明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 




蝦蟇仙人・鉄拐仙人が判りやすいが、中国から伝わる顔輝の作品が多くの日本の絵師の手本になっている。それが伝言ゲームのように伝わって行、ある絵師はポーズを参考にし、ある絵師は表情、またはガマガエルの抱え方を参考にし、とそれは現在のパクリなどというのとは違い、そうやって写し、修行してきた、という感じだろう。かつて輸入品を改良して来た日本人のパターンかもしれない。  しかし絵画に関しては顔輝作品を越えることは出来ず、新たな表現を上書きできた絵師だけが輝いているように見える。  私の場合は顔や表情、ポーズを考えるのが面白いわけなので好きにやりたいが、何で白く描くのかは知らないが、白いガマを頭や肩に乗せているのは、是非やりたい。何しろそれをやってみたくて作ろうと思ったくらいなのである。こんな所はまさに小学3年生に戻ってしまったようである。 以前房総で鮮やかなオレンジ模様のある蝦蟇蛙を見たが、いくら検索しても何故か出てこない。



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一日  


いくら良い場面でも、山奥で老人が二人ただ向かい合っている、なんて面白くない。やはり三本足のガマガエルや、口から魂を吐き出している、山深い石橋で奇妙な風情の笑う老人三人組など、そそられる要素が必要である。     今回は人形用の毛髪を張り付けるつもりだが、それは一斉にやるとして、次はガマ仙人の頭部にとりかかる予定である。死んだ乞食の身体を使って甦った鉄拐仙人は、絵師によって様々だが、あまり体格が良い、というのもおかしいだろう。それに対し、ペアとなるガマ仙人は、対称的に、いくらかがっしりした体格にさせたい気もする。それはともかく     肝心の豊干禅師、寒山と拾得はどうするんだという話だが、私自身も当然そう思っている訳だが、その心理を利用し、それ以外のモチーフを作り進めてしまえ、という趣向である。自分の扱い方を熟知した上での芸当である。若い頃なら主役の寒山から始めて追い詰められ方向を見失い、全体のバランスを欠く、なんてことは有りがちであった。



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己の魂を口から吹き出し、遊離させる術を持つ。ある日老君に会いに行くため、魂を遊離させ、魂の抜けた身体を弟子に七日経っても帰らなければ身体を焼くように命じる.しかし六日目に弟子の母親が危篤になり、鉄拐の身体を焼いて、母親のもとに帰ってしまう。戻って来た鉄拐は、側にあった脚の悪い乞食の死体に入り甦る。鉄の杖をつき魂を口から吹き出している姿で描かれる。昔、頬っぺたに空気を貯めたトランペッターを何体か作った経験を思いだし制作している。   初個展から来年40周年を迎えるにあたり、架空の人物制作に戻った、と思っていたら、それを通り越して小学3年生頃の、大国主命の紙芝居を作った頃にまで戻ってしまった。丁度その頃だったろう。一人でいた時に頭に浮かんだイメージは何処へ行ってしまうんだろう。と悩んでいたのは。間違いなく頭の中にあるのに。思えばそれを確認する方法を探してずっと来たという気がする。そのあげくが、人形を作って写真を撮ることであり、最後に、陰影などない、頭の中のイメージを正確に描写するため陰影を取り去るに至った。その結果のあげくが仙人まで制作出来るという訳である。小学3年ともなれば、すでに周りの大人に聞いたって無駄なことを理解し、気の効いた大人を求めて偉人伝を読みまくっていたのであった。あの頃の私に、こんな方法でやることになった、と教えてやりたいが、ここまで時間が掛かることだけは可哀想なのでいってはならない。



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鉄拐(てっかい)仙人と蝦蟇仙人は寒山と拾得のようにペアで描かれることが多いのだが、なぜペアなのか良く判らないそうである。何だよそれは、という話だが、こういう場合、恐ろしく昔に、誰かがそう描き、いつの間にかそれが通例となった、ということのようである。  豊干禅師と虎、寒山と拾得が寄り添って寝ている図を『四睡図』といい、寒山拾得には欠かせないモチーフだが、これも実はなぜそういう状態で描かれるようになったのか、これまた良く判らないそうである。私的には”寝てしまえば皆同じ“と解釈しているのだが 。    何度も書いたことがあるが、幼い頃どこかの王様に石の塔に幽閉され、算数や宿題やらないで良いから一生ここにおれ、図書室もあるし、画用紙クレヨン何でも使い放題。というのを夢見たものである。王様でなくコロナだけれども、たまたま似たような状況である。しかも我が石の塔で本日作っているのが、あろうことか仙人ときた。だいたい鉄拐仙人を知ったのは、つい最近ではないか。それだけ私の創作欲をそそるモチーフではあるけれども。



