なぎのあとさき

日記です。

20℃越えって素晴らしい

2019年04月22日 | お散歩

20℃越えるようになると世界が見違える。
緑が増えてジャスミンが咲いて花水木の花が大きくなり、Tシャツ1枚で生きていけるって素晴らしい。

いきなり暑くなったからか、ビーは日中、窓辺の箱で寝っぱなしでなかなか出てこない。
たまに起きたとき、顔つきが良くて、ご飯もよく食べてる。
箱に入ったまま顔だけだして、側に置いた水を飲んだり、おやつ食べたりして、また箱の中で丸くなる。


このはこがいいにょよ

殿は、毛並みがよくて、調子良さそう。
ご飯はまーまー食べてるけど、FKWを指ご飯もしてる。
殿は猫用ホトカの上でよく寝てる。



ためしに、ビーにも指ご飯してみたら、ビーもそんなに嫌がらなかった。
ビーは歯が少ないから、指ご飯しやすい。

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庭に出る階段のとこで、トカゲのシッポがくるんくるん動いてる!と思ったら、トカゲの体が半分、モンちゃんの口から出てる。
飼い猫は獲物を生かしたまま弄ぶ恐ろしい生き物なので、モンちゃんはトカゲを食べるわけでもなく口から放し、トカゲは逃げて、たまたま置いてあったブーツの陰に隠れた。

モンちゃんはしばらく探してたけど、見つけられなくて庭に行った。
モンちゃん、わりとあっさりしてる。

おそるおそるブーツをどかしたら、トカゲがいた。
シッポはないけど、無事だった。苦しそうな顔してなくて、よかった。
たぶん、カナヘビという日本の在来種で、毎年春になると庭に出てくる、かわいいヤツだ。
寿命は5~7年らしい。

モンちゃんはトカゲを咥えたとき、噛まなかったみたい。
トカゲは素早く動いて植え込みの中に消えた。

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20日土曜は、ヨコスカへ。
大潮だったので、海直行。
観音崎まで行ってポイントまで歩いた。
満ち始め、凪、めちゃ澄み。
風が強くて、タンクトップにカーディガンじゃ寒かったけど我慢。
パパママは先に潮干狩りしてて、あんまりいない、って。


岩の上でお弁当を食べて、さあ短パンに着替えて海に入ろう、ってとこで鐘が鳴った。
でも着替えて入って、お尻まで浸かった。
潮はどんどん満ちてきて、貝は一つも見つけられず。


岩の上は暖かくて、澄んだ水の中がよく見えた。
フグ、ハゼがたくさんいて、ウミウシも見えた。

パパママは、今回は、「令和になったらやめる」といってタバコを吸っていた。

パパママは海からバス停一つバスに乗って帰り、バスにアサリを忘れ、パパが駅まで取りに行った。
誕プレのMA-1をさっそく着て行った。

私は尻が冷たいので、ダーと一度帰って着替えてから、山にも行った。
新緑がきれいだけど、風が強くて寒い。
袖無しの上にローゲージニットは海辺に行くカッコじゃないのに、何十年海に行ってても間違える。

新緑キラキラ

イレイトウで猫たちに会って、噴水公園からT浜に降りて、橋の上からクロダイの群を見つけた。
10匹くらいいた。
早く海中で会いたい。
家に戻って、早めに晩ごはん。


ほかにお刺身もあって、豪華で美味しかった。
ママは腰が痛そうで、夜は寝込んだそう。

お土産にH川丸さんのワカメと、きゃらぶきをもらった。
帰りはダーの着てたスカジャンを借りた。


家に帰って、一本グランプリ。
久しぶりにダーが早い時間からいたので、殿ビーはさっそく両サイドにくっついてポンポンされていた。

ビーはほんとにダーのポンポンが好きで、私が代わろうとしてもダーの横にくっついてしまう。

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パリのノートルダム大聖堂が火災で、屋根が焼けてしまった。
失われた時を求めてを読んでるせいか、私にもパリの人の部分があるようで、ショックだった。
自分の生まれるずっと前からあって、さらにこの先も何百年と変わらずにあるはずの建物が、炎に包まれるとうのは、言葉にならないほどショックだ。

ノートルダムの前の庭で、サンドイッチ食べたね、覚えてる?
ダ「うん」
私「・・・(ほんとに覚えてるか怪しいけど追及はすまい)」

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私は純露(飴)が好きでよくなめるんだけど、駅で純露なめながらしゃべってたら、純露が口から飛び出して、前にいたカップルの間に着地。
ぶつからなくてよかったけど。
純露って、よく飛ぶ形なんだよね。
弾丸のように。

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「花咲く乙女たちのかげに」

スワンにベルゴットを紹介してもらった語り手。
はじめはベルゴットが想像と違う変な鼻のおっさんだったことに面食らう語り手だったけど、すぐに巨匠への尊敬を取り戻し、ベルゴットの小説について大いに語る。

○調子(アクサン)こそ作家において何よりももろいものだが何よりも深いものになるのであり、それこそ彼の本性を証言するもの、

○「これは穏やかだ」と言えるものしか金輪際書くまいという一種の意志

○習慣は人の性格を作るのと同じく作家の文体を作る

ベルゴットに、「あなたは知性の楽しみを持っているに違いない、それがあなたにとって一番大切なんでしょう」と言われる語り手。
が、この言葉は語り手にとって真実ではなく、
「どんな高尚な論理に対しても、私の心は冷淡だ、ただぶらぶら散歩しながらたまたま感覚の満足を覚えるようなときだけ、幸福な気持ちになるに過ぎない。自分の欲しているものが、どんなに純物質的なものに過ぎないか。知性などなくてもどんなに平気でいられるか」と語り手は感じていた。
快楽の源は深かろうが浅かろうが関係ない、と


外交官のノルポワ氏はベルゴットをディスってたけど、ベルゴットはノルポワなんぞ気にもとめてない。
医師のコタールのことは、どんなに腕がよくてもばか呼ばわり。

そして、3巻の真ん中あたり、雨の日に、ジルベルトがダンスレッスンに出かけようとしたところで、語り手が彼女に会いにきて、オデットに外出をやめるように言われて、ジルベルトの機嫌がすっかり悪くなった日から、語り手はジルベルトに会うのをやめる決意をする。

ここから、語り手は、ジルベルトに会わないって自分で決めたのに、ジルベルトへの未練をぐすぐずぐじぐじえんえんと語る。
このぐじぐじが長くて長くていやになる。
たしか、二人ともまだ子供で、付き合ってたわけでもないんだけど。

わざと、ジルベルトのいない時間にオデットに会いに行って、自分の気配を撒き散らしたい語り手。
オデットが部屋着を着て、クリスタルの水盆にヒナギクとパルム菫を浮かべている、これらの花の描写がエレガントで、こういう描写になると、本当に楽しい小説だ。
凱旋門から見える小道から、オデットがお供をしたがえて出てくるシーンもいい。

○習慣はすべてを弱めるものだから、私たちにある人を最もよく思い出させるのは、まさしく私たちが忘れてしまったところのものということになる……だからこそ記憶の最良の部分は私たちの外部にあり、雨もよいの風や、ある部屋のかびくさい臭いや、ぱっと燃え上がったときの焔のにおいのなかなど、…すべての涙がかれ尽きたと思われるときにもなお私たちに涙を流させるもの、そうしたものを見出だすことのできる至るところに存在しているのだ。
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