明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



リコーの会場に着いて早々、今 拓哉さんから会場に向かう旨メール。すでに一度来ていただいている。ほどなく先に奥さんの岩崎宏美さんがみえる。今回もご夫婦で長居していただいた。宏美さんも三愛で水着を買ったそうである。女性が東京人のふりするには、三愛で水着を買った、といって遠い目をするのは有効であろう。会話中、宏美さん鼻歌がでる。そこらに転がっている人の鼻歌とは訳が違う。つい「ぁ、歌っちゃった。」と私。 宏美さんとは最初に母が新聞社に電話して東京外のどこかのコンサートにでかけたのが最初だったろう。次は宏美さんのコンサートに二人でいったか、今さんが王様役のミュージカルだったろう。楽屋で母が今さんに「ハグして!」その時は笑ってしまって撮れなかった。記念のハグ写真が実現したのはレミぜの楽屋であった。母は今さんにいただいたDVDはセリフも覚えてしまうくらい観ているらしい。お二人とは今年亡くなった行き付けの煮込み屋の女将の話から、芸能界の○○話から。観てきた芝居の話まで。そうこうして宏美さん再び鼻歌。「2曲目歌っちゃった」と私。「じゃ600円」。と宏美さん「それは安い。」と今さん。楽しく過ごさせて頂いた。 夕方頃、ついうとうと。受付の女性が「エスプレッソマシンかと思った。」個展会場でイビキはいけない。 23日のトークショーは予定の30人に達したそうである。有り難うございました。25日のトークショー江戸川乱歩の孫の平井憲太郎さん×推理小説研究家山前譲さんも引き続きお待ちしています。

平井憲太郎×山前譲トークショーは8月25日(土)となりました。お申し込みは下記まで。
石塚公昭幻想写真展-生き続ける作家たち- 2018年7月25日(水)~9月2日(日)(火休)

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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載9回『牡丹灯籠 木場のお露』

展評銀座青木画廊『ピクトリアリズムⅢ』


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一日  


定食屋に入るとご主人が従業員についてこぼしだした。物覚えが悪い、いくら教えても時間が経つと忘れてしまう、ミスばかりで、人のいうことを聞いていない、などボロクソである。うちを止めて、どこそこ行く、といっても必ず、使い物にならないと断られる。興味が持続せず、発達障害なのだ、と。適当にうなずいていたが、妙に耳が痛くてあまり笑えなくなる。小学生の頃授業ぬけだして、どこかの施設に母といったことがある。担任の進めによったのであろう。大きな積木などで遊ばされながら、大人が調書を取る。知能テストなども。こちらもバカではないから、いたいけな子供を演じてサービスしてあげた。まったくろくなことはなかった。落ち着きがなく、多動症気味でもあった。彼と違っていたのは、好きなことさえやっていれば何時間でも集中して大人しくしている。以来何も変わらずこの調子なのだが、多動どころかピクリともせず制作している。逆にいえば、何も変わらず思春期の頃、遠くを見る目で押し黙ったりする連中のことが理解できなかった。物心ついた時には伝記の類いを片っ端から読んでいたし、人の形に興味があった。プロレス、相撲、ボクシング、東京オリンピックすべて、人の様子に対する興味だった。その挙げ句がこれか。と飲めるようになったコーヒーを飲みながら会場にて。23日のトークショーはお陰さまて、予定の30人にあと数人となった。

平井憲太郎×山前譲トークショーは8月25日(土)となりました。お申し込みは下記まで。
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今は新潮社の全集にDVDが入っているがYouTubeで『憂國』が見られる。1983年、作品を購入していただいたデザイナーに作品を届けに、阿佐ヶ谷だか高円寺だかのガード沿いの道を歩いていたら、向こうから3年前『狂い咲きサンダーロード』で衝撃を受けた石井聰亙(現・石井岳龍)が歩いてきてすれ違った。  事務所に着くと、今手が離せないので、ビデオでも見ていて下さいといわれた。ずらりと棚に並ぶ中に『憂國』があった。三島の奥さんが廃棄させた、と聞いていたので、何故ここにあるのかは判らなかったが、かなり驚いて見た覚えがある。その時はまさか後に作家像を作ることになるとは思わず、まして三島で個展を開くことになるとは。しかも劇中の切腹シーンに三島は豚のモツを使ったが、私もそうすることになるとは。スタジオに満ちる臭いに閉口して、モツに香水を振りかける三島。こういうことはからきしなのだから、こういう場合止めてあげる人が必要であったろう。当然さらに悲惨な臭いに。後の大黒蜥蜴に兵隊が見えるなんていわれ「磯部か?!」なんてその気になってしまう三島。今回の個展は、作品の選択もほとんどお任せしたのだが、226の将校に扮した三島が展示されるとは思わなかった。あの雪の日戒厳令がしかれ、銀座四丁目も異様な雰囲気だったろう。
石井岳龍といえば、室生犀星の『蜜のあわれ』の作品化を考えていて金魚みたいな女の子を見つけていたのだが、石井岳龍に先に映画化されて断念した。私の場合、犀星の懐から50センチくらいに拡大した本物の金魚をヌルリとまとわりつかせる予定であった。いかん。書いていてムラムラッと来る。              。