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三本足のガマとガマ仙人を作ることにしてしまって以来、ようやくガマ仙人にたどり着いたのだ。という気分になっている。今でこそ半径数百メートルから出ず、運動不足をものともしない有り様だが、これでもかつては多動症を疑われ、もしくは一歩手前の子供であった。それでも本か、鉛筆、クレヨン、あるいは粘土を与えておけば何時間でも大人しくしている、といわれていた。その頃すでに脳内に涌き出るある種の快感物質にとり憑かれていたのだろう。結局以降それ以上の物は見つからないままである。これに比べればどんな物ももの足らない。ガマ仙人用のガマガエルがネットで入手可能なことを検索しながら思い出していた。  母がいっていた。幼稚園児の頃、台風が吹き荒れていた。母の実家から100メートルくらいに佃の渡し船の渡船場があり、渡し船の絵を描いていた私は、そこにあるマークが着いていて、マンホールの蓋に同じものがあった、と母が止めるのも聞かず暴風雨の中、見に行ったという。そんな昔のこと覚えているかよ、と母にはいったが、実は傘がオチョコになったことから履いていた黄色い長靴まですべて覚えているのであった。



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日本の絵師に絶大な影響を与えた顔輝の寒山拾得図は傑作中の傑作だが、それでも顔輝作と認定される鉄拐(てっかい)と蝦蟇仙人図より劣るといわれ、寒山拾得図は伝顔輝作と表示される。私は既に鉄蝦と蝦蟇仙人図の制作を決めていると思われる。  ”今地球上で、こんな事をしているのは私だけだろう“と想う時、甘い孤独感とともに、えもいわれぬ快感が溢れるのだが、蝦蟇仙人が、肩や頭に乗せている吉兆を表す、三本脚の白いガマガエルを、本物を使って制作したなら、やはり前日活き締めされた瀬戸内海産タコを円谷英二や葛飾北斎と共演させた時以上の物が味わえるだろう。しかし子供の頃まったく平気だったのに、今は触れる気がしない。肛門に花火を突っ込んで破裂させたりしたバチかもしれない。



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豊干禅師のつもりだった頭部を、気が変わって『虎渓三笑』の一人にしたが、そんな寄り道して良いのか、と思わないでもないが、すでに笑わせてしまった。笑顔の人物は長い間にほんの数体しか作ったことがない。せっかくだから、やはり虎渓三笑の一人で主役の慧遠 (えおん) 法師にした。浄土教の高僧ということだが、浄土宗との関係はよく知らないが、開祖法然の影も形もない頃の人物であろう。そこで返す刀で二人目の陶淵明の頭部も完成。 私はいったい何をやっているのか?意外なことをしでかし、自分自身さえ驚かせることが出来るのが良いところである。これで三人目の陸修静の頭部を作ったら、今度こそ豊干禅師の頭部にかかりたいのだが、陸修静と想定した人物は仕上げを残しすでに一応それらしいものができている。陶淵明は小学四年の私でさえ、おおよそこんな顔、と知っていたが、他の二人はおそらく記録はない。参考資料が要らないとスムースである。この調子で行ってみよう。



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三人  


豊干禅師のつもりで作り始めながら気が変わり『虎渓三笑図』の一人に降格、なんていってたら4世紀後半~5世紀始め、中国における浄土教の始祖とされる慧遠(えおん)で、降格とは失礼な話であった。まあ4~5世紀の人ということで。修業のため山を降りない、と決めておきながら、話に夢中になり、うっかり石橋を渡ってしまった。笑うしかない。私もこれはよくやることで、特にモニターを前に画像制作に集中すると。 背景の石橋はすでにロケ場所は決まっている。というより、そこに奇妙な三人が立ち、笑っているのが浮かんだので作ることに決めた。このモチーフに問題があるとすれば、たった一カットのために三人も作らなければならないことである。話に夢中になるなら虎渓二笑図でも良いではないか、と思うが、仏教、儒教、道教を象徴する三人であることがもう一つのテーマなのだろう。



