明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昨日ホームの母に荷物を送る際、写真店でプリントを頼んだのは覚えているが、荷物に入れた記憶がない。頼んでいるのと受け取った記憶は、そこにプリントがあるかどうかの違いだが、それが判らない。確実にボケは始まっているという事であろう。 方向感覚の欠如した私は以前来た場所で、記憶が鮮明だとしても、行きと帰りの映像が、名前も付けられないまま同じフォルダに格納されているおかげで、自信たっぷりに知ってる覚えている、と歩き、あげくに人に尋ねると、来た道を指さされる事がしょっちゅうである。 肝心なことは忘れるのにどうでも良い事ばかり覚えている私だが、制作においては、そのどうでも良い記憶が大活躍し、肝心なことはほほ役に立たないから、まあ良しとしている。 20年ほど前に東京駅から電車に乗り、走り出した時、一車線おいた向こうのホームに並んだ、前から三番目くらいの男の顔が人の間からちらっと見えた。もし悪魔を作る事があったらあいつを使ってやろう、と未だに思っているので、私に殺人現場を目撃れた犯人は切ない事になるぜ、などと周囲にいっていたものの、前述の調子だと、被害者の断末魔の表情ばかり克明に記憶し、肝心な犯人の顔はからきし、何て事は大いにあり得る。

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『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家た18年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutubeこ2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtube  


『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載13回『月に兎 泉鏡花



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午後図書館で室生犀星。 ミュヘンオリンピックの男子バレーボールの松平監督は、ソビエトチームの敵将の母校の小学校に赴き、通知表を見て一度決めた作戦は変えない人物と判断、勝利した。見習うべき良い話である。犀星の通知表を見に行く訳にはいかないが、代わりに図書館で探求する訳である。 人は写真を撮られる時少なからず自分は、こう見られたいという欲が出るものである。それをすべて真に受けて作っているようではミュンヘンへの道は遠い。自分の鼻の形を気にして写真技師に修正させていた文豪もいたくらいである。そんな事気にしていれば胃だって患うであろう。しかしデスマスクに真実の鼻の形が残っていても、文学展の図録、ポスター、ずっとパテで埋めたような、見事に真っ直ぐな鼻の写真が拝まれ続けるのであろう。もっとも文豪もデスマスクは取るな、と遺言を遺すべきであった、詰めが甘い。おかげで私のような人間にブログのネタにされてしまう。 しかし私も野暮ではない。芭蕉の実像や漱石の鼻筋にこだわったのも通知表を見てしまったからで、中井英夫が禿げを気にしていたと知れば、禿げは誰でも知っている。そんな事は写真に任せておけば良い。結果禿げていないのが惜しいといわれることになったが、夢を見せてくれた人へのささやかなサービスであった。

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造形  


それにしても制作上の思い付きなど、そのままぶつぶつ書いてるブログで良いのであろうか。特に『椿説男の死』(椿説付けておかげで一々石塚版といわないで済むようになった。)など特殊過ぎて人様に披露するような物になってはいないだろう。それが原因で前回は一作も売れない、というワースト記録を作ったが、良く考えれば、いや良く考えずとも、作り物とはいえ、血を流したりして人が死んでいるのだから当然であろう。前回の『男の死』では、全く三島にウケることしか考えていなかった。何て書くと、今回は他の事を考えるのか、と言うと、相も変わらず頭に浮んだイメージを取り出し、それをただ観ていただくだけである。ただ次回は、陰影を出さない手法でもやるので、全身に竹釘打ち込まれ恍惚、いや苦悶の三島が出品できるはずである。 『椿説弓張月』は三島一人の予定だが、白縫姫も方法が見つものなら登場させてみたいが、私にはハードルが高い、そういえば『ゲンセンカン主人』の女は、漫画の登場人物に似せてみたが、これは他所からパーツを持って来て、ではなく、元の顔を、ほぼコピー&ペーストで作った。粘土で造形の要領であり、写真の領域とは最早いえないだろう。〝それでいいのだ〟とどこかのお父さんも言っている。 そう言えば、制作中は考えなかったが、原作者は浮世絵を参考にキャラクターを造形している。

