帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

一人に出来ること

2005年09月11日 | 研究-教育・育児

「人間一人が出来ることは、何て小さいのだろう」と、この数日感じています。 きっかけはある親御さんからの相談です。
自分の頭の中には伝えたいことが山ほど有るのに、上手く伝えられない、
何層にも重なる複雑な心を、文章にすることが出来ない。
頭で理解していても、それは極めて空間的で、莫大な構成要素から多元的に成り立つが故に、それを一筋の文章にすることが出来ない。
さらには、自分自身が直接動くことの出来ない事から来る限界を嫌と言うほど思い知らされます。

昔から疑問であった、人間の心。 特に児童心理に関しては、自分なりに考え、考察し、そうしても解けない部分は、脳幹論を基礎にして再考することで解き明かす事が出来ました。
この理論があったからこそ、普通に考えてもわかり得ないような心の奥底までを理解できる様になった、またそれによりわき上がる付則的な疑問も解決できたわけです。

しかし尚も、不可能なのは、それを元に、どうしたら問題を持つ子供を導けるのか、どうやれば、解決できるのかと言うことについては依然として、明確にわかり得ないのです。 
故に、訪ねられることで伝えられるのは、心の動きだけでということ。

人を育てるに理論で育てることが出来ないから、今持って最高の子育て方は存在しない。
それが究極的な結論であるなら、書店で見かける、”こうしたら、素晴らしい人間に育てることが出来る”的本を書いている著者達は、人という存在を極めて軽視した、本来有りもしない根拠を元にした、極めて無責任な行動とも言えなくはないわけです。


人を育てる基本は、やはり人の行動でしかなく、人の行動そのものは感情の動きから構成されている物であるが故に、最も相手の心に届く。
簡単な例をあげるなら、口で延々と、友達を解くより、握手すれば良いわけで、心に偽り有れば、その握手も嘘として伝わり、偽りなければ、真として伝わります。
子供の心を正すには、とにかく、親なり、周りの人間なりが、自分の体で道をつけてやらなければならない事は間違いないのです。
よくカウンセラーのいいなりになってますます子供を駄目にしている親がいますが、これなどはまさに上に書いたことを考えてみれば、なぜ?と言うことが嫌でも分かります。

世の中には、うんざりするほどの先進的子育て本が存在するのですが。
それらの本の根拠は、子供は普通に育つのが当たり前という事を前提にして書かれており、普通に育つことすら分からないのに、それに付け足すように、
頭が良くなるだとか、優しい子に育てるとか、いわば理想を書いているわけです。
故に、書かれている内容はきわめて不確定で、バラバラであり、へたすると、「・・・だと思う」、「・・・のはず」、「・・・なるかも」という言い回しですべての内容が書かれている事も多いのです。

まだ人としての基礎もきちんと出来ていない子供に、親の独りよがりで理想を押しつけて育てようとする。
これだけ長い歴史の中で今持って理想的子育てなど、ほんの少しでも見つかっていないのに、それを書店で買い求めて押しつける。


そうして考えるとすると、現実に起きている問題を解決する側に立っている人間の主張している事は、実に簡素で、そして同じところを問題点として訴えていることが分かります。

これは、心の動きを自分の感覚で受け止めてきた側の考えが、それだけ、人と接する密度が高いことからくるものです。

なぜ問題が起きるのかは、その問題を解決している人間に聞けばよいことですが、なぜか偉そうに出てくるのは、その逆の側からばかりです。

子供の問題を解決するために日夜努力している人達は何人もいますが、かれらの言葉は、常に人としての基礎を正す事にあります。

迎合教育が若者の心を破壊し、毎日のようにマスコミをにぎわせてくれています。 一年に一件か二件程度の青少年問題。
それが一日に数件、同時に発生している事も当たり前になってしまいました。
そしてそのどれもが、人の命を奪うような行為ばかりです。
いまや氷山の一角は、当たり前になりました。

いい加減に理想を前提とした物の考え方を改め、何が子供達に必要なのかを、嫌もが考えねばならない次期に来ているでは・・・と私は思うのです。