猪瀬東京都知事は2020年夏のオリンピック開催都市東京決定まで眠れぬ夜を過ごしたと思うが、徳田虎雄自民衆院議員に対する昨年12月衆院選での運動員買収の公職選挙法違反容疑で東京地検特捜部が9月17日、徳洲会グループへの強制捜査に乗り出してから、5000万円の札束が脳ミソを占拠してしまい眠れぬ夜を過ごしているに違いない。
このことは猪瀬都知事の「やはり借りるべきではなかったな」という後悔の言葉が証明している。
だが、借りたが事実なら、何ら後ろ暗いところはないし、必要とした5000万円ということになって、借入と金額の正当性を損ないはしない。
但し手付かずにしていたから、そっくり返却した。どこに後悔するところがあるのだろうか。
後悔すること自体が疚(やま)しさを印象づける。そして眠れぬ夜を迎えることとなった・・・・はずだ。
猪瀬都知事の会見発言に見る数々のウソは、これまで東京オリンピック開催の成功に向けて強気の発言を続けてきただけに非常に興味を抱かせる。
11月22日の猪瀬“5000万円借入釈明”記者会見の「借用書」に関する発言だけを見たとしても、不明朗な5000万円であることが分かる。
発言の詳細は、《【猪瀬直樹知事会見詳報】(上・中・下)》が伝えている。発言はこの「詳報」に拠った。リンクは(上)のアドレスである。
記事が発言の遣り取りを伝える前に、〈東京都の猪瀬直樹知事は22日の定例会見で、昨年12月の都知事選前に医療法人徳洲会グループから5千万円の提供を受けた問題について報道陣から多数の質問を受け、「個人の借入金だった。すぐに返すつもりだった」との説明を繰り返した。借入の際につくった借用書について、貸主の名義を「見なかった」と話し、借用書が残っているかどうかについても、「ちょっと確認しないと分からない」と話すなど不自然さも目立った。〉と解説していて、「借用書」に関わる言及自体に疑惑の存在を指摘しているが、「借用書」の発言だけを取り上げ、自分なりの解釈を加えて、そのウソ・ゴマ化しを浮き立たせたいと思うが、そうすることで5000万円借入に関わる経緯全体のウソ・ゴマ化しがどれ程のものか、想像することができると思う。
記者「借用書をつくったということだが、貸した側は徳洲会という団体なのか個人名なのか。虎雄さんかもしれないが」
猪瀬都知事「わかりません、すいません」
記者「借用、書いて分からないのか」
猪瀬都知事「ていうか、その…借用書と書きました」
記者「貸した側も当然名前があると思うが」
猪瀬都知事「名前見ませんでした」
記者「え?」
猪瀬都知事「見ませんでした。だけど徳洲会側だとは当然認識していますから、そして借りましたということで、また徳洲会側に返済すればいいと思っていました」
記者「11月の中旬くらいにさまざまな方に挨拶行っていろいろな方に協力いただけるということで、同じようにお金を貸してくれた団体はあったか」
猪瀬都知事「ありません、記憶にありません」
記者「じゃ借りたのは徳洲会側だけ?」
猪瀬都知事「先ほど申し上げたように、申し出がありましたのでお断りするのも何かいけないような感じがしましたので、とりあえず、とりあえずお預かりする。お預かりするのも借用書を書かないといけないので、借用書を書きました。お預かりしただけですから1月には返済するとお伝えしたわけですね」――
「お預かりするのも借用書を書かないといけないので、借用書を書きました」の発言と、借入に関しては秘書も事務所の会計責任者も誰も関与していなかったと別のところで行っている発言から、借用書は猪瀬都知事自身が書いたことになる。だが、借用書を書くについては貸主――カネを貸してくれる相手の名前を、徳洲会名とするのか、徳田虎雄前理事長名とするのか、徳田毅衆院議員名とするのか、いずれか相手の名前を宛名書きしなければ、正式な、あくまでも正式な借用書は成り立たない。
隠しガネとするつもりであったなら、宛名を隠す場合もあるだろう。
だが、記者の「貸した側も当然名前があると思うが」という問に対して、猪瀬都知事は「名前見ませんでした」と答えている。見る、見ないの問題ではなく、借用書を自分で書いたときに、当然記入しなければならない宛名を書いたのか、書かなかったのかの問題である。
書いたのか、書かなかったのか、どちらかの記憶としなかったところに明らかにウソ・ゴマ化しがある。
勿論、借用書自体を書かず、当然、渡していなかったということもあり得る。借用書を書かなければ、宛名書きの記憶もないことになる。
実際に宛名書きした借用書を相手に渡していたなら、正式の借用書となるが、宛名書きをしないままの借用書を手渡したか、借用書自体を渡していなければ、出所(でどころ)を知られたくない、黒いカネとしての貸し借りの処理ということになる。
宛名を書かなかったとしても、借用書を相手に渡していたなら、宛名は誰か、頭に入っているはずだ。
どちらも記憶がないとしていることは、借用書自体を書かなかった疑いが色濃く出てくる。このことは後の展開を見ると、理解することができる。
