12月8日(2014年)、《政府主催拉致問題啓発「ふるさとの風コンサート」》を東京・渋谷区の「Bunkamura オーチャードホール」で開催した。「コンサートと啓発CMの費用は総額で1億円」と、「産経ニュース」が伝えていた。
冒頭の挨拶。
山谷えり子拉致問題担当相(特別調査委の立ち上げなど今年の日朝間の動きを紹介して)「この流れを、この動きを、日本の皆さまの声が後押しすることで解決につながっていく。これから結果を出さなければならない」(「産経ニュース」)
この発言だけで、安倍政権の拉致解決に関わる無能を証明して余りある。
日朝協議の流れ、動きを如何に解決の方向に着地させるかは安倍政権の外交能力にかかっている。当事者として交渉の舞台に登っているわけではなく、外野席に置かれている「日本の皆さまの声」にかかっているわけではない。
いわば何が肝心なのかは明らかに啓発コンサートではなく、安倍政権の外交能力である。
このコンサートは2012年に始まって、今年で3回目だそうだ。政府の「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」(12月10~16日)に合わせて毎年12月に開催しているそうだが、衆院選挙のドサクサに紛れ込ませたようにしか見えない。
なぜなら、交渉が行き詰まっていて打つ手がない手詰まりの状況下では往々にして肝心なことを離れた余分なことをして努力をしていますというところを見せるゴマカシを働くことがあるからだ。
啓発コンサート自体がそもそもからして政府が打つ手を失っていたことからの努力を見せる場としていた可能性は疑い得ない。
何しろ安倍政権は拉致解決に向けた対北朝鮮交渉で後手後手を踏んでいた。
2014年5月26日から5月28日までスウェーデン・ストックホルムで開催の日朝政府間協議で北朝鮮が「特別調査委員会」を立ち上げて、拉致被害者を始めとするすべての日本人に関する包括的かつ全面的な調査を約束した。
2014年7月1日の中国・北京での日朝政府間協議は北朝鮮が5月に立ち上げを約束した「特別調査委員会」の組織や権限等について説明を受けることを主たる目的としていた。
つまり5月の日朝政府間協議の際、「特別調査委員会」の組織や権限等の規模その他について細部まで詰めないポカをやらかせていた。そのために後から追いかけて細部を詰めるという後手を踏むことになった。
10月28日・29日の北朝鮮・平壌での日朝協議は当初北朝鮮側が「夏の終わりから秋の初め」と約束していた初回報告が遅れた理由を尋ねることと、「拉致が最重要課題だと責任者に伝える」ことを目的としていた。
安倍政権下で2014年5月26日~5月28日のスウェーデン・ストックホルムで開催の日朝政府間協議を始めてから同様の協議を何回か重ねていながら、「日本側は拉致を最重要課題とする」という姿勢を伝えていなかったということである。
ここでも後から追いかける後手を踏んでいる。
10月28日・29日の北朝鮮・平壌での日朝協議前の10月22日の首相官邸でのぶら下がり対記者団発言。
安倍晋三「今回の派遣は、特別調査委員会の責任ある立場の人に対して、われわれは拉致問題を最重要課題として考える、拉致問題の解決が最優先であるということをしっかりと伝えるために派遣すること、それが目的です。まさに調査をする責任者に私たちの一番大切な目的は何かということをしっかりと伝えなければならないということです。そして、この調査に直接関わる方々、責任者から進捗状況について話をしっかり聞く。そして先方に対して、正直に誠実に対応しなければならないということを先方に、責任者に伝えることが今回の派遣の目的です。
そして我々はこの(派遣の)決断をするに際して、私は基本的に拉致問題を解決するためにはしっかりと北朝鮮に圧力をかけて、この問題を解決しなければ北朝鮮の将来はないと、そう考えるようにしなければならないと、ずっと主張し、それを主導してきました。その上において対話を行っていく。まさにその上において今対話がスタートしたわけです。北朝鮮が『拉致問題は解決済み』と、こう言ってきた主張を変えさせ、その重い扉をやっと開けることができました」(産経ニュース)
「北朝鮮に圧力をかけて、この問題を解決しなければ北朝鮮の将来はないと、そう考えるようにしなければならない」を安晋三は自らが信じる拉致解決の絶対的手段としている。
だが、この絶対的手段そのものが言葉だけで後から追いかける後手となっている。
安倍晋三は2012年12月26日の首相就任前の2012年8月30日にフジテレビ「知りたがり」に出演、同じ趣旨のことを発言している。
安倍晋三「こうやって日本が要求している拉致の問題について答を出さなければ、あなたの政権、あなたの国は崩壊しますよ。そこで思い切って大きな決断をしようという方向に促していく必要がありますね。そのためにはやっぱり圧力しかないんですね」――
