日本人の優越性の確証として嫌中・嫌韓という形で中国・韓国を下に置くとしたら、情けない

2014-10-01 09:29:50 | Weblog
 Structure of the bullying


 安倍晋三が首相になってその国家主義を露わにし、戦前日本国家を肯定して戦後のGHQ占領下の日本を否定する歴史認識が自ずと表している日本を偉大な国家と見る大国意識に、景気回復をアベノミクスの成果と見ていることも手伝ってのことだろう、感化を受けて、日本人が伝統的に血としている日本人優越意識に火がついたのか、国民の間にも日本を優越した大国と見る風潮が蔓延(はびこ)っているように見える。

 安倍晋三が戦後のGHQ占領下の日本を否定する歴史認識を持っていたことは2012年4月28日の自民党主催「主権回復の日」に送った安倍晋三のビデオメッセージにある、「本来であれば、この日を以って、日本は独立を回復した国でありますから、占領時代に占領軍によって行われたこと、日本がどのように改造されたのか、日本人の精神にどのような影響を及ぼしたのか、もう一度検証し、それをきっちりと区切りをつけて、日本は新しスタートを切るべきでした」の言葉が何よりも証明している。

 自国を偉大な国家と見る大国意識は殆どの場合、その証明を他の国を持ってきてその国とその国の国民を下に位置させて、その国との比較で行う。だが、このような証明は優劣のモノサシをそこに置くことになって、人種差別の構造、あるいは民族差別の構造を成り立たせるゆえに危険である。

 アドルフ・ヒトラーもユダヤ民族を劣る民族として下に置いて、それとの比較でゲルマン民族を決定的に優越的な上の位置に置く人種差別を国民統合の手段とし、ドイツ国民を鼓舞、雄々しい集団に纏め上げた。

 日本も1940年(昭和15年)第2次近衛内閣の「基本国家要項」に「憂国の大精神」として登場させた『八紘一宇』(「全世界を一つの家とする」意)を海外進出正当化のスローガンにして対米戦争へと突入、南方進出と他国領土占領へと向かうことになった。

 いわば日本の国とその国民たる日本人を「全世界を一つの家とする」ことができる最上・最良の位置に起き、アジアの国々とその国民を日本に支配されてもいい下の位置に置いたのである。ここに同じアジア人でありながら、他のアジア人に対する民族差別観が介在していた。

 だから、昭和天皇は敗戦翌年の昭和21年1月1日に『新日本建設に関する詔書』(人間宣言)を発表、天皇と国民との関係は「天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ且日本國民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延(ヒイ)テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル觀念ニ基クモノニモ非ズ」と、戦前そうであったことを否定して新たに規定しなければならなかった。

 日本国家と日本国民が全てに亘って優秀であるということは決してあり得ない。それぞれが優秀であったり、劣ったり、あるいは遅れていたりする。当然、自国と自国民が全てに亘って優秀であるとする画一化させた民族的優越意識に基づいて他国や他国民を差別した状況に置く比較は許されないことになる。

 ところが最近になって、インターネット上に嫌韓・嫌中の書籍が多数出版されていて、一種の出版ブームとなっているという記述に気づいた。

 どのような書籍か、ツイッターに出ていたものを並べてみる。

 扶桑社 『沈韓論』、『恥韓論』
 産経新聞出版 『呆韓論』
 新潮社 『悪韓論』
 幻冬舎 『犯韓論』
 宝島社 『恨韓論』
 徳間書店 『悲韓論』
 飛鳥新社 『愚韓新論』
 晋遊舎 『誅韓論』
 笠倉出版社 『卑韓論』

 書籍の題名には韓国という国や韓国民を劣るとする蔑視意識が反映されている。

 嫌中書籍は一冊しか見つけることができなかった。

 徳間書店『嫌中論』(黄文雄著)

 黄文雄氏は1938年生れの台湾出身、日本国籍取得の評論家、拓殖大学日本文化研究所客員教授だそうだ。『本当は正しかった日本の戦争』という書物も著しているから、日本国籍取得と合わせて日本贔屓、中国排斥の感情にあるのかもしれない。

 どのような嫌中・嫌韓書物を著そうと、それを出版しようと言論の自由によって守られている。

 問題は嫌韓・嫌中本のコーナーの隣に、全部が全部ではないだろうが、日本という国が優れているとする書籍や日本人は優秀であるとする書籍のコーナーが設けれらているという点である。

 このような光景に他国とその国の国民を下に位置させて、その国との比較で自国と自国民を優越的位置に置く民族差別・人種差別の構造を見ないわけにはいかない。

 多分、嫌中・嫌韓書籍と日本の国と日本人が優れているとする書籍を比較したとき、日本人の優越性を確認し、自らの日本人優越意識を満足させることになるに違いない。『やっぱりな』と。

 そのようなコーナーがなくても、民族優越意識が他国とその国民を劣る位置に置く比較の構造を取る以上、元々からある日本人は優れているという日本民族優越意識の裏返しとしてある韓国人や中国人を日本人よりも劣る国民であるとする差別意識が嫌韓・嫌中書籍と響き合うからこそのそのような書籍の一種の出版ブームであり、売れ筋としての書店に於ける専用コーナーの設置ということであろう。

 他国民とその国民を劣る国民としてその能力を画一的に固定し、それとの比較で自国と自国民を能力的に優越的であると決めつける人種差別・民族差別の価値判断は人間として自律した考えや行動を示すことができないことによって可能となる。

 自律とは考えや行動の独自性を言う。独自性を獲得できたとき、独自性を価値観とする客観的認識性で物事を判断することになる。独自性を一切認めず、国や国民を画一的に価値づけ、それを比較して優劣・上下に置く差別の構造は取らない。

 だが、今日本では逆の風潮が一部で吹き荒れているようだ。

 勿論、韓国や中国に於いても同じかもしれないが、日本は日本でなければならない。蝸牛角上の争いをしても始まらない。

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