特定秘密保護法案の防衛分野秘密保護から見える右翼の軍国主義者安倍晋三にこそ相応しい戦前軍部の精神

2013-11-16 08:15:02 | 政治



      生活の党PR

      《11月11日(月)小沢一郎生活の党代表定例記者会見》

      ○ 『特定秘密保護法案、いい加減な修正に応じる気はない』

      【質疑要旨】
      ・特定秘密保護法案について
      ・小泉元総理脱原発発言に対する自民党執行部の動きについて
      ・原発事故の責任の所在について
      ・民主党岩手県連、政治資金訴訟について

 マスコミの新聞記事で知って、自民党のHP記載の《特定秘密の保護に関する法律案Q&A》にアクセスしてみた。防衛に関する秘密保護事項が気になって、取り上げることにした。
  
 〈Q3.何が特定秘密になるのですか?

 例えば、自衛隊の保有する武器の性能や重大テロが発生した場合の対応要領といった、国と国民の安全にかかわる重要な情報が特定秘密に指定されます。〉――

 別の場所で具体例を示している。太字はそのまま表示した。

 〈別表第1号(防衛に関する事項)に該当するものとして、例えば、以下のものが挙げられます。

防衛、警備等に関する計画
・防衛に関し自衛隊が収集した画像情報
・自衛隊の部隊等が作戦行動等の際に他の部隊等との通信内容を秘匿するために用いる暗号
・潜水艦のプロペラの材質又は形状、戦車等の装甲厚
・誘導弾の対処目標性能、潜水艦の潜水可能深度 〉――

 すべては防衛省・自衛隊の秘密情報保持能力の問題であろう。逆に漏洩することによって、防衛省・自衛隊の秘密情報保持能力の程度が判明する。その能力を知るためにマスコミに積極的に探らせればいい。

 特定秘密保護法の安心の砦の中でのみ秘密情報を取り扱い慣れすると、肝心なとき、あるいは外国の諜報機関等から特定して狙われたとき、果たしてどれ程に秘密を守ることができるのだろうか。

 「暗号」はいつ如何なる時にも秘密でなければならない。だが、暗号を用いた通信であろうとなかろうと、アメリカのNSA(国家安全保障局)がドイツのメルケル首相の携帯電話の盗聴を行っていた例でよく分かるように傍受されることは阻止不可能である以上、その暗号は解読不可能でなければならない。

 だが、戦前の日本の外務省や軍部の暗号通信の多くがアメリカやイギリスによって解読され、作戦等が筒抜けになっていたことに最後まで気づかなかった。

 と言うことは、暗号自体の秘密性よりも、平時の訓練の際は暗号を随時取り替えるだろうが、有事の作戦展開時に敵方の動きによって暗号が読み取られていたかどうかを察知する能力こそ、必要事項となる。

 戦前の日本の暗号が解読されていたことを最後まで気づかなかったということは、敵方の動きからの察知能力を欠いていたことになる。

 暗号は常に漏れる。漏れるからこそ、暗号を用いる。このことを前提とした場合、特別秘密保護法で暗号を後生大事に秘密指定するのは何か滑稽ですらある。

 「潜水艦のプロペラの材質又は形状、戦車等の装甲厚」や「誘導弾の対処目標性能、潜水艦の潜水可能深度 」等の自衛隊保有武器の性能の秘密指定であるが、これらの性能が秘密のベールに包まれた場合、ただでさえ暗躍しているだろう外国諜報機関のスパイをなお誘い込み、暗躍させることになるだろう。

 だが、このことはさて措くとして、相手に与える心理的抑止力は平時に於いては武器・兵器の性能を秘密のベールに包むことによって有効足り得るかもしれないが、有事の際の実戦的抑止力・攻撃力は武器・兵器の性能によってのみ決まるわけではない。また、兵士の戦う意志の能力によってのみ決まるわけではない。このことは戦前の日本の戦争が証明している。

 兵士の戦う意志の能力は戦前兵士の「天皇陛下バンザイの玉砕」と言えば聞こえはいいが、取替えも効かない、戦術の発展もない、タダの勢いだけの猪突猛進の繰返しに過ぎなかった。

 武器・兵器の性能が全てではないことは1941年(昭和16年)12月16日就役の戦艦大和が何よりも証明している。

 「Wikipedia」から、武器・兵器の性能が全てではないことを証明する個所を拾ってみる。

 〈当時の日本の最高技術を結集し建造され、戦艦として史上最大の排水量に史上最大の46cm主砲3基9門を備え、防御面でも重要区画(バイタルパート)では対46cm砲防御を施した、桁外れの戦艦〉だったという。

 〈当時航空主兵論が言われ始め飛行将校からは第三次海軍軍備補充計画における大和型戦艦2隻(大和、武蔵)の建造が批判されていた。

 1937年(昭和12年)8月21日、米内光政海軍大臣から「官房機密第3301号」として第一号艦製造訓令が出る。完成期日は1942年(昭和17年)6月15日だった。11月4日に、広島県呉市の呉海軍工廠の造船ドック〔造船船渠〕で起工された。戦艦「長門」や空母「赤城」を建造した乾ドックは大和建造の為に1m掘り下げて拡張されて、長さが314m、幅45m、深さ11mとなった。イギリスやアメリカに本型を超越する戦艦を作らせぬ為に建造は秘密裏に進められ、設計者達に渡された辞令すらその場で回収された。〉――