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一日  


『椿説男の死』は、当初三島や乱歩が愛蔵したという、芳年の『英名二十八衆句』のような無惨絵のスタイルで行くつもりであったが、写真では無理と断念。最近書いたが『神風連の乱』で三島に切腹して貰った時、三島が映画『憂国』でそうしたように、はみ出すはらわたに豚モツを使った。結果、わずかばかりの事で、自作の残酷表現に辟易とした江戸川乱歩が如き気分を味わった。写真の身も蓋も無いせいである。当時陰影を消す手法を思い付いていたならそうしたろうが、今となっては、陰影が無ければ出来なかった作品が残ったから良かったと思う。 昨年は陰影の有る無しの案配で随分悩んだが、今は写真家が、モノクロ、カラーを矛盾なく使い分けるのと同様に考えている。新版画の川瀬巴水は、陰影表現をシリーズにより使い分けている。つまり同一画面にさえ矛盾が無ければ、効果的な方を選べば良いと言う結論に至った。 芭蕉記念館の方にお会いし、書類にハンコを押す。数年後、芭蕉サミットがあるそうだが、是非門弟三人の肖像画のみを参考にした旨掲げ、迎え打って欲しい。俳句のイメージのため、枯れ枝みたいな爺にして芭蕉を利用するのはいい加減にするべきだと私は思う。

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数年前亡くなったロックミュージシャンのプロモーションビデオというのかミュージックビデオが出て来た。架空の黒人ミュージシャンを作っていた頃、本人を作って欲しいと言われた。実在した人等数体しか作った事がなく、まして日本人は作ったことがない。自信はなかったが、やることにした。ついでに他の人形も借りたい、という。 撮影スタジオは某映画で、城の炎上シーンを撮影したという体育館みたいな広さで、スモークをたき、照明を筋状に、いわゆるチンダル現象を、ということであったが、こんな小さな人形なのだから、狭い所で撮れば煙だって楽だろうに、と呆れて観ていた。 しかしとっくに完成しているはずが一向に連絡がない。電話してみると、監督が私の人形を撮り過ぎ、これでは何のプロモーションか判らないと、事務所からクレームがつき没になったという。それは監督に見る目が有り過ぎただけで、それがどうした、と言う話しである。実際はテレビで観た知人が二人ほどいた。 そこからである。没になった、予算がない、とわずかな制作、使用料を払おうとせず逃げ回る。電話に出る事務所のおばさんに同情されながら、結局払わせるまで半年近くかかった。 そうこうして、ある日日本アカデミー賞の授賞式を観ていたら、欠席した巨匠中の巨匠の代わりに登壇し、トロフィーを受け取っていたのが件のプロデューサーであった「コノヤロ~!」 思えば当時、減るもんじゃなし、土下座の直後に口笛吹きながらスキップ、なんて輩が多かった80年代であった。しかしおかげで初期の作品が映像に残った。

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 アートコレクターズ(生活の友社)引用の美学 存在しないものを撮る 石塚公昭


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昨日のブログに対し友人数名から反応があった。それは見てくれているのだから有難くはある。 友人とはいえ、私のやっていることに興味が本当にあるのは極一部であろう。個展に来ても、隅から隅までは見ず、近況を話しては帰って行く。勿論、友人がやっているから観には行くけれど、興味がない物を観させられる苦痛は私にも判る。昔は情報誌を手に画廊巡りをしていた時期があったが、画廊に入ったとたん〝しまった〟という事もしばしばであった。しかしアーティストの気持ちが判るので、できるだけ牛歩で、最低二周して出てくる。そんな時に限ってアーティストに話しかけられもう一周することになる。よって私の個展では、しまった、と思いながら興味有り気にしている疑いが晴れるまでは気配を消している。それで時に友人から「会社の同僚が今日行ったけど作者らしい人はいなかった、といってた。」という連絡を貰うことになる。 当ブログは三島のように、最期の一行が決まらないと書き出せない、なんて事はなく、どちらかというと乱歩のように結末が決まっていないで書き始め、破綻をきたすタイプである。さっきから何をダラダラ書いているのだ、と思いながら、五行手前辺りで思い当たった。メールをくれた友人等は、私の作品に興味がある連中ではある。しかしそれぞれ言い方は違えど、文中に含まれる、そこはかとない〝今度は、椿説弓張月?相も変わらず御目出度い奴だ〟感が癪に触っているのである。

