安倍晋三が「我が国が世界に誇る伝統文化だ」と言う武道から受け継いだ権威主義のマイナス面

2014-10-08 09:21:04 | Weblog


 安倍が10月5日、東京都内開催の日本武道館開館50周年記念式典に出席、次のように挨拶した。

 安倍晋三「日本武道館の開館50周年の記念式典の開催に当たり、一言御挨拶を申し上げます。50周年という輝かしい節目を迎えられましたことは、本日御臨席の塩川正十郎先生を始め、ひとえに諸先輩方の長年にわたる御尽力のたまものであります。ここに深く敬意を表する次第でございます。ありがとうございました。

 心技体を一体として、礼を修め、技を磨き、身体を鍛え、心胆を練る。武道は我が国が世界に誇る伝統文化であります。「礼に始まり礼に終わる」と言われるように、礼節を重んじる武道が、今日、我が国のみならず、広く世界の人々に愛され親しまれていることは、誠に喜ばしいことであります。それも、世界に誇る武道の殿堂・日本武道館なくしては、今日の武道の普及・発展はありませんでした。

 開館直後に開催された東京オリンピックでは、柔道の競技会場となり、歴史に残る熱戦が繰り広げられるとともに、剣道・弓道・相撲も披露されました。初めて正式種目となった柔道の競技で、日本は4階級のうち3階級で金メダルを獲得、27もの国から選手が参加し、柔道が国際的に発展していくきっかけとなりました。

 2020年には、東京オリンピック・パラリンピックが開催され、再び日本武道館が熱い戦いの場となります。大会を契機に、国内外の多くの方々が武道の神髄に触れ、平和で豊かな社会づくりへとつながることを期待しています。

 結びに、この50周年を契機として、本日御参集の方々を始め、関係の皆様がより一層力を合わせ、これまで以上に武道の振興に御尽力を賜りますようにお願いを申し上げる次第であります。日本武道館の益々の発展と、これまで支えてこられた多くの皆様方の御健勝を祈念いたしまして、私のお祝いの言葉とさせていただきます」(首相官邸HP)――

 日本の武道は勝負よりも「心技体を一体」とする精神性をより価値あることとし、それゆえに勝負の際には「礼に始まり礼に終わる」作法を徹底させることで、「礼節を重んじる」精神を珠玉の美徳として学ぶ、それが「武道の神髄」であって、このような精神的な優位性によって「武道は我が国が世界に誇る伝統文化」となっている。

 何から何まで結構毛だらけ、長所だらけの日本の武道と言うことになる。非の打ち所もない。

 但し、安倍晋三がいくら日本の武道を持ち上げようとも、武道を嗜んでいる日本人すべてが武道の精神を体現しているかどうかである。

 勿論、体現している日本人もいるだろう。

 武道は武士階級を発祥の場としている。武士は封建体制下にあって、長いこと日本の支配者階級に位置していた。階級は権威主義の力学を基盤としている。いわば支配階級にしても被支配階級にしても、権威主義を自らの血とすることによって、その成立を可能とする。

 当然、武道にしても権威主義を力学として発祥していることになる。いくら武道の勝負に際して「礼に始まり礼に終わ」ろうとも、階級意識から自分を相手に対して上に位置させていたり、下に位置させていたのでは、「心技体」は些か怪しくなり、現代の「礼節」とは言えなくなる。

 この権威主義は戦後に日本が民主化することによって、断ち切ることができのだろうか。民主化とは人間関係に於ける如何なる階級も精神的にも社会的にも一切廃し、人間を個として評価し、それぞれを平等とすることを意味する。

 日本の野球やサッカー、バスケット、バレー、その他のスポーツやそのルールは西洋から伝えられたが、それぞれの運動部や各種スポーツのチームを形成する集団の人間関係は武道に於ける人間関係の力学をそのまま受け継いでいる。

 この受け継ぎはそれらの集団が権威主義の派生としての先輩・後輩の上下関係によって形成されていることが周知の事実となっていることによって証明することができる。

 2012年12月、大阪市立桜宮高校2年生が部活顧問から頻繁に体罰受けて首を吊って自殺したのは部活顧問の指示・命令を絶対とする、いわば部活顧問の存在を絶対とする権威主義によって引き起こされた事件であろう。

 2012年4月、日本柔道女子のトップ選手15人が日本オリンピック委員会(JOC)に提出した告発文が内容としていた園田隆二代表監督(39)ら指導陣の暴力行為やパワーハラスメントにしても、園田隆二代表監督ら指導陣を絶対的存在とし、その命令・指示を絶対とする権威主義の力学を背景として発生したはずである。

 更に言うと、2008年北京オリンピックの男子66kg級で金メダルを取った内柴正人が女子柔道部のコーチの立場で女子部員に自己が持つ優越的地位を利用したセクハラ行為を行い、2011年9月、遠征先宿泊ホテルで酒に酔った未成年の10代女子部員を強姦、準強姦罪で起訴され、2014年4月23日、最高裁判所で懲役5年の実刑判決が確定しているが、これも権威主義的な上下関係の力学が可能とした行為である。

 「礼に始まり礼に終わる」作法を通して「礼節を重んじる」精神を積み重ねていって「心技体の一体」を学んでいき、「武道の神髄」を極めなければならない立場にいる彼らが、日本のかつての武道が人間関係の本質としていた権威主義を受け継いだまま、そこから抜け出ることができずに、その悪しき慣習の発揮に身を任せる。

 彼らだけではない。多くのスポーツや学校の運動部の場で、顧問や先輩を絶対とする権威主義が横行していて、その権威主義が時には顧問の部員に対する、あるいは先輩部員の後輩部員に対する体罰となって現れている。

 学校の各種運動部や社会の各種スポーツのそれぞれのチームが形成する集団の人間関係が武道の権威主義的人間関係を反映させている以上、安倍晋三みたいに単細胞に、「武道は我が国が世界に誇る伝統文化であります」とばかり言ってはいられない。実態とかけ離れているマイナス面が多々あるからだ。

 安倍晋三は「大会を契機に国内外の多くの方々が武道の神髄に触れ、平和で豊かな社会づくりへとつながることを期待している」と言っているが、「平和で豊かな社会」とは一言で要約すると、格差のない社会でなければならない。格差がないことによってよりよく権威主義を廃することができる。
 
 果して「我が国が世界に誇る伝統文化」である「武道」が格差なき社会――権威主義を廃した社会の創造に役立ったのだろうか。

 答はノーである。大体が安倍晋三の経済政策アベノミクスは格差ミクスと言われ、カネ持ちミクス、とも言われている。「平和で豊かな社会づくり」を言う資格はない。

 日本人の人間関係に於ける権威主義の濃密化には役立つだろう。

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