2012年9月12日に自民党総裁選への出馬表明後の2012年9月17日の「MSN産経」のインタビュー。
安倍晋三「金総書記は『5人生存』と共に『8人死亡』という判断も同時にした。この決定を覆すには相当の決断が必要となる。日本側の要求を受け入れなければ、やっていけないとの判断をするように持っていかなければいけない。だから、圧力以外にとる道はない。
金正恩第1書記はこの問題に関わっていない。そこは前政権とは違う。自分の父親がやったことを覆さないとならないので、簡単ではないが、現状維持はできないというメッセージを発し圧力をかけ、彼に思い切った判断をさせることだ。
つまり、北朝鮮を崩壊に導くリーダーになるのか。それとも北朝鮮を救う偉大な指導者になるのか。彼に迫っていくことが求められている。前政権よりハードルは低くなっている。チャンスが回ってくる可能性はあると思っている」――
2013年9月16日の『すべての拉致被害者を救出するぞ!国民大集会』での発言。
安倍晋三「この問題を解決をするためには、何と言っても北朝鮮側にこの問題を解決をしなければならないと、この問題を解決をしなければ国家として今後繁栄をしていくことはできない、と認識させなければならない。まさに圧力をかけながら何とか対話に持ち込みたいと思っている次第です」(首相官邸HP)
そして最近では2014年12月1日の日本記者クラブでの衆院選に向けた8党党首討論会。
安倍晋三「拉致被害者のご家族、ご両親の皆様、年々年を重ねておられまして、現段階においても解決できない、私、本当に申しわけない思いであります。金正日政権から金正恩政権に政権が変わりました。彼らがこの問題を解決しなければ、国際社会においてやっていくことができない、そう判断させなければならない、こう思っています」
安倍晋三が拉致解決の絶対的手段だと信じている「北朝鮮に圧力をかけて、この問題を解決しなければ北朝鮮の将来はないと、そう考えるようにしなければならない」とする方法論は、「こうやって日本が要求している拉致の問題について答を出さなければ、あなたの政権、あなたの国は崩壊しますよ」と金正恩に対して「あなた」と呼びかけていることからしても、呼びかけている相手にも信じ込ませることができなければ、永遠に有効性を見い出すことはできないし、カラ手形を切り続けることになる。
これは誰もが理解可能なプロセスであるはずだ。
安倍晋三は先に挙げた2013年9月16日の『すべての拉致被害者を救出するぞ!国民大集会』では次のようにも発言している。
安倍晋三「私は総理に就任をいたしまして、すでに20カ国訪問をしているわけですが、必ず拉致問題について説明をし、各国首脳の理解と支持を訴えているところです。幸い、国連にも新たな調査委員会ができて、カービーさんがこの前、日本へやって来られました。
しかしまだまだ、世界各国のこの問題に対する理解は十分と言えないわけですから、我々もさらに、しっかりと、国際社会と私達の認識を、共通の認識を持てるように努力を重ねながら、北朝鮮に対する圧力を強めていかなければならないと思います」――
金正恩にそう信じ込ませるなければならないことは20カ国を訪問して拉致問題について説明をして各国首脳に理解と支持を訴えることよりも肝心なことであるはずである。
だが、肝心なことに力を注がずに肝心でないことに力を注いでいる。この的外れが政府主催の拉致問題啓発コンサートを1億円も出して開催する力を生み出すことになっているに違いない。
北朝鮮と政府間協議を開催するたびに日本側から北朝鮮側にに安倍晋三が絶対的に有効だと信じている拉致解決の方法論を伝えているのかどうか分からないが、北朝鮮側の拉致解決に向けたのらりくらりとした姿勢からは相手に伝わっているようには見えないし、ましてやその通りだと信じ込ませているようにはさらさら見えない。
もし安倍晋三の方法論が北朝鮮側に届いていないとすると、安倍晋三は口先だけで終わらせている気の遠くなるような後手を踏んでいることになる。
もし届いていて、金正恩が鼻の先でせせら笑うがごとくに無視しているとしたら、安倍晋三が同じ方法論を拉致解決の絶対的手段と信じて繰返し発言し続けていることは悲劇そのものである。
いわば相手に届ける力もなく、届けることまでできたとしても、相手にそう思わせる力がないことを意味する。
どちらのケースであったとしても、こちらが絶対としていることに対する反応である以上、やはり気の遠くなる後手を踏んでいる状況に立たされていることに変わりはない。
拉致被害者家族会は第2次安倍政権の成立を歓迎した。小泉訪朝による5人の拉致被害者帰国に関わっていたからだ。だが、この暮に来て、歓迎は「年末までには解決を」と期待していたことが裏切られて、失望に変わっている。
拉致被害者家族会も安倍晋三が口先だけの政治家だともうそろそろ気がつかなければならない。