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元薔薇十字社の社主であり、『男の死』の企画者である内藤三津子さんは「良く言われるけど、モチーフは全て現代であり、時代物は一切ない。企画者の私が言うのだから間違いない。」と断言されていた。だとしたら私がやってみたい。しかし死に装束の侍を、アフロヘアーの男がウエストレベルのカメラで撮っているカットがあるから、胸毛とアフロが結託して内緒で撮ったのではないか。内緒で撮っている所を内緒で撮った人物は目星が付いている。 ところで昨日触れた『椿説弓張月』であるが、源為朝を報奨金欲しさに裏切った武藤太は、為朝の妻、白縫姫により腰元達に竹釘を打ち込まれ断首される。絵として聖セバスチャンである。聖セバスチャンは三島にやられてしまって、悔し紛れに、炎上する金閣寺に縛り付けたり、黒蜥蜴に剥製にされたりの三島セバスチャンは作ってみたが、灯台もと暗し、和風で悪党ではあるものの、こんな所にセバスチャンが居たではないか。 椿説(ちんせつ)は珍説にかかっており鎮西八郎為朝の鎮西にもかかかっていてちんぜいとも読まれる。そこでオリジナルの薔薇十字社版に敬意を表し、石塚版を『椿説男の死』三島由紀夫へのオマージュとしてみたい。もっとも私の作品はほとんどが珍説ではあるけれど。


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やりたいと思いながら、案外やれていないのが、私が作った人物同士の共演である。一つには両者の時代が合わない、二人が行き来した時代、片方がこんなに禿げていなかったり。ディアギレフとニジンスキー、三島と乱歩を別にすると実現はしていない。鏡花、円朝、柳田國男、九代目團十郎などすれ違いそうな人達を共演させることは何度も考えたが、〝本当のことはどうでも良い〟と日頃ぬかしている割に融通が利かず律儀な私である。 先日知り合いが、「曲亭(滝沢)馬琴は作らないですか?」という。知り合いと言っても、去年の二回の個展に顔を出さずじまい、葛飾北斎を作ったことも知らなかった。『椿説弓張月』は面白いなどと無邪気に言う。北斎と馬琴の共演については、一度ブログに書いたが、需要の有る無し無関係に作る私ではあるものの、流石に手は出せなかった。しかし、写真が残っている人物は、その分制作に時間がかかるが、創作の余地がある絵画からの制作は、北斎、芭蕉を考えても時間がそれ程かからない。 ここらで古くからの友人は、新しい人物は作らないと言っておきながら、またルール変更の言い訳、前振りを始めたな、と思うのであろう。お前ら早合点もいい加減にしておけよ、と言うのはいつでも言えるので今日は言わないでおく。

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1999年、月刊太陽の『人形愛』特集で我が家に写真を撮りに見えたのが須田一政さんで慌てた。奥さんと二人でお見えになり、奥さんを振り返り意見を聞きながら撮影していたのが印象的であった。カメラはローライ。私のモノクロ写真はというと、ピアノでいうと鍵盤と鍵盤の間を撮られてしまった感じで、こんな瞬間は全く無かったはずなのに?写真家というのはこんな物を撮れるのか、と驚いた。1999年と言えば、最初にオイルプリントを発表した年で、撮影終了後、図々しくも見ていただいた。友人知人を別にすれば始めて面白がっていただいた。以来、個展のお知らせを頂くようになり何度か伺ったが、新しい事にチャレンジする姿には頭が下がった。 昨年、陰影を出さない手法で始めて個展をやる際に、須田さんならば、と急に思い立ち、アドレスを調べて『蛸と画狂老人葛飾北斎』と共にメールしたところ二十年ぶりに近いのに覚えて頂いており、〝体調が悪く都心に出ることもありませんが、面白そうなので行きます。とすぐに返事をいただいた。しかし結局来て頂くことは叶わなかった。ご冥福をお祈り致します。 余談であるが、世田谷一家殺人事件の被害者のご主人は、以前人形アニメの仕事をしていたそうだが、本棚に件の人形愛特集があったらしく、警察は掲載作家の元を一人々回ったようである。