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以前から考えていた『寒山拾得図』であるがバカボンのパパとレレレのオジサンそれで結構ではないか、と考えてしまう。「これでいいのだ。」赤塚不二夫はさすが偉い。三島由紀夫はモーレツア太郎のファンであった。 だがしかし、絵で描けばすむものを、(私には無理だが)敢えて私の手法で作ってみたいし見てみたい。
最近の暑さを考えると本当に東京オリンピックをやるのか、と思う。私は一回目のオリンピックをテレビやグラフ雑誌を穴の開くほど見たので、年齢のわりに記憶が鮮明である。私の興味は様々な人種の最高峰の鍛えられた形が見られることにあった。アメリカ選手が格好良く見えたのはUSAの入ったジャージ姿であった。昔、架空の人物で作ろうと考えたことがあったが、もし実在した選手で作るとしたら百メートルのロバート・ヘイズであろう。カール・ルイスを二回観にいったが、ヘイズのガニ股のスタートの迫力は忘れられない。 しかし、東京オリンピックにより東京は一変した。私にとっての東京は、オリンピック以前の東京であり、その後の東京は、何ができて何がなくなろうと、何も感じず興味もない。ただ住んでいるだけという感じである。 一回目ほどの劇的な変化はないだろうが、私はもういい充分である。 猛暑だったり台風だったり個展の最中に、と思うのだが、今回に関しては1ヶ月超の長さで余裕である。しかしこの長さのおかげですでに忘れている連中もいるだろう。こいつはまず忘れているだろうという友人にメールしたら案の定「リコーってなんだっけ?」といわれた。

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縁側  


北斎は画室と縁側の場面を考えている。縁側には庭が続いているが、散らかるたび引っ越ししていた北斎父娘であるから、手入れの行き届いた庭であるはずがない。どこからかふさわしい庭か地面を持ってこなければならないだろう。リアル感は案外こんな所で左右される。画室だろうと縁側であろうと、ただの老人ではなく、“画狂老人”と自ら名乗る人物であることは心得て制作するべきであろう縁側でただ日向ぼっこの老人ではしょうがない。まだ何も浮かばす。例によって、さてどうしょう、なんて考えても、たいしたことは浮かばないであろう。北斎は取り敢えず2体、撮影用の写る所しか作らないのではなく、展示前提の作品とする。朝日新聞夕刊にリコーイメージングの告知載る。このまま涼しくなってくれるといいが。

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23日のトークショーには、近所の方々が来てくれるようだが、なるべく目立たず気配を消していて頂きたい。私に文学について語れといっても無理な話である。そちらは東雅夫さんにお任せして、作家を作る立場という、妙な立場からお話ができれば、と思っている。そうこうして夢を見た。 荒俣宏さんの『帝都物語』に実在した学天即という人造人間が出てくるが、私が発明者にでっち上げられてしまい、いかにも日本的追い詰められ方をして発表会に登壇させられるはめに陥る。圧縮空気で動くらしいことぐらいしか私は知らない。金の流れなど追及されたところで実物を見たこともない。 風呂場に隠れてやり過ごそう、と思い付く。40年前、工芸学校時代先生に引率され、瀬戸に見学旅行に行った。瀬戸の地面を踏んだ時点で私は瀬戸内海の瀬戸だと思い込んでいた。低予算旅行ゆえ、先生含めユースホステルに泊まることになったが、その空気についていけない私と岩手出身の奴とリクレーションとかいう気持ち悪い物が終わるまで風呂に入って隠れていようぜ、と。この経験が夢に採用されたらしい。先日昔の同級生に会ったせいであろう。しかし風呂が熱くて断念。そうこうして、会場がリコービルから向かいの和光に変更になった。ぞろぞろと移動。すると入場を断られてしまう。やはり工芸学校の先生に引率され、和光の陶芸展を見に行ったら、入場を断られてしまった。我々が余程汚らしかったのか、40年前、和光もずいぶんお高くとまっていたものだが、その経験が夢に採用されたらしい。おかげで発表会は中止になり事なきを得た。

