に飾るには様々な理由で差し障りがあるが、大事にしているコレクションはある。であるから、奥さんの帰省中や娘が学校に行ってる間に眺めては仕舞う。そんな作品であってもいいのではないか。家庭の団欒を彩ろうなんて作品は世の中にいくらでもある。



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TVの前でごろごろしていたせいで腰痛がでる。 最初に制作を始めた北斎の立像が、蛸にかまけて途中になっているのをいい加減完成させなければならず、友人宅から足を引きずりながら帰る。ギックリでなかったのが不幸中の幸い。頭部はとっくに出来ているが、蛸に絡まれながらも絵筆を離さず、口にも1本銜えている状態の口なので、蛸用にとっとと撮影し、口を直さなければならない。過剰な老人という設定である。私の大好物。 幼い頃から人物伝を読み続けて来たが、特に好きなのは、やり過ぎた人、はみ出た人、大き過ぎた人などが特に大好物であった。昔、今では潜入が容易でない、東大医学部標本室に潜入したのは文ちゃんこと、巨人力士、出羽ヶ嶽文次郎の骨格標本見たさであった。昔、段ボールかなにかに未整理のまま、牛か馬のような骨が突っ込まれているのが発見された。亡くなった時、遺族があわあわしている前で東大に運ばれ、解剖されてしまった。残念ながら出羽ヶ嶽の骨格は観られなかったが、広田弘毅のプレートが貼られたケースの中に、夢野久作の父、杉田茂丸夫婦の骨格標本がぶら下がっていてびっくりした。これまた様々な意味で大きな人物であった。

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昨年中に完成させる予定だった蛸と画狂老人葛飾北斎の修正。私のフォトショップは旧くて画像を自由に歪ませるワープという機能が付いていない。友人宅にて蛸に奪われないよう手離さない画帖を、開いたように曲げ、どうしても不満が残った蛸足一本の修正をする。そういえば『貝の穴に河童の居ること』でも、素人である出演者の娘がたった数ヶ月で痩せてしまい、着物にタオルを仕込んだりしたが、どうしても一カット、頬っぺたを膨らませるためだけにお邪魔した。 やはり他所のモニターで見てもバランス的に見て蛸がリアル過ぎ、粘土製着物が浮いてしまう。せっかく作ったが削除だろう。そもそも北斎役に実物のじいさんを起用したのは実物の蛸に対応させるためであったが、そのじいさんが、160センチでなく、もう少し大きければ、手持ちの着物を着てもらって撮影すれば何の問題もなかった。しかし私の中に、北斎の頭部以外にも、私の作った嘘を混ぜてバランスを取りたい、という気持ちがあったことは否めない。虚実のバランスがこれからも私の課題であろう。着物を誰に着てもらうか決まるまで、明日からは遠くの富士を眺める立像の仕上げを急ごう。

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