日本人の倫理的潔癖感のなさが石原慎太郎を政治家として今日まで生かしてきた

2014-12-19 05:10:53 | Weblog

 すべての日本人が倫理的な潔癖感を欠いているというわけではない。だが、相当数の日本人が、と言うことができる。

 東京都知事の舛添要一が12月16日(2014年)の記者会見で政界を引退した元都知事の石原慎太郎を「終わった人」と形容して、ネット上で、「失礼にもほどがある、リコールはよ」「本当に非常識だな」、「品がなさすぎ」と非難が殺到、物議を醸していることをツイッターで知った。

 「ディーゼル規制を含め、大きな功績があった。信念を貫いてきたことが大きいと思う」と賛辞を贈ったあとの切り捨てらしい。

 果して「終わった人」と片付けていいものだろうかと疑問に思った。太陽の党やその流れを汲む次世代の党の石原慎太郎を担いだ結党は当然のこと、石原慎太郎の政治思想に傾倒しての所属する議員たちの行動であったはずだ。

 だとすると、彼らと彼らを支持する国民の間にその政治思想、特に憲法観や核思想は生き続けるだろうし、似たような憲法観や核思想を持つ政治家が自民党内にも存在するだろうから、何らかの形で影響力を保ち続けることになる。石原慎太郎にしても元気でいる間は次世代の党の会合に顔を出して、鼓舞という形での直接的影響力を行使することも考えられる。

 ネット上で舛添要一の発言に対する批判者の中には石原慎太郎の思想に傾倒していて、だからこその批判ということもあるに違いない。

 決して、「終わった人」で片付けることはできないはずだ。

 舛添要一の記者会見のテキスト版が東京都のHPに記載されている。《舛添知事定例記者会見》(東京都/平成26年12月16日(火曜)14時00分~14時29分)  
 関係個所のみを抜粋してみる。文飾と当方。

 記者「それとですね、先ほど石原慎太郎さんの話が出ましたので、もう一つ、ちょっと続けてお聞きしたいと思うんですが、石原さんのときにはですね、国に対して、相当にいろいろなことを提案し、物を申してきた人だったと思うんですけれども、そういう都知事のあり方としては、舛添さんの方では、どうお考えになるでしょうか」

 舛添要一「それぞれの政治家、それぞれの都知事は、それぞれの政策を自分の思った政治手法によってやります。ですから、石原さんは石原さんのやり方でやった。私は私のやり方でやっている。全ては結果です。政治は結果責任で、国に対して大声を上げようが、小声しか上げなくても、結果がどうであるかというのを判断してください。あなたがきちんと結果を判断してやれば良いと思っています。

 記者「パフォーマンスが過ぎるというふうなことをお考えになったことはございませんですか。

 舛添要一「ですから、私はもう後ろを向きません。前を向いているので。あなたも少し前を向いてやってください。何度も言いますけれども、公共の電波を使っているのです。ここは、そういうお茶の間談義みたいなことをやる場所ではないのです。きちんとしたデータに基づいて、何月何日に私がどういうことをやった。誰がどういうことをやった。それについてどうだと。ここは、データとか基本的な位置付けがなくただ感想を言ったり、陳情をしたりする場ではありません。公共の電波を使っている公式の記者会見の場ですから、あなた自身がきちんと心をしてやっていただかないと。

 記者「やはり都知事としての立場がありますのでね。いろいろ都庁さん、都知事のお考えとか、感じていることをですね、やはり、ここで、いろいろな形で、公共の電波を通してですね、述べていただくということは大事なことだと思うんですが。

 舛添要一「述べるのは大事なのだけれども、まともなことを述べたいと思っています。もっともっと大事なことはあります。そうでしょう。長期ビジョンがあって、今からどういう風にしようかという都政の話をすることの方が大事なので、過去の知事がどうであったというのは、今は全く意味を持ちません。時間が無駄ですから。そういう思いで、喜田さんという素晴らしいジャーナリストがこの記者クラブにいる。もう参るな、唸るなというような建設的な質問をやっていただければ、私もそれに対してきちんとお答えしたいと思います。だから、終わった人のことをいろいろと言う暇があったら、私は都民のために一歩でも都政を前に進める。そういう思いでいて、私がやることがきちんと成果が出るかどうかをチェックするのが、あなたの立場であります」(以上)

