デザートは、アイスクリーム、白桃、フランボワーズ、
ライチのミルクシャーベットが層になったカクテル=写真。
説明を聞いてるときからうきうきした。
お腹いっぱいだったけど、余裕の別腹。
パパがギブしたピスタチオとはちみつのケーキもいただく。
お腹も心もいっぱいに満たされる、日曜ランチ。
帰り、ホテル4階の秘密のスポットで3人で一服。
ママは「いいねえ、この秘密ストッポ」とうっかりいってから、
「ストッポ」とくりかえしいっていた。
ママのいう「クリスマスの店」に寄る。
ドイツの雑貨がいろいろ置いてある、3階建てのメルヘンなお店で、
クリスマスのオーナメントのほかに、イースターの卵、
ドイツ職人の技・木の人形、ブランコがカチカチ揺れる掛け時計などがあって、
中もメルヘンでいっぱいで、時間が止まったような雰囲気のお店だった。
今日もいい天気だった。
最近は家族イベントの日もよく晴れる。
長い事雨男だったパパが、ようやく晴れ間に抜けたらしい。
京急ストアでお買い物して、パパ・ママと別れてうちへ。
私と入れ違いに家に帰ってきたダーが寝ていて、寝室からビー、モンが出てきた。
「カンバーセーション・ピース」読了からしばらくたつけど、
今でもあの小説のことをよく考える。
具体的なものに立ち上がる抽象について。
具体的なものならなんにでも抽象が立ち上がるわけじゃない。
チャーちゃん、ヘッケ、玉の話は、猫の抽象を見て泣いた。
猫以外にはどんなものに抽象を見てるのか。
すぐ思い当たったのが「秋日和」の原節子には母の抽象を、
「秋刀魚の味」や「晩春」の笠智衆には父の抽象を見ていた。
「お早よう」で子供が「バカー」と叫ぶシーンの海には海の抽象を、
「麦秋」の原節子には、嫁入り前の娘の抽象を見ていた。
こうして並べて見ると、抽象が立ち上がっているものは
私が昔から特別に大切に思っているものばかりだ。
ということは、この抽象というものが愛なのかな、と思った。
「高慢と偏見」(上)読了。
人との軽薄なやりとりが嫌いだからと、人づきあいを軽視するダーシーに、
「私はピアノが上手くはないけど、上手くなるために練習してます」
というようなことをいうリザベスは魅力的な女の子で、
ダーシーが惚れるのもわかる。
ダーシーも実は誠実で素敵ないけめん、と思ってたけど、
上の最後まできても高慢だし、家柄のこと気にして器小さいし、
人の恋路を壊したりして好きになれない。
(下)でエリザベスやジェーンにお似合いの
素敵ないけめんは出てくるのかしら? 恋の小説は楽しい。
「私という演算」読了。
内容をのみこみきれてないけど、
人生を通して考えたいような問いがいくつか出てきた。
今特に気になることを写しておきます。
○「孤独にさいなまれ淋しくてたまらぬとき、ぼんやりと思い出に浸っていると、なぜかしら相手もやはり私のことを思い出し、私を待ち続け、やがて私たちは再会するのではないかという思いが少しずつ募ってくる」(チェーホフ『中二階のある家』)「過去は、つぎからつぎへと流れ出す事件のまぎれもない連鎖によって現在と結ばれている。そして彼には、自分がたった今その鎖の両端を見たのだ―一方の端に触れたら、他の端がゆらいだのだ、という気がした」(同『学生』)を読んで、離れた場所にいる二人の人間が同じ場所に居合わせているように考えが響きあうことが本当にあるといえるのか。
○彼ら(太宰、三島、ヘミングウェイなど)は「死」を題材にしているけれど、それは書かれることが可能な「死」であって書かれることが可能であることの外にある「死」なのではない。
ほかにもいろいろあったので、また読み返したい。
遊んで欲しいモンは「キューン」と、ダーいわく「吼えて」いる。
何年か一緒にいるビーや殿と、
まだうちに来て1年に満たないモンに対する、
いとしさ、かけがえのなさ、かわいさはみんなともう変わらない。
このことにも抽象が関係してるのかな。
今週末はダーが別冊校了で忙しいから、
私は家でのんびりしてよう、と思っていたら
昨日ママからランチのお誘いがあった。
パパのホテルに、フランスではちょっと有名な
オーべルージュのシェフが来ていて、
社長以下一度自腹で食べるノルマが課されているそうで、
私もご相伴にあずかることになった。
今週もお洒落して、12時にホテルのロビーへ。
ママは会うなり、
「フランス料理なんて半年に1回でいいのに」とぶつぶつ。
私「でも2週連続でフレンチのランチコースなんて」、
ママ「人生にそう何度もあることじゃないわね」。
先週の日曜に何年ぶりかに来ただけなのに、
常連のような微笑を浮かべてレストランへ。
食前酒はキール。
空間を広く取ってあって、30階の窓はほとんどがガラス張りで、
ギャルソンたちは皆穏やかな微笑みをたたえていて、心地のいいレストラン。
今日のメニューは、
○リヴィエラ風サンドウィッチ〝メランタ〟
○レンズ豆とサーモンのサワークリームスープ
○鱈のブランダードを詰めた花ズッキーニ ボンゴレ風 グリーンソース
○白桃のデザート ピーチメルバのように
○コーヒーとミニャルディーズ
フランス人のシェフだけあって、ボリュームがあり、
日本人にはちょっと思いつかないような味だった。
初めての味に出会うと、美味しいのかどうかよくわからないけど、楽しい。
はじめのオープンサンドだけでも、ふつうに朝食くらいの量があった。
スープは私以外は栗と鶏のスープで、
そのスープも私のスープも初めて出会う味だった。
鱈のお皿は、ズッキーニの花のオレンジ色と、
ソースのグリーンが綺麗だった=写真。デザートは別項で。
フレンチのシェフがテーブルに挨拶に来た。
ド・パルデューの若い頃みたいな感じで素敵!