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記者「借用書をつくったと言ったが、その場でつくったのか」
猪瀬都知事「借用書はもちろんすぐその場でつくられますね」
記者「日付の入っているものですか」
猪瀬都知事「はっきり記憶していないが、多分それは日付が入っているかもしれませんね」
記者「借用書は金を返した後、自分の手元に戻ってくるものだと思う。今、手元に残っているものなのか、それとも破棄してしまったのか」
猪瀬都知事「多分、借用書は返ってきていることになると思います。借りたものですから返して、借用証は向こう側にないということになりますね」
記者「それを捨てるケースもあると思います。返していれば借用書が不要になるケースもある。今、ありますか」
猪瀬都知事「ちょっと分かりません。返済に直接行ってませんので。ただ、借用書はもう要するに返したということは聞いています」
記者「知事が直接(5000万円を)受け取ったと言ったが、渡したのは徳洲会関連の徳田毅議員か」
猪瀬都知事「直接、本人に確かめてください」
記者「しかし、この会見はテレビで多くの人がごらんになっていると思いますし、何よりも知事の選挙と関係があるのではと思ってみている人が多いと思います。知事が選挙じゃなくて個人の借り入れと言っているが、先ほど読売新聞の記者も言っているが、徳洲会という医療法人が強制捜査を受けて全国的な注目にもなっていると思います。5千万円という大金を知事に渡した人が誰かというのは大事な問題だと思います」
猪瀬都知事「分かりました」
記者「徳田毅議員ですか」
猪瀬都知事「徳田毅議員です、それは」
記者「受け取ったのは議員会館でしょうか」
猪瀬都知事「ちょっとどこだったのか、今…。あのいろんな人に会っていたので当時は、誰がいつというのは認識がちょっと薄いところがあります」――
ここの遣り取りでは最初からウソがある。猪瀬都知事は記者の追及に押し切られて、あとのところで返却場所を、「議員会館だったかもしれません」と答えている。つまり猪瀬都知事が議員会館に出かけて行って、5000万円を返却したことになる。
記者が「借用書をつくったと言ったが、その場でつくったのか」と聞いたのに対して、猪瀬都知事は「借用書はもちろんすぐその場でつくられますね」と答えている。
猪瀬都知事が5000万円を受け取るために議員会館に出かけるについては相手から受渡し場所と受渡し時間の電話やメール等による前以ての連絡が入っていなければならない。何の連絡もないままに、指定時間通りに指定場所として議員会館に出かけることはできない。
何の連絡もないままに指定時間通りに指定場所に出かけることができたとしたら、猪瀬都知事は超能力者である。
借用書を書いたが事実としたら、通常、連絡後に借用書を用意するし、連絡時点で、電話してきた相手が宛名書き(貸主)は誰にするか指定するはずである。
指定がなければ、借用書としての体裁を整えるために、猪瀬都知事の方から宛名を聞かなければならない。
電話等で前以て連絡を受けながら、借用書を用意せずにカネの受け渡し場所に出かけて、その場で書くということは常識として考えることはできない。
勿論、借り手のサインを書くだけで済む体裁の借用書を相手が用意してくるというケースもある。その場合はその場で署名することになるが、そうであったなら、相手が用意してきたことを言わなければならない。「借用書はもちろんすぐその場でつくられますね」と、そのことが常識であるかのように言うだけで済ますことはできない。済ませているところにウソ・ゴマ化しを感じさせるだけではなく、さも常識であるかのような言い方自体に実際は借用書は存在しないのではないかという疑惑まで窺わせる。
5000万円渡した相手に関しては最初は、「直接、本人に確かめてください」と言っている。関係者の話として徳田毅議員の名前が上がっていることからの暗黙の了解として用いた「本人」であろう。
猪瀬都知事と記者たちの間に暗黙の了解がなければ、「本人」が誰だか特定不可能となる。だが、暗黙の了解を利用して、「本人に確かめてください」と言っているところになるべく名前を出すまいとするゴマ化しがある。
正しい借入なら、ウソもゴマ化しも必要とはしない。ウソもゴマ化しも必要とするのは正しくない借入であるという逆証明としかならない。
記者になお追及されて、徳田毅議員の名前を出したが、受け渡し場所はなお濁している。
かくまでもウソ・ゴマ化しを必要としているということである。
これで毎夜ぐっすりと眠れるとしたら、怪物である。いくら図太くても、眠れぬ夜を迎えているはずだ。
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記者「5千万円が個人の借り入れということですが、この選挙で後継指名を受けてあいさつ回りをされている中でですね、その時期に5千万円を受け取って返されたということであれば、借用書をですね、広報通じても結構ですので公開していただけないか」
