「おにぎり」
おにぎり、自分にとってとても大切な思い出がたくさん詰まった、とても質素で、それでいて暖かさ満点の食べ物。
幼い頃、遠足、旅行、海、等々、いつもそこにはおにぎりがあった。
味噌にぎり、塩にぎり、海苔にぎり。
中身はいつも梅干しだった、そしてその横には必ず卵焼きと、魚肉ソーセージ。
夏休みをトンボ追い、ザリガニを捕り、全身汗だくで過ごした自分。
楽しくて昼ご飯なんか食べている時間はなかった、そしてそんなときに「これを持って行きなさい」、
と、ほんのわずかな時間で握ってくれた まっさらで暖かい塩の味。
「白い雲に重ねてかざしつつ、積乱雲みたいだ!」なんて・・・、青空は麦藁帽子をつれて思い出に。
母の愛情であり、命そのものでもあって、何も語らないのに自分を未来へといざなってくれた丸三角の親心。
父親に叱られ玄関先で泣いていた自分に、「泣くんじゃないのよ・・・」そういってそっと母がくれたおにぎりは、
海苔の香りを漂わせながら夕焼け空の色に染まっていた。
夏の香りとともに・・・
なんて自分の思い出と重ねつつ始めましたが、おにぎりは家にとって子供たちと親をつなぐとても大切なものとして位置づけています。
おやが子に渡せるものってなんだろうか?
学歴、お金、大きな家?
自分はそう思っていません、親が子に伝えられるものは、限られています。
無形であり、言葉ではないから、だから自分も自分の親と同じように思いを伝えています。
うちはよほどのことがない限り、親の手がはいった食べ物以外は与えません。
たしかに食べ物はコンビニに行けばいくらでも手に入ります。
でも、コンビニに親の愛情はありません。
二人のわが子は、常に自分のポリシーに賛同してくれる家内の手作り弁当、そしておにぎりと共にありました。
子育ては親が楽した分だけ、将来の苦しさとして跳ね返ってくる。
だからできるだけ、楽をしないようにした。
でも、そうでなくても難しすぎる反抗期は時として親に想像以上の苦しさをもたらすものだけど、いつまでも反抗期の子はいない。
それを過ぎたとき、荒れるわが子に親が投げた厳しさは、幼き日より伝えてきた親の思いと共に子供の心に残されます。
親のできることなんて、そんなものであり、しかしながらそれが最大のものである。
自分はそう考えています。