子供を叱るということで多くの方達が悩まれています。
子供を叱る際に、冷静さを失った、感情的になってしまった等々。
そして後になってその時の自分の行動に嫌悪感を覚え、後悔し、「次は間違いがないようにしよう」そう心がけ、でも現実には又繰り返してしまう。
叱る事に自分の感情をこめてはいけないと、どこぞの誰かが言っていたから、偉い教育学者が言っていたから、教育評論家の先生がそういっていたから。
「だから自分は間違っているのだ」とですね。
しかしながら、これって甚だおかしな事で、人の原点、すなわち本能という数百万年厳しい自然界を生き抜いてきた力に問うなら、
叱るは怒りそのものであり、怒りない叱るは相手に心を届けられない、すなわち怒りを取り除こうとすればするほど、同じ叱るに対して伝わる物は少なくなる
ということです。
怒りを封殺し、冷静になって子を叱ろうとすればするほど、伝えるべき事は歪み、違った方向で伝わり、これでは何度でも同じ事を子供は繰り返す。
たいていの人達は、叱るということに対して自分の感情を封殺しようと試みます。
ところが、人がなぜ子を叱るのかという原点に回帰してみると、我が子の行動や言動に不快を覚えるからで。
何故不快を覚えるのかというなら、不快は怒りを引き起こすから。
怒り無ければ不快にならず、不快無ければ叱る事もなく、これが平穏
すなわち叱るに際し、怒りの感情を廃しようとすればするほど、根拠は薄れ、純粋な怒りを原点として伝えるべき事が薄まり、意味不明な親のストレスだけが
子供に伝達されていくということです。
親が我が子になにがしかを伝えんとする最大の感情表現が 怒り 故にコントロールが難しいわけですが、間違いを犯した我が子に向けて発せられる怒りは
ダイレクトに伝えねばならない物で、そこに不要なストレスがかかると、親はその怒りを自分に向けることになり、それによって自分に向けた怒りにまた自分が怒りを
感じて、最終的には親が自分自身で自分に怒りを向け、限度を超すとそれが子供に注がれていく。
生真面目で、一生懸命な母親ほど半虐待的な叱る になってしまうカラクリが此処にあるわけです。
行きすぎて叱ってしまうお母さん、ヒステリックになってしまうお母さん達に これを押さえる魔法の方法を教えます。
我が子を叱ることは、そこに問題が有るからで、 だから叱っているわけですから。
叱り始めたら、終わるまでの間、ずっとこの魔法の言葉を唱えて下さい。
とても簡単です、 「進歩しろ-!」と我が子の顔を見ながら、心の中で叫ぶ。
誰でも不思議な感覚を知る事が出来るかと思います、自分自身の本能を呼び起こす一つの方法だからです。