写真を一緒に録って、私が「merci」といったらママも「merci」。
帰るときもお見送りしてくれて、握手をした。笑顔が素敵!
(つづく)
起きて一瞬後に土曜日だ、休みだ、と気付いて幸せ気分で寝なおす。
でも私が起きたのに気付いたビーが枕元をうろうろして
かわいく起こそうとするので起きて、朝ごはん食べてから、
寒いしベッドで本を読もうとするとビーが来て、
私の肩に半身を乗り上げて顔をごしごし洗い出した。
ビーが顔を動かすたびにビーのひげが私の顔にさわさわと触れて、
本なんか読まずに顔を洗うビーを見る。
うっとりしてきてそのうち寝てしまう。
再び起きたらもう3時半。ダーはまだ寝ている。
のんびり家事をして、「もう2時くらい?」といいながら5時頃やっとダー起きる。
ダーに朝ご飯を食べさせた後、間髪いれずにおやつを作る。
ホットケーキの粉でアメリカンドッグを作ると、
今日は牛乳が多すぎたのかこねるのが足りなかったのか
ベトベトして手にくっつきまくった上、
うまく火が通らず生揚げのものが多かった。残念!
一緒に揚げたじゃがはおいしかった。
マニックストリートプリーチャーズの新曲、
「3人とも普通にオッサンでイギリスのパブとかに普通にいそうなんだよ。
失業率70%みたいな顔」とダーがいうので見ると
確かに3人ともむやみに苦渋に満ちた顔。
「でもこの曲いいんだ、買おうかな」といってるので、
ついでにマボロシとYUKIのアルバムも薦めておく。
アマゾンでジェーン・オースティン、シラノ・ド・ベルジュラック、
中原くんの本、浄水器などを注文。
昔から本には躊躇しないでお金を払ってるけど、
本と一緒にあればホーム&キッチンのものにまで
躊躇しなくなっているのはどうなのか。
ダーは「今日はあれとあれとあれやんなきゃいけないから
会社に行かないわけにはいかない」
「仕事する気分にならねー」
「校了紙を作らなきゃ」とぶつぶついいながら7時過ぎまで粘ってから仕事へ。
プーアル茶を淹れて、SATC、シーズン4の続き。
ゲイクラブ行ってエックスもらってリチャードんち行って朝帰るとき、
化粧ののらない顔でタクシーをひろうサマンサがよかった。
2年くらい前クラブ行って朝になって、
鏡に映った自分の目の下は黒いし化粧ははげてるし、
もう歳だからクラブは卒業なんて思ってたけど、
サマンサの目の下の隈を見てたら、むしろかっこいいな、と思った。
若かった頃の自分も、ずっとこのままでいくんだ、と思ってたのだ。
SATCを見たり、トマトパスタ作ったりしてる間ずっと
モンチが「ア」「ア」と全身で鳴くので何度も中断して遊ぶ。
最近はベッドの上で紐を振って、
紐をつかまえるとくわえてキッチンに運ぶのが気に入ってるので
キッチンによくオモチャが落ちている。
キャリーがウエディングドレス着て息ができなくなったり、
結婚雑誌を無理して見たりする話。
この話は始めて見たとき、結婚アレルギーは私だけじゃなかったのか
となんというかホッとした。
なにしろ周りにはそんな人一人もいない。
誰かに「なんで結婚しないの?」と聞かれても、
質問に答えるのを含めて「めんどくさいから」と答えることが多いけど、
この話のキャリーと全く同じで、うまく言葉にはならないことなのだ。
花粉症の人に「なんで花粉症なの?」と聞くのと同じようなことだ。
キャリーは「生活が変わることが嫌」といってるけどそれだけじゃない。
ウエディングドレス着て息が苦しくなるような、生理的なことだ。
でも体質なんて歳とともに変わる。
Cはけっこう前に
「エイダンはバカ。キャリーの気がすむまで待ってればよかったのに」といってた。