帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

トレーラーの修理開始

2005年09月03日 | 研究-教育・育児

破損していたトレーラーのケージ部分を修理開始しました。
セイルなどを載せているところです。
しかし暑い、前進汗だくになりますが、オーバーオールのつなぎは脱げない。
家の周りには蚊がやたら多くて、献血する義理もないので、ひたすら暑さとの
戦いとなります。
息子の使う最大サイズのセイルを入れた場合、このケージにぎりぎりで有ったことと、さらにボードをおろさないとセイルを入れられない問題を、今回解決します。
出来るだけ単純な構造で、最大の使いやすさをめざしますが、強度をおろそかに出来ないし、頭をフル回転させ、イメージを組み立て、それをさらにそれを頭の中で描いて回転させつつ、各部の構造と力の方向を計算していきます。
男の最も得意とする、空間の立体概念です。
男では当たり前のように出来る、この3次元イメージが女性では難しいのは、最新の脳科学が証明した揺るぎない事実ではありますが。
赤ちゃんの泣き方、表情、肌の色をみて、その子の健康状態、感情を読みとるという、恐ろしい能力は、私にはありません。
男と女、生まれながらに違う外見の生き物、そうであるなら、なぜ、きちんとした性差を学ばせないのか?不思議でなりません、性差の正確な理解こそが、男女の平等であるはずが。 今のように何でもかんでも同じにすれば平等とする考え方は、さらにゆがんだ差別を生み出すのだと、何故気づかないのか不思議でならないのです。
完全に同じ頭の能力を持つ二人の男女がいたとして、あらゆる事をさせたとして、肉体的能力差に関しては、明らかに男の優位は間違いなく、そうであるなら、その時点ですでに女性の敗北?は明白。
頭の上から足のつま先まで、何で、全て平等と幾ら叫んでみても現実の差は、絶対に消し去ることはできず。 そういった教育法が、逆に埋める事の出来ない差をゆがんだ優位感として認識させてしまうのだと、そしてそれが明らかな差別を産むのだと何故気付かないのか、不思議でなりません。
なぜ、女性が身体的にかなわないかは、人類のたどってきた100万年の歴史のなかで、女性には、男と同一の身体的能力が必要がなかったからと言う、極めて単純で消し去る事の出来ない、絶対事実の産物。 逆に男になしえない絶対的優れた女子だけの能力を持つ部分があるのも、絶対的事実の産物。
それを完全に理解することが、通常の生活において、単に身体的能力が優位な男性が、 別に優位なのではなく当たり前であり、故にそこに不要な優位性を持つべきではないのだ。 と、こう教育すべきだと、私は思うのですが、いかがな物でしょうか?
こう書くと、必ず「女性の中にも優れた身体能力を持っている人はいるのだから、それはおかしい」という、反対意見があるかと思いますが。
男の側にも、男の中で、さらに優れた身体的能力をもつ物はあたり前のように存在し、別に珍しいことではないという、これまた絶対的現実に眼を伏せてはならないのです。
きちんとした性差の理解と、本来あるべき家庭での男と女の役割、それが、安定した子供の心を作り上げるのだと云うことを、親でなら知らねばなりません。 別に夕飯をお父さんがこしらえてもよく、洗濯しても良いのですが。
本能の命ずるがまま、成長の波に乗りながら成長してくる子供たちには、やはり本来あるべき男と女の役割が、正常に機能した環境で成長するからこそ、安定した人間に成長できるのだと知らねばならないでしょう。 私の言わんとしていることが分かりますでしょうか?
得たいの知れない平等論を述べ、本来あるべき、父親と母親としての役割を無視した、子育てをしたところで、人間本来が本能的に求めている、絶対事実を嘘でごまかし、嘘で育てるに等しく。そうして育てられた子供達はやはり嘘で囲まれて育ちます。 嘘で育てられるから、人としての心がきちんと育たずに、嘘の心のままに育つわけで、それが今の青少年問題の原因。 
人を育てるには奇麗事が通用する事など無く、人が本来持つ、人本来の姿でなければならないのだと、なぜみんなが気づかないのか、私には不思議でなりません。 明らかな性差を捻じ曲げ、ねじまがった男女平等感で女性のご機嫌をッとりつづけてきた。
その結果生まれた、妙に中性的な人間が深夜徘徊する、もとサムライの国。
やたらと女性的な、この国の男達、いざというとき、彼らは男として行動する事が出来るのか、それとも外見にふさわしく女性的に行動するのか? 日本の若者がどんどんと中性化していくのと平行に、この国が手本としている国の子達は、男は”男らしいのが当然”、そして女は女らしいのが当然”として育てられている現実。
その両者の差を毎日眼にしている私には、母親のペットと成り下がった、この国の若い男の子達が父親となったとき。
この国はどうなってしまうのか、ということに危機感を覚えずには居られないのです。