帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

正義

2005年09月18日 | 研究-教育・育児

早朝、娘の友達であるM子ちゃんから電話があり、おじいちゃんおばあちゃんが近くのXX園に連れて行ってくれるから、一緒に行こうと誘われたのです。
しばらくして、他に誘われたS子ちゃんと、喜び勇んで出かけていきました。
お昼をだいぶ過ぎた2時頃に娘が帰宅したのですが、なぜかうなだれて元気がありません。
話を聞いてみると、おじいちゃんから、かなりきつく叱られたというのです。
しかし、80歳近い年配の方が叱るわけですから、それなりの訳があるはずです。
詳しく話を聞いていくと、XX園で遊んでいるうちに、お昼になり、食事をとることになったそうですが、その時に叱られたそうです。
そのM子ちゃん、S子ちゃんの家とは、互いに映画やプール等、今まで何度も誘ったり、誘われたりと、仲良く付き合いをさせていただいてるのですが。
基本的費用は読んだ側の家庭で持つ事を基本として、それ以外のジュースや、昼食代等の付帯費用は、それぞれの家庭が最低限のお金を子供に渡して、その範囲でやりくりさせるようにしています。
場所が遠い等、時間が長くて、途中で食事を挟むような場合にはあらかじめその旨を伝え、お弁当を作ってくるようお願いしたり、外食の場合にはおおよそどのくらいの金額の範囲内ですませるかを連絡して調整します。
これは、それぞれの家庭で不要な出費を防ぎ、食事の内容も含めて、親がお弁当などの愛情がこもった物を食べさせるのが一番と言う考えから来ています。
おこずかいも、最低限の金額に絞り、子供達同士で使い道を考えさせ。又こちらもどのように使うかをみて、必要であれば適切な指導をする事も有ります。
しかし今回は、おじいちゃん、おばあちゃんからの直接の誘い?だったのか、昼食をとる旨の連絡は有りませんでした。
その辺りの暗黙のルール?を知らなかったのだと思います。
こちらも、場所がすぐ近くであった為に、私も家内もお昼には戻ってくるだろうと考えていたのもあり、特に確認はしませんでした。
XX園で友達と元気に遊んでいた娘ですが、お昼を過ぎてしまい、おじいちゃんが、遅くなりそうなので外食をしようと決めたらしいのですが、娘は気温が高かったのと、またお昼を食べるとは娘も思っていなかったので、持って行った500円をカキ氷とジュースでつかってしまったのです。
基本的に最低限のお金しか、私は子供に渡しません。
特に小学生の娘には、渡したお金の使い道まできちんと報告させています。
多額のお金を渡す事に何ら利点は無いからです。
S子ちゃんは、自分のこずかいを別に持って来てましたので、大丈夫だったらしいのですが。 娘は正直に「お金がありません」と言ったようです。
おばあちゃんが、「おじいちゃんが出してくれるから、心配しなくてもいいんだよ」と言ってくれたそうで。
そこで子供達が、何を食べたいかを、それぞれおじいちゃんに言って決める事にしたようです。
娘はハンバーガーとアップルパイ(マクドナルド合計200円)と言ったのですが。 そこで思いっきり叱られたのですね。
おじいちゃんに「人にお金を出してもらうのに、そんな高価なものをねだるなんて、どういう考えしているのだと相当やられたそうです」
それが娘にとっては意味がわからず、しかも頭ごなしに叱られたので、相当のショックだったのです。
最終的には、他の子の言ったのが通り、ご馳走になったようですが、はてはて・・・・
この話を聞いて皆さんはどうおもわれますでしょうか?
今にも泣き出しそうな顔をして、私に話す娘に「いい勉強したね?」私は言いました。
続けて、「これからお前が世の中に出て行くまで、そして社会に出てもこのようなことは当たり前のように有るのだよ」と言いました。
娘は複雑な気持ちになったのでしょう、なおさら泣き顔になります。
「さて、おじいちゃんが何故叱ったのかを、もう一度思い出してみよう」と言いました。
おじいちゃんの言葉の中に、「そんな高価なもの」という部分があったよね?
と娘に聞きなおし、うなずく娘に、「そこに問題があるのだよ」と言いました。
と言うのは、娘が望んだのは、他の子が望んだ食べ物より遥かに安価ですが、
「おじいちゃんは、この二つがどのようなものであるか多分知らなかったんだね?」と言いました。
