麻生太郎の「子どもを産まないのが問題だ」発言釈明記者会見のゴマカシは国民の信託に対する新たな裏切り

2014-12-11 08:58:40 | Weblog
                生活の党 2014年総選挙公認候補予定者




      生活の党PR

       《12月9日(火) 小沢一郎生活の代表対IWJ岩上安身氏インタビュー動画&記事》    

      インタビュー内容「いずれまた、政権交代の機運が高まる時が来る」

 幼児性の麻生太郎大明神が「子どもを産まないのが問題だ」と述べた自らの発言を12月9日の閣議後記者会見で釈明したとマスコミが伝えていた。記事の発言を見ると、新たなゴマカシにしか見えないし、発言自体に矛盾も見える。

 例えば、「誤解を招いた」としている発言である。副総理兼財務大臣という重職に就いていて招いていい誤解かどうかの自らの判断がないままに、あるいは判断するだけの能力がないままに「誤解」としているゴマカシと矛盾は見過ごすことはできない。

 詳しい発言を知りたいと思って財務省のサイトを覗いてみると、記者会見の模様が載せてあった。単細胞の政治家の記者会見の割には名前が仰々しい。問題の発言で二度質問を受けている。

 関係発言のみを記載する。読みやすいように改行を適宜行っている。

 麻生副総理兼財務大臣兼内閣府特命担当大臣閣議後記者会見の概要(財務省/2014年12月9日(火曜日))    

 記者「衆院選の応援演説に関しての発言について1点伺わせていただきます。7日に札幌市内で行われた演説で少子高齢化に伴う社会保障費増に関して、高齢者が悪いというようなイメージを作っている人が多いが、子どもを産まないのが問題だという発言があり、また6日には株高円安で収益が上がらない企業は経営能力に問題があるとの趣旨の発言をされていらっしゃいます。この2つの発言に関して、その真意を伺わせていただけますか。

 麻生大明神「まず少子高齢化の話というのは、高齢者が多くてとよく話が出るけれども、高齢者が多くなるというのが問題なのではなくて、昔は6対1、勤労者6、高齢者1ぐらいの比率だったのが今は3対1、もうしばらくすると2対1になるというような状況になるので、という話をして、要は高齢者が多いのではなくて人口比率の問題なのですという話から子どもという話になったのだと思いますが、一番は子どもを産みたいけれども産めないというのはやっぱり周りの、預かり保育の話とかいろいろありますので、そういった意味では安心して子どもが産めるというような環境を作るということが大事なのだと私はそう思っていますので」

 6日の応援演説での中小企業の経営に関する発言に対する質問への答弁は直接アクセス願って知って貰うとする。

 記者「子どもを産まないのが問題という件に関して、大臣のおっしゃったような真意であれば、子どもを産めないことが問題だという方が正しい表現なのではとも思ったのですけれども、不適切な表現だったという御認識はおありでしょうか。

  麻生大明神「ありますね。産めないような状況、結果として産まないということを申し上げて、選挙の時ですから、時間はあと2分しかありませんというふうな状況で追われていますから、きちんと説明をするというのは少々省いてしまっているところがありますので、そこのところは、結果として産まない形になりますので、産めないから産まないという形になりますというその最初のところが私としては端折ってしまっているような感じがしますので、そこのところは、誤解を招いたという点に関しては、私共の方として手が抜けたというか、時間をかけるべきだったという思いはあります」(以上)

 内閣府特命担当大臣をも兼務しているが、金融担当だそうだ。

 間を置いて二度記者が質問しているが、質問者が同じ記者かどうかは記事からでは判断できない。

 最初の発言で、「要は高齢者が多いのではなくて人口比率の問題なのですという話から子どもという話になったのだと思いますが」と、自身の話の展開を「思います」という表現を使っている。
 
 記者会見で質問を受けて答えた場合は、振返ってはっきりした話の展開を思い出すことができない場合もあるだろうから、「確かそういった話になったのだと思います」という表現を使うこともあるし、使ったからといって、不適切ということにはならないだろうが、問題の発言は12月6日、7日の衆院選応援街頭演説の中で飛び出したのであって、自らの意思による話の展開である。

 いわば自身の意思で話の展開を選択して、自身の言葉でその話をした。

 選んで自分の言葉でそういう話をしていながら、「という話になったのだと思いますが」と、はっきりしていないかのように表現するのは発言のイキサツを曖昧にしようとするゴマカシの意思を自ずと働かせているからだろう。