 「航空主兵論」に向ける目を持たず、いわば戦略に関して軍事的創造性を欠いていた。その理由は最初から戦略(=長期的・全体的展望に立った目的行為の準備・計画・運用の方法)らしい戦略を持っていなかったからだろう。

 戦略は何よりも事を成す創造性を必要とする。

 〈機密保持のため造船所を見下ろせる所には板塀が設けられ、ドックには艦の長さがわからないよう半分に屋根、周囲には干した和棕櫚(わじゅろ。干した物は主に「ほうき」に使われる)がかけられた。そのためドックの近所の全ての民家から干した和棕櫚の葉が無くなり、大騒ぎになったという逸話が残っている。建造に携わる者には厳しい身上調査が行われた上、自分の担当以外の部署についての情報は必要最小限しか知ることができないようになっていた。造船所自体が厳しい機密保持のために軍の管制下に置かれた。建造ドックを見下ろす山でも憲兵が警備にあたっていた。しかし海軍関係者の間で巨大戦艦建造の事実そのものは公然の秘密であった。海軍兵学校の生徒を乗せた練習機が「大和」の上空を飛び、教官が生徒達に披露したこともあったという。大和型戦艦建造の際の機密保持については、多くの建艦関係者が行き過ぎがあったことを指摘している。〉――

 「和棕櫚(わじゅろ」に関しては、「要出典」となっていたが、秘密保持が完璧であったとしても、米軍の自由自在に動くことのできる艦載戦闘機や爆撃機と戦艦を交えた攻撃的機動性に敵わなかった。

 勿論、日本側に戦闘機不足の状況にあり、交戦時には数機程度の護衛機は帰還していて一機も護衛についていなかったと書いてあるが、要は戦艦大和に代表させた巨艦の性能に信頼を置く一点主義的戦略(退避も後退もない玉砕覚悟の突撃も一点主義と言うことができる)に立った単一的戦術が米軍の物量を背景とした複合的戦略の一過程に於ける機動的戦術の敵ではなかったということであるはずだ。

 武器・兵器の性能に上回る戦術・戦略の創造性がより重要となる。いわば武器・兵器の性能の秘密にいくら拘ろうとも、創造的な戦術・戦略を構築できなければ、宝の持ち腐れで終わり、秘密も性能も意味を失うことになる。

 また秘密とすることによって、他者は知らないが、自身は知っているという秘密を持っていることの優越感に人間は囚われやすい。日本の武器・兵器の性能に誰も気づいていないと外国に対して軽んずる気持が働いた場合、その気持は優越感を背中合わせとすると同時に武器・兵器の性能とその秘密性に重大な価値観を置くことになる。

 結果的に、最大の価値は武器・兵器の性能も然ることながら、創造的戦術と戦略にあることを忘れがちとする。

 天皇を戴いた戦前の日本は政府にしても軍部にしても、日本民族優越意識に囚われ、基本のところで、そのことに頼った。日本民族は他の民族に優越するのだから、何者をも恐れることはないという思い上がりが結果的に戦略や・戦術を軽視する精神的傾向を養うことになったはずだ。

 逆に性能を知らしめた方が、戦術・戦略を最大の武器とし、その構築に力を注ぐことになる。

 もし性能や秘密のみに拘るとしたら、戦前軍部の精神を二の舞いを演じることになるだろう。尤も右翼の軍国主義者安倍晋三にこそ相応しい戦前軍部の精神の踏襲と言うことができる。

 最後に「重大テロが発生した場合の対応要領」を秘密指定に入れているが、発生する場合に備えた「対応要領」ではない。「発生した場合」となっている。

 「発生した場合の対応要領」と発生に備えた「対応要領」とは状況自体が異なるのだから、自ずと違いがあるはずだ。

 今後発生するかもしれないテロに備えた「対応要領」が知られたら、裏をかかれることになるから、秘密指定は必要だろう。だが、「発生した場合の対応要領」が秘密とされたら、その場でテロリスト全員を逮捕できたならいいが、何人かが逃走したりあるいは人質を取ってどこかに立て籠もった場合、国がどう対応するのか「対応要領」を知らされなければ、国民は不安に陥るだろう。

 テロリストと交渉せずを優先して、人質の生命(いのち)を次善とするのか、人質の生命(いのち)を優先して、テロリストと最後まで交渉するのか、国民に対して明確に説明すべきだろう。

 アルジェリアの邦人人質事件から判断すると、安倍晋三は口先では「人命優先」を言うだろうが、本質のところでテロリストとは交渉せずを優先的態度とし、人質の生命(いのち)は次善とする思想の持ち主に見える。

 元々日本人は戦略的思考に欠けると言われている。国家行為を秘密にすることにばかりにネルギーを使うのではなく、戦術と戦略の創造的思考能力の向上にこそエネルギーを注ぐべきだろう。

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