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室生犀星は昭和二年『改造』に、松尾芭蕉についてこう書いている。
〝芭蕉が読み捨てられて最早顧られない時代があったら、その時は人類が此の土地の上に棲息しない時であるかも知れぬ。人々が此の土地にゐなくなつても或いは芭蕉だけが、彼の俳句だけが、禿山の上に残つてゐるかも知れぬ〟凄い思い入れだが、さらに〝静寂を慕う魂〟を持った人物で幽遠、寂しさに生きる我が文学の先達と解釈していたらしい。そう思うと芭蕉の実像にこだわり意地になっていた自分はどうなの?と一瞬思ったが、〝静寂を慕う魂〟を持った、かつスタミナ充分の人物、それは矛盾することではない。枯木のような老人にされ、俳句のイメージに利用されて来た芭蕉を微力ながら救い出したのだ、と思い直した。 制作当時すでに芭蕉は年下で、枯木のような芭蕉像に憤慨していたのは、むしろその点であった。今にして思うと、無理やり連れて行かれたフィリピンパブで、私が若く見えると。そんな嘘ついてもしょうがないでしょ、といったらカタコトで、「苦労ガ足リナインジャナイ?」と言われ物凄く凹んだ頃だったんじゃないかと言う気がしてきた。

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初めてオイルプリントの画が出た際のブローニーサイズのプリントが出てきた。「ホントに出た!」昔の技法書はコツを隠してる、頁が欠けてる。と何度頁を確認したか。文献を集めながら、独学ではじめたが、それがどれだけ無謀な事であったか、私がそれまでどれくらい写真に興味がなかったか知る友人は止めた。さらに現在と違い、写真の古典技法などやっている人自体が見当たらなかった。本当にただやって見たかっただけなので、写真家になる気もなく、まして個展で発表する気など爪の先ほどもなかったので、ある程度出来て止めた。それが自分の作品を撮影、個展をするようになり、後にオイルプリントも。この経験で私の使用方法を悟った。何だか判らなくても、止むに止まれなかったら乗れ、ここ最近はむしろ判るようではダメだとさえ。 なんて訪問者数が少ない事を良いことに、ここで書いているが、普段は私の辞書には〝行き当たりばったり〟などないという顔をしたがる。それにしては寒山拾得に至りもはや言い訳が思い付かない。

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進藤兼人の『北斎漫画』で蛸と女優が絡むと聞いていたが、女優が決まったと聞いた時、樋口可南子じゃない?そんな気がした。それにしても幼稚園児の頃から円谷英二の特撮の蛸を観ていたので、あの蛸は噴飯ものであった。円谷は場合によってはコンニャクさえ使ったようだが、抱き枕みたいな蛸を相手に演技する樋口可南子が可哀想であった。 画室における葛飾北斎は、随分前から考えていたが、スケッチする画狂老人に、さて何を描かそうか、色々考えたが、どうしても進藤兼人と同じ事を考えてしまう。しかしそうこうして、スケッチ中に蛸に襲われ、それでも絵筆、画帳を離さない画狂老人を作った。『蛸と海女』のオマージュであるが、もう蛸はいいだろう。画室でスケッチする老人の視線の先におそらく素裸であろう女の脚が見える。そこに絡みつく蛸下足。そのぐらいやっても良いかもしれない。そういえば娘の脚に蛇を絡ませたこともある。(貝の穴に河童の居る事) 来週月曜日から室生犀星の頭部の制作を開始する。