 マスコミが伝えている言葉は「高齢者が悪いようなイメージをつくっている人がいっぱいいるが、子どもを産まない方が問題だ」と、女性が子どもを産まないことを問題視して、その責任を女性側に置いた発言であるが、それを産みたくても産むことのできない社会状況の方が問題だという方向に話を持っていって、自分の発言に間違いないとするためにはどうしてもゴマカシを介在させなければならない。

 そのようなゴマカシの出発点として、「という話になったのだと思いますが」という曖昧な表現を置いたということなのだろう。

 副総理兼財務大臣という要職に就いていながら、元はと言うと自身の考えの浅さからきている発言でありながら、国民への説明をゴマ化して自身の発言自体を間違いないとすることはウソそのものをついていることになるし、国民をバカにした態度と言うほかない。

 二度目の質問で記者は不適切な発言だったという認識があるか尋ねた。対して麻生太郎は、「あります」と不適切な発言であったことを認めた。
 
 但し自身の考えの浅さを演説時間の制約にすり替えるゴマカシに置き換えている。

 時間の制約があったから、「きちんと説明をするというのは少々省いてしまっ」て、「産めないから産まないという形になりますというその最初のところが私としては端折ってしまっ」たが、「産めないような状況」は「結果として産まない形になります」からと、不適切な発言だったという認識はあるとしながら、その発言は単に時間的な制約を受けた説明不足だと自身の発言を正当化している。

 改めて書き記すが、幼児性麻生大明神は「高齢者が悪いようなイメージをつくっている人がいっぱいいるが、子どもを産まない方が問題だ」と発言したのである。

 このように発言したことは少子高齢化問題は政治の責任ではなく、女性が子どもを産まないことを問題視して女性側の責任としたということである。言ってみれば、政治の側の責任をゴマ化したことになる。

 しかし釈明記者会見では麻生太郎大明神は女性側の責任としたことの意識もなく、「産めないから産まないという形」が「結果として産まない形」になると、政治の側の責任が女性の側の責任という経緯を取るという形式で女性の側にも責任を置く新たなゴマカシを働かせている。

 だが、出発点はあくまでも産みたくても産むことのできない社会的状況にある。このことは子どもが欲しい思う男女の割合が最近増えていることに対して出生率が目立って増えていない現状が証明している。このような社会状況を解決するのは政治であって、麻生太郎は「結果として産まない形」を強いている政治の側に身を置く人間としても、出発点が産みたくても産むことのできない社会的状況にあることからしても、政治の側にこそ責任を置くべきだが、女性の側にも責任を置こうとするゴマカシを見せた。

 そして何よりも無視できないことは問題発言に対する批判が時間的制約からの説明不足によって生じた「誤解」だとしている点である。

 麻生太郎大明神は経済企画庁長官、経済財政政策担当相や総務相、外相、財務相等の要職を歴任し、首相まで務めている。なおかつ自民党は少子化対策を重点政策の一つとして掲げている。出産・子育てを応援する社会の構築を目指し、すべての女性が輝く社会の実現を図ろうとしている。

 前者の履歴上の責任と、後者の政策を内閣の一員として重要な位置で支えなければならない責任は重大で、軽々しくはない。例えそれが「誤解」であったとしても、自身の重大な立場と責任からして、少子高齢化が「子どもを産まない方が問題だ」と女性の側の責任とする「誤解」を与えていいことには決してならない。

 「誤解」を与えること自体が麻生太郎自身の地位と責任に反することであり、当然のこと、国民の信託に対する裏切りを示す。

 だが、そのことの自覚が一切ない。当たり前の人間の感覚をしていたなら、感じてもいい自覚だが、感じないのは当たり前の人間に成長していない幼児性が関係していることになって、だから、あくまでも「誤解」で片付けようとゴマカシに走る。

 「子どもを産まない方が問題だ」と、少子高齢化を女性の側の責任とした時点で、既に経歴の価値と閣僚の資格を失っていた。

 その上での釈明記者会見での数々のゴマカシである。最終的には安倍晋三の任命責任をも問わなければならない麻生大明神の幼児性と、経歴の価値及び閣僚資格の喪失、さらに国民の信託に対する裏切りを新たに示した記者会見の釈明と見なければならない。

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