猪瀬都知事「借用書があるかどうかちょっと確認しないと分かりませんので、返してもらっているはずですから、それは間違いなく返済されたというふうになっております。実際に返済しましたから。繰り返しますが、僕は選挙というものをよく知りません。いろんな方がいろんなことをおっしゃいますので、だからむしろ手つかずにしておいて、あ、結局こういうものは関係ないんだなという認識で、取りあえず受け取りましたが、あくまでも個人として借入金として受け取って、従いまして持っている必要ないなというふうに、だんだん気付きまして1月にお返しするとちゃんとこういう問題が起きる前にお伝えしました」
記者「借用書は公開できるのか」
猪瀬都知事「それは確かめてからにします。僕は今、直接持っていないので」
記者「あるかないかを確認してから、公開するか決めるということか」
猪瀬都知事「まあそういうことになりますが、もしかしてそれは終わったら借金を借り入れしたわけですから、いらなくなったらいらないということで破棄してしまうということもありますので、あるかどうか分かりません。あくまでも貸した側が借用証を持っているわけですから、返したら借用証がいらなくなるわけですよね。ですから借用証を僕は持っている必要がないので、それはどうなったかは分かりません」――
記者が借用書の公開を求めたのに対して猪瀬都知事は、「借用書があるかどうかちょっと確認しないと分かりませんので」と言って、公開の確約を避けている。
5000万円の借入と返済に何ら疚しいとことがなければ、そして実際に借用書を書いているなら、当然、返済と同時に返済の証拠として借用書を取り戻しているはずだから、公開に潔く応じるはずだが、逆の潔くない回避意識を見せている。
疑うなと言われても、ウソ・ゴマ化しを感じ取って疑わざるを得ない。
しかも公開の確約を避けたあと、カネの取り扱いに不慣れだったと借用書の公開とは関係ないことに多くの言葉を費やしていることも、ゴマ化そうと意識を働かせているからと見ないわけにはいかない。
記者がなおも借用書の公開を求めると、返済したなら、「いらなくなったらいらないということで破棄してしまうということもありますので」と奥の手を出した。
だが、借用書を実際に書いていたなら、奥の手を出す必要はない。その借用書が人に見せても不都合もゴマ化しもない借用書なら、いわば正しい貸し借りであり、返済であるなら、やはり奥の手は必要としない。
逆説するなら、借用書を実際に書いていなかったか、ゴマ化しのある借用書の場合は奥の手が必要となる。
借用書に関わる釈明にウソ・ゴマ化しを潜り込ませているから、「あくまでも貸した側が借用証を持っているわけですから、返したら借用証がいらなくなるわけですよね。ですから借用証を僕は持っている必要がないので、それはどうなったかは分かりません」と、矛盾だらけのウソ・ゴマ化しの発言で纏めなければならないことになる。
確かに貸し手側は貸金の返済を受けたなら、借用書は必要なくなる。だが、逆に借り手側は返済と同時に返済の証明と借り手の立場から解放された証明として返還された借用書を所有しておくことが必要となる。
だが、「ですから借用証を僕は持っている必要がないので」と、逆のことを言っている。
必要なのは借用書だけではない。民法は次のように規定している。
〈(受取証書の交付請求)
第486条 弁済をした者は、弁済を受領した者に対して受取証書の交付を請求することができる。
(債権証書の返還請求)
第487条 債権に関する証書がある場合において、弁済をした者が全部の弁済をしたときは、その証書の返還を請求することができる。〉――
「債権に関する証書」とはここで取り上げている「借用書」のことなのは断るまでもない。
両条とも義務規定ではないが、一般常識的には借入金の返済と同時に借用書の返還と返済したことを証明する「受取書」、もしくは「受領書」の類を請求して、返済を有効たらしめるために手許に一定期間置いておくことをするはずだ。
だが、猪瀬都知事は借用書を手許においていないばかりか、「受取書」、もしくは「受領書」の類に関して何の言及もない。まるで借用書の返還も、「受取書」や「受領書」の類も必要としない5000万円の借入と返済であるかのようで、社会一般の常識をどこにも感じさせない借入と返済となっている。
法に触れない、どこに出しても恥ずかしくない借入と返済であるなら、果たして東京都知事という要職にある者が取る態度と言うことができるだろうか。
「借用書」に関わる釈明一つとっても、様々にウソとゴマ化しが存在する。一つのウソ・ゴマ化しはそれを正しいことと証明するために次のウソ・ゴマ化しを呼ぶ。当然、釈明全体にウソ・ゴマ化しが波及することになる。
このようなウソ・ゴマ化しは事実としていないことを事実とすることによって発することになる。
猪瀬都知事は益々眠れぬ夜を迎えることになるはずだ。進退への波及を恐れて。