確かに私たちの世代には、マクドナルドのアップパイはめずらしい食べ物ではありませんが、年配のおじいちゃん達には、何か高価な食べ物に聞こえてもおかしくはありません。 また知っていたとしても、マクドナルドではなく本当のアップルパイと勘違いしている可能性が多分にあります。 私自身の親を見ていてもそう思いますから・・・・・
この出来事のかなめは、娘がお金を持っていなかったことから、M子ちゃんのおじいちゃんに負担をかけさせまいと、マクドナルドなら安いし、他の友達も好きだし、いいのではと彼女なりに考えたのですが、マクドナルドと言う言葉を出さなかったのと、年配の人が知るところの配慮までは行き届かなかったのです。
その為に、言ったそのすぐ直後に、娘は非常識だときつく叱られてしまったのです。
娘の頭をなでながら、「人は常に勘違い、思い違いしながら生きている生き物なんだ、でも相手を気遣う気持ちで言ったのに、それが通じなくて自分が嫌な思いをしたとしても、そこに正義(正しい気持ち、相手を思いやる気持ち)があるかぎり、お前に間違いはなく、それは正しい判断」、「もし相手が思い違いをして、叱られたとしても、その事に対してお前が相手(おじいちゃん)を悪く言ったり、恨んだりする事があれば、それは自分という人間を自分で低くする事、そこに正義がある限り、それを甘んじて受け、耐える事は心を強くするし、自分を高めたままにする事が出来るんだよ」と言いました。
「良い経験したね」と再度言いました
「いずれ、お前が正しかった事を知る事があったのなら、かならずおじいちゃんはお前を見直してくれるはず、しかもそれまでの何倍にもね。」
「正しい事は、最後まで正しいのだから」、「そして他人がどう言おうが、お父さんお母さんは、常にお前の見方だから」と最後に言いました。
半分泣き顔の娘でしたが、その跡すぐ笑顔になり、そのまま、再び遊びに行きました。
家内からは、向うの家に、帰宅後にきちんとお礼の連絡をしました。
夕方、娘が再度帰宅した為に、残りの重要な事を伝える為に、娘を呼びました。
時間が経ち、先ほどの話で、冷静に言葉を聞けるようになっているはずです。
「今日はいい経験をしたね、さてM子ちゃんのおじいちゃんは間違っていたと思うかな?」といきなり質問しました。
少し間を置いて、娘は「そんな事無いと思う」と答えました。
つづけて、「お前の希望した物が本当に高価な物だとしたら、当然にお前のしていることは大きな間違いになる。」、「勘ちがいがあったにせよ、それが非常識であることを、孫の友達でもあるお前をしっかりと叱ってくれた事は、とても勇気のいる事なんだよ。 叱る事で、お前との関係が悪くなるのを恐れて、何も言わない人も中にはいるけど、M子ちゃんのおじいちゃんはそうではなかった」、「お前が間違えていると思ったから叱ったのだから、正そうとしてくれたM子ちゃんのおじいちゃんには感謝しなさい」と私は言いました。
そのまま反応を見ていましたが、しばし考えた娘は、「ハイ!」と大きな返事をしてシャワーを浴びにいきました。
今回の事を通して、娘は非常にたくさんのことを学べたと思うと同時に、今回の出来事に感謝しています。 娘は私に怒鳴られたり叱られたりする事が、多い子で、割と手のかかる子です。
最近は何をやらせてもそつなく出来るようになり、私が言わなくとも自発的に物事やるようになりましたが。 このように、心のすれ違い等、他人からしか学べない事は、親が教える事より、はるかにたくさんのことを学ばせてくれます。
自分の前に起きた現実をどうみつめ、どう判断し、どう自分の物にしていくかは、幼い頃の、このような経験が絶対必要なのです。
人間の思考は複雑で、それと同時に間違いも多く起きます。
やがて思春期を迎え、友達や親とのすれ違いの中でおきるさまざまな出来事を、適正に処理し、きちんとした捉え方をすること出来るようになるためには、今回のような心の訓練を経ていなければ、それを美味く処理する事ができません。
人が人になるために、自分が傷つようなことがあったとて、それに負けるようでは明るい未来などありません。
私の場合、何か有るとすぐに心が傷つくからと、心の汗を流させない教育とは明らかに反対方向の教育を子供にしています。
自分が経験したさまざまな嫌な経験を通じて、相手の心を考え読める人間になる事。
それが将来、この子にもたらされるであろう、幾多の困難を切り抜ける力となってくれる事を願うのです。
ところで、同じ教育をしてきた息子、遥かに感受性が娘より高かった彼に今回の話をすると、小学生の頃はつらいんだよなーと言ってました。
私の考え方が正しいのか正しくないのかは今はわかりません。
結果はおそらく数年後に来ると思います。