小4で知った〝門松は冥土の旅の一里塚目出度くもあり目出度くもなし”これが私に生きるほど冥土に近づくことを教え、死の床で、あれも作りたかったこれも作れば良かった、と後悔に苦しむに決まっている、と恐れさせて来た。シャレコウベ掲げた、まさに一休のその場面を作っていて、これが原因だと気が付いた。 しかし、それにより後退を許さず、変化を続け、常に今が最突端である、ことを心がける原動力となり、陰影を排除する手法に辿り着くことが出来た。途中挫折の可能性を低めるため、先の制作予定は3体まで、という名案まで編み出し、昨年の検査入院では、やれることはやってある。と平静であった。それがその直後、タウン誌の原稿用に、その一休和尚に数年ぶりに陰影を与えてしまい、気が付いてしまった〝鎌倉、室町時代の陰影を与えられたことのない人物にこそ私が陰影を与えるべきだ”。おかげで制作予定は3体まで、の名案はオジャンに。