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画狂老人葛飾北斎といって浮んだのが蛸に絡まれた北斎だった。通常と違い、最初に大ネタの変格的作品を作ってしまった。あれ以上のアイデアは私にはない。そこでここからは描き損じだらけの画室の北斎をリアルに制作してみたい。撮影場所はすでに決まっている。墨田の北斎美術館に画室を再現した実物大の模型があるが、180センチの大男感が出ていないし、肝腎の顔が伏せていて良く判らない。どこの誰か不明なただリアルな老人である。 画室の北斎は、昼間であれば窓の外、遠くに富士山が見えるのも良いだろう。夜であれば行灯の光で何かをスケッチさせるのも良い。例えば女の脚が覗いているところを見ると、どうやら裸の女を観察し写生しているようである。北斎は刑死人の首を持ち帰ってスケッチしたと伝わっているから、ザンバラ髪の獄門首を置くのも面白いかもしれない。父が学生の頃、友人の下宿に遊びに行ったら日大の医学生がいて、鞄に人の腕が入っていた、と子供の頃訊いた事がある。作り話をでっち上げて子供を喜ばせるようなサービス心が絶無の父であったから、おそらく本当のことであろう。生首の場合、粘土で作れば話は早いが、乱歩の『白昼夢』を手掛けた時、ケースに収められた首は人を使い、それを人形の乱歩が覗き込んでいる所を作った。そこで酔っぱらっては怪我をする、近所の酔っぱらいに獄門首役をやらせるのも一興かもしれない。年寄りの癖に辛い物が幼稚園児並みに苦手だから、唐辛子を騙して食わせて、悶え苦しんでいるところを撮れば自動的に無念の形相の獄門首になるだろう。ただしグロテスクさで見る人を辟易とさせるのが本意ではない。可笑し味の演出が目的の人選であることはいうまでもない。

平井憲太郎×山前譲トークショーは8月25日(土)となりました。お申し込みは下記まで。
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一日  


本日は会場で、舞踏評論家の鈴木晶先生と油井昌由樹さんにお会い出来た。私は幼い頃から人物伝の類いが大好物であるが、バレエを一回観て、演目がニジンスキーで有名な薔薇の精であり、興味を憶えて御著書の『ニジンスキー神の道化』を読んでさらにはまり、翌年コクトー、デイアギレフ、ニジンスキーによる個展を開いてしまった。しかもついでに、廃れてしまって知る人もいないオイルプリントで。ほとんど暴挙としか言いようがないが、やらずにおれない止める事ができない、というのがどれほどのことか、理解している人は、家庭という強力な制御システムに身を置く事はないだろう。同じやらずに居れないといっても犯罪的なことでなくて良かったとつくづく思うのである。 油井昌由樹さんについては何度か書いているが、高校1年の時、当時どこにもなかったバンダナを買いに、輸入アウトドアショップの先駆け、スポーツトレインにお邪魔して以来である。以来といってもその後1983年、油井さんが司会をされていた日本テレビの深夜番組『アートナウ』に出演が決まり、スポーツトレインでUFOの捏造写真を見せられた話をしようと思ったら、黒澤映画のオーデイションに受かってしまって降板され、榎本了壱さんに替わられた。さらにその時、私にマイクを向けていたのが後のSwinging Boppersの吾妻光良さんで、びっくりしてサインをいただこうとして仕事中と断られた。結局高一以来油井さんとの再開を果たしたのは2001年で、以来個展の度来ていただき、本日も刺激的な話を伺う事ができた。

台風により延期になりました平井憲太郎×山前譲トークショーは8月25日(土)となりました。お申し込みは下記まで。
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私の場合、ほとんど独学である。先日同級生と会った工芸学校は、浪人したり短大出ていたり、デッサンなどの経験者とずぶの素人が混在していた。ベーシックの授業でリンゴを粘土で作る授業があった。素人一派は、まず粘土をいきなり実物大に丸めようとする。私もその一派だった訳だが、後に女子美の学長になった若い先生は中に芯があることを意識せよ、といった。陶芸家になりそこねた私には、この一件が、唯一身の為になったと思う。 独学者は長い回り道をする。何かおかしいが、どこがおかしいのか判らず立ち尽くす、なんて悪夢を昔は良く観たものである。その反面、かってに暴走してもとがめだてされない。黒人のブルースマンの中には考えられないような弾き方をするギタリストがいるが、おそらく耳だけをたよりにした結果であろう。加えて盲目だったりすると、さらにほとんどアクロバチックでさえある。私の第六感は、人形を作るのに人形を学んではならず、写真をやるのに写真を学んではならない、といった。入った物は出て行かない。人間はやみくもに学べばいいというものではない。学ぶは真似るところから始まるというが、私はそうは思わない。学んでしまったらできないことが必ず出てくる。 私は田村政実氏のプリント作業を目にして、ここでも私の感は、自己流のヘタクソなプリントは即座に止めてこの人にやってもらえ。早々に確信し、おかげで大事な人生上の時間を無駄にせず済んだ。そしてこういっては失礼だが、スピーカーが良ければ、私の妙な思いつきもちゃんと立派に着地して聴こえるだろう。結果、今回のリコーの特に初期作品は、人形の脚を鷲掴みにしてカメラをおでこに押し当て、撮影して回ったとは思えないであろう。そして何か思い付いては田村さんに相談し、おかげで身につける必要のない技術や知識から自分自身を守れているという寸法である。そして飯沢耕太郎さんに「またおかしな事始めましたね。」と未だにいってもらえている。 私が作品展や、美術館に出かけないのも、生来の出不精をこじらせたこともあるが、他人の表現に感心して吸収している状況ではないという事もあるだろう。おかげで出かけないのだから来て下さい、とはいえないのが珠に傷ではある。

台風により延期になりました平井憲太郎×山前譲トークショーは8月25日(土)となりました。お申し込みは下記まで。
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