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『新・北斎展のみどころ』講演会。北斎をコレクションした研究家は、小学生の時に古本屋で北斎本を50円で買ったのが出会いだったそうである。『みどころ』を聞いておいて肝心の北斎展を、混み合っている、と聞いて私が行くのであろうか。大好きで澁澤の背後に作って立たせたクラナッハ展に、あれだけ規模が大きく長期間やっていたのに行かずじまいで、私の出不精も極まった、と呆れた。 以前ここ資料館で、横綱展だったかで各横綱の実物大のパネルが展示されていたが、どうも小さい。これは大銀杏も含めて作ってしまったな、と聞いたら案の定。その後作り直したそうで、大鵬コーナーの大鵬のパネルが大きくなっていた。こんな客もいるから気を付けないとならない。かく言う私もいい加減に作ったピアノの鍵盤を数えられた事がある。 今日始めて知ったが、ここ資料館は江戸時代の深川を再現しているが、設定がたまたまであろうが、北斎が江東区に住んだ時期と同時代を再現した物らしい。今号の『タウン誌深川』の背景は、資料館を使わせて貰ったが、以前からこちらを北斎の画室にすることを考えている。そのためせいぜい貢献をしておこう、という了見の私である。

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昨年より深川江戸資料館で今年11月10日まで続く『杉浦日向子の視点~江戸へようこそ~』だが、明日4日(月)に『新・北斎展のみどころ』根岸美佳(浮世絵研究家)参加費無料 開場13:30 もあり、葛飾北斎像も展示されることになった。この北斎、預けっぱなしだったのだが、以前ちょっとした事故により安定が悪くなっていたので、この際なおした。しかし随分塗装ムラ、ハゲがあったので、機会を見て塗り直す事にする。 その後資料館と松尾芭蕉像記念館の方と3人で会う。収蔵される芭蕉像は、制作時にも書いていたはずだか、イメージが違うと思われることは覚悟していた。しかしウィキペディア見たって各地の芭蕉像は、何処の誰だという有様である。実像が無視され適当な芭蕉像ばかりなので、先日も書いたが〝嫌味なくらい〟3人の門弟が描いた芭蕉像のみを参考に制作した。いかに与謝蕪村であろうと、この件に関して言えば同じ穴のムジナであり全く無視した。 聞くと持ち回りの芭蕉サミットというのがあり、次回は江東区の芭蕉記念館だそうで、全国から関係者が集まるそうである。 全国に二千体が本当だとすれば、浮気がばれてかみさんのご機嫌とりに、義父さんをモデルに作った、なんて芭蕉もありそうである。

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一日  


私の作品は、全て自立する。理由は固定せず、ふらふらと安定しないまま作るので、完成の暁には自動的に自立する。もちろん展示の際には倒れないようにするのだか、例外は、草履やわらじの類いを履かせる場合は、後から付け足すので、少々バランスが悪くなる。よって来月より芭蕉記念館に展示されるであろう松尾芭蕉像も、少々手直しの必要がある。明日より深川江戸資料館で始まる『』に展示される葛飾北斎像も、草履を履いているし、個展で初披露した時、ちょっとした事故があり、杖代わりの天秤棒が支えになるものの、手直しが必要なので預けてあった北斎を直しに出かけた。町は東京マラソンの折り返し地点とかで賑わっていたが、びいきの選手がいないマラソンほどつまらない物はない。 昔のマラソン選手は瀬古を別にすれば、君原、宇佐美、宗兄弟みんなどこか悪いのではないか、という様子であった。高校の頃だったか福岡マラソンを見いてたら、沿道の子供たちがふる旗をむしったかと思うと、あぜ道みたいな所に入って排便を済ませ、それでも優勝したウェイン・ショーターが、〝円谷後ろ後ろ!〟の円谷幸吉と並んで忘れられない。人んちの国旗でし拭いて優勝の快挙。

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