高市早苗・有村治子・山谷えり子女右翼三羽烏が日本の戦争を正しい「日本国の国策」と認識した靖国参拝

2014-10-19 06:33:50 | Weblog

 
 安倍晋三が「女性が輝く社会」、「女性の登用促進」を成長戦略の柱に据えて、その先導的事例として2014年9月3日発足の安倍改造内閣に女性閣僚を5人も据えた中で3人が右翼国家主義者であるというのは自身が右翼国家主義者であることから、その親近性の現れとして非常に象徴的だ。

 いわば安倍晋三のホンネは「女性が輝く社会」にしても、「女性の登用促進」にしても、高市早苗や有村治子、山谷えり子といった古臭い価値観の女性にこそ担って欲しいと願っているはずだ。願っていなければ、女性閣僚5人のうち、3人も右翼国家主義者を任命するはずはない。

 そして発足後最初の靖国神社春の例大祭に3人が参拝したのは予想されたことで、別に驚きはしない。安倍晋三が外交上の理由から参拝を見送らなければならなかったその空白を3人が自分たちの参拝で補っているはずだ。

 3人の10月18日の参拝後の記者たちに語った発言を二つの「NHK NEWS WEB」記事から見てみる。

 高市早苗「国策に殉じられて尊い命を落とし、国の存立を守ってくださった方々に対して、感謝の気持ちと哀悼の誠をささげて参りました。

 (日中関係への影響について)1人の日本人が国策に殉じられた方々を思い、尊崇の念を持って感謝の誠をささげるという行為は、私たちが自由に自らの心に従って行うものであり、外交関係になるような性質のものではないと思っています」

 山谷えり子「国のために尊い命を捧げられたご英霊に感謝の誠をささげた。平和な国づくりをお誓い、お約束した」

 有村治子「国難に際し命を捧げられたみ霊に対し、心を込めてお参りをした。国難のとき、戦地に赴き命を捧げられた方々にどのように向き合うか、どのように追悼するかは国民が決める話であり、他国に『参拝せよ』とか『参拝するな』と言われる話ではないと認識している」――

 閣僚を形成する右翼国家主義者三羽烏は「国策に殉じられて尊い命を落とし、国の存立を守った」、「国のために尊い命を捧げられた」、「国難に際し命を捧げられた」と、それぞれが戦死者たちの戦争行為を正当化している。

 その正当化は戦前日本国家の国策の正当化――戦争そのものの正当化に他ならない。戦死者の戦争行為のみを正当とし、国家の戦争を否定するのは二律背反以外の何ものでもないからだ。
 
 例えば戦死者を国家が始めた戦争の犠牲者と位置づけた場合、戦死者たちの戦争行為を否定すると同時に国家の戦争を否定しなければならなくなるが、その逆を行って、両者に正当性を与えているのである。

 戦死者の戦争行為を正当と認識し、国家の戦争を肯定する認識で把えているということは、大日本帝国を国家の形として全体的に肯定する認識に囚われていることになる。

 と言うことは、高市早苗たちが戦死者を国策に殉じた、国家のために尊い命を捧げたと顕彰する靖国参拝とは、顕彰を通して戦前の大日本帝国に国家の理想を見、大日本帝国を体感する儀式に他ならないことになる。

 このことの根拠の一つとして自民党の政調会長だった当時の高市早苗が2013年5月12日のNHK「日曜討論」に出演したときの発言を挙げることができる。

 安倍晋三の歴史認識がテーマとなっていた。

 高市早苗「ただ、あの、国策を誤り、村山談話の中に国策を誤りと、ありますけれども、それでは当時ですね、資源封鎖もされて、その中で全く抵抗もせずに植民、日本が植民地となる道を選ぶのがベストだったのかどうなのか、当時の国際状況の中で何が正しかったかということを自信を持って主張できる政治家など、あの、今の日本にはいないと思います」――

 高市早苗は「当時ですね、資源封鎖もされて、その中で全く抵抗もせずに植民、日本が植民地となる道を選ぶのがベストだったのかどうなのか」と、かくこのように資源封鎖を受けた反作用として、いわば止むを得ないこととして大日本帝国の国策と戦争を正当化している。

 だが、「Wikipedia」によると、アメリカが日本に対して経済制裁を課したのは日中全面戦争の発端となった1937年(昭和12年)7月7日の盧溝橋事件以後の1937年(昭和12年)10月5日からであって、中国に対する日本の武力による領土拡大を受けた牽制であったはずだ。

 そして中国に於ける日本の領土拡大政策に対してアメリカは経済制裁を段階的に強化していき、フランス領インドシナ当局との協定に基づいていたとは言え、1940年9月の日本軍の北部フランス領インドシナ進駐と同1940年(昭和15年)9月27日の日独伊三国同盟、更にアメリカから実行に移した場合、対日石油禁輸に踏み切る警告を受けながら、1941年7月28日の仏印南部への進駐開始等の日本軍の南方進出を手段とした領土拡大政策に併行させる形で、それらを阻止する手段としてアメリカは1941年(昭和16年)6月21日の石油の輸出許可制、1941年(昭和16年)7月25日の日本の在米資産凍結令、1941年(昭和16年)8月1日の石油の対日全面禁輸を発令させているのであって、先に日本の中国侵略があり、さらに日本の南方進出という領土拡大政策があって、それらと併行させる形で経済制裁としての「資源封鎖」があったのであって、高市早苗が言うように先に「資源封鎖」があり、生存手段として中国侵略があったのでもなく、南方進出の領土拡大があったのではない。

 日本の戦争のこのような経緯を前提にした場合、もし右翼国家主義者の高市早苗が言う「資源封鎖もされて、その中で全く抵抗もせずに植民、日本が植民地となる道を選ぶのがベストだったのかどうなのか」という主張に正当性を与えるとしたら、北朝鮮が現在各国から受けている経済制裁によって国家経済が破綻して生じることになりかねない自らの独裁体制存立の危機に対するその回避策として国民の不満を外に向けるために対外的な軍事的暴発を企み、「北朝鮮が資源封鎖もされて、その中で全く抵抗もせずに国家が崩壊する道を選ぶのはベストだったのか」との口実でその暴発に正当性を与えたとしても、高市早苗はその正当性を全面的に受入れなければならない。

 高市早苗の日本の戦争に対する正当論はその程度の軽薄さしかない。

 当然、靖国参拝の正当論にしても、戦争正当論に準じた軽薄さが伴うことになる。

 安倍晋三にしても同じだが、右翼国家主義者たちにはなぜこうも軽薄さ・小賢さが付き纏うのだろうか。

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