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虎渓三笑図を制作するということは、野見宿禰と当麻蹴速を作るようなもので、好きに作れる楽しさがある。様々なことが一巡りしたような気がするが、架空の黒人での初個展を追い越し、大国主命の紙芝居を作った小学生に戻った感じさえする。八岐大蛇を作ったのを思い出して、だからといって”龍虎図”は止めろ、とずっと戒めている。もっとも、幼い三島由紀夫が、ドラゴンに噛み砕かれて死ぬ王子様の絵本にあまりに憧れていたので、夢を叶えてあげた時は、八岐大蛇を作った小学生時代を思い出していた。三島は王子が苦しみ死ぬところが良いので、その度生き返るのが気に食わず、その部分を隠して読んだ。こうなると生まれつきのもので、あんな死に方も三島には責任がない、と思われる。 それはともかく、独学者を通した私は何かヘンだが、どうして良いか判らないという夢に長らく苦しんだものだが、今は私の頭に浮かんだ程度のことは、気が付けば目の前にある。ここに及んで注意を要するのは、“人生も夏休みのアルバイトの如し、慣れた頃に終わる”。こう思ったのは、高校時代、鉄骨運びのバイトをした時であった。しかし2年を目標に生き、それ以上先のことは考えない、という策を最近思い付いた。



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登場人物は陶淵明なのに、思い込みで一日のほとんどを李白のつもりて作っていた。気が付いて慌てたものの結果ほとんど変わらず。まったくここだけの話にしなくてはならないが。 確か産休の先生の代わりだった小学3年の担任田中⚪子先生(お名前失念)が転校することになったが、その時、私があまりに読書が好きで、特に図書室の偉人伝、伝記の類いをかたっぱしから読みまくっていたので、内緒で世界偉人伝とかいう本を買って頂いた。肝腎なのはそれぞれの人物の線描のイラストが添えられていることで、つまり伝記と人の形という私の大好物を得られる訳である。数年前、葛飾北斎を制作した時、自画像含めて数種有る中からターゲットに定めたのは、私にとって北斎はこれだ、と田中先生の偉人伝に載っていた北斎を迷わず選んだ。改めて思い出しても、画像の選択は確かな本であった。そこに陶淵明も李白も載っていて、中国の詩人はヤギ髭にドジヨウ髭、という情報が二人の区別が付かないまま、小学4年の私にインプットされた。挙げ句が今回の原因であり、区別が付かなかっただけあり、ダメージも最小のまま、事なきを得た、という訳である。



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山にこもつて修行している僧侶が、訪れた二人の友を送って行ったら話に夢中になり、つい石橋を超えてしまい、それに気付いて笑っている三人。これをうっかり面白いと思ってしまった。あそこの石橋を持ってきたら面白い。そこまで来ると、養老孟司いうところの”人間は頭に浮かんだ物を作るように出来ている“という厄介な仕組みが発動してまい。そういえば、と思うと三人の一人が陶淵明だった訳で有る。もっとも今日一日の大半を李白だと思って作っていた。しかし結果ほとんど変わらず。一番厄介なのは写真が潤沢に残っている人物を作る場合である。



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東京ローカル午後のロードショーで私の生まれた57年の『OK牧場の決闘』を観る。クラントン一家の中に若きデニス・ホッパーがいた。水色の目をした純情な若者役。笑ってはいけない。ワイアット・アープのバート・ランカスターとドク・ホリデーのカーク・ダグラス。アープの仇討ちの助太刀するホリデー。高倉健と池部良、三島由紀夫ではないが、ヤクザ映画だったら唐獅子牡丹が流れるところである。 カーク・ダグラスのゴッホを観たくなった。ランカスターはなんという映画だったか、不良少年が人を殺し、刑務所内でも看守を殺す。母親が大統領に減刑嘆願、終身刑に。ある日窓から小鳥が入って来て飼う。やがて独房は鳥かごだらけ。鳥が病気になり、本を取り寄せ独学の上、それまでなかった治療薬を作ってしまう。鳥籠に囲まれ最後は権威にまでなる。実話を元にした映画で、アルカトラズ刑務所を背後に、リポーターが彼はまだ服役中です。みたいなラストだった、と思う。何しろテレビで観たのは50年くらい前である。おそらく私はスターウォーズを一度も観ずに死ぬだろう。



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完成間近の豊干を虎渓三笑図の一人に回す、なんていうと、如何にも三笑図も作るかのようだが。ほぼもうその気になっている。 実在した人物の場合、年6体がせいぜいである。それが好きに作れる架空の人物の場合、何体とはいえないが、もっと作れる。ところが『寒山拾得』には、たいして登場人物が登場しない。となると、三人くらい多めに作っても良いだろう。 そんな先のことはさておいて、豊干禅師の件である。せっかく夢の中のような話の異世界の人々である。肩の力を抜いて行こう。

禅問答など私にはちんぷんかんぷんだが、逆にいえば“何だか判らないけど作りたくなった”で済ませられる?モチーフに、ようやく行き当たったといえるのかもしれない。



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