 1968年7月8日に参議院議員に初当選して以来、議員勤続25年を祝う永年勤続表彰を受けた直後議員辞職、4年のブランクはあったが、1999年東京都知事選挙に出馬し、4期続けたあと、2012年、後継に猪瀬直樹を指名、都知事を辞職し、同年、衆議院選挙で比例東京ブロックで当選し17年ぶりに国政に復帰、今日に至っている。82歳。かくも長きに亘って多くの国民の支持の元、政治家として生き続けてきた。

 言葉を替えて言うと、多くの国民の石原慎太郎に対する支持が石原慎太郎の政治思想を生かし続けてきた。そして例え政治家を引退したとしても、その政治思想は他者の血の中に生き続けるに違いない。

 一粒の麦の如く、多くの実を結んで。

 多くの国民が多くの実を結ばせる。

 石原慎太郎の憲法観を見てみる。

 石原慎太郎の太陽の党が合流した新しい日本維新の会の2013年3月30日発表の綱領は石原慎太郎の憲法観そのものを取り入れた主張だと言われている。

 〈日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる。 〉

 石原慎太郎の憲法観であることは石原慎太郎の発言自体が証明している。

 2012年11月20日の日本外国特派員協会での会見。

 記者「石原氏はナショナリストだと思われている。軍事力を強化するより外交を追求した方がいいのではないか」

 石原核保有衝動者「軍事的な抑止力を強く持たないと、外交の発言力はない。今の世界の中で核を持っていない国は外交的に圧倒的に弱い。核を持っていないと発言力は圧倒的にない。防衛費は増やさないといけない。私は、核兵器に関するシミュレーションぐらいやったらいいと思う。これは一つの抑止力になる。持つ持たないは先の話だけど。(これは)個人(の意見)です」

 この核保有の主張は日本国憲法の平和主義に対するアンチテーゼであり、アンチテーゼとしての核保有主張であろう。憲法9条を改正し、自衛隊を明確に戦力として位置づけ、核を持ち、交戦権を認めることによって初めて占領憲法から脱出できるというわけである。

 多くの国民が石原慎太郎を支持し、このような憲法観・政治思想を生かし続けてきた。

 もしこのような憲法観・政治思想を明確に支持し、そのような支持によって石原慎太郎という政治家を生かし続けてきたという明確な自覚がなく、単に石原裕次郎の兄で、高名な芥川賞作家だといったことだけで支持してきたとしたら、それこそが倫理的な潔癖感のなさの証明以外の何ものでもない。

 石原慎太郎が女性差別主義者、障害者差別主義者、特に中国人を「支那人」と呼ぶ人種差別主義者であることは周知の事実である

 障害者差別主義者であることを如実に示す、広く知られた発言。1999年9月17日、府中市にある重度障害者施設府中療育センターを視察。翌日の9月18日の記者会見。

 石原都知事「ああいう人って人格あるのかね。

 絶対よくならない、自分がだれだか分からない、人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状況になって…。 しかし、こういうことやっているのは日本だけでしょうな。

 人から見たら素晴らしいという人もいるし、 恐らく西洋人なんか切り捨てちゃうんじゃないかと思う。 そこは宗教観の違いだと思う。

 ああいう問題って 安楽死なんかにつながるんじゃないかという気がする」

 記者から安楽死の意味を問われる。

 石原都知事「そういうことにつなげて考える人も いるだろうということ。安楽死させろと言っているんじゃない。

 自分の文学の問題に触れてくる。非常に大きな問題を抱えて帰ってきた」(朝日新聞

 ブログに次のように書いた。

 〈重度障害者であったとしても、一人ひとりが持つ喜怒哀楽に対する視点を一切欠いている。

 また、重度障害者の喜怒哀楽は家族の喜怒哀楽とつながっている。重度障害者の喜怒哀楽を否定することは家族の喜怒哀楽を否定することを意味する。

 他者の喜怒哀楽を否定しながら、「自分の文学の問題に触れてくる」と、自身の喜怒哀楽のみを肯定している。

 差別主義者というものは構造的に差別対象の他者存在否定・自己存在絶対肯定の人間関係を取る。

 ヒトラーがその最たる差別主義者であった。

 どう考えても、石原新党に対する期待度が男性よりも女性上位となっていることが理解できない。

 石原個人の差別観と石原個人が率いる政党とは無関係ということなのだろうか。

 だが、その人間性に目をつぶることはできない。〉――

 ここに書いた「石原個人が率いる政党」とは2012年11月13日に 「たちあがれ日本」を改称する形で結党した太陽の党を指す。

 石原慎太郎を支持する国民からは倫理的な潔癖感を感じることができない。

 次も周知の事実となっている女性差別主義者としての発言を改めて取り上げてみる。かつての石原新党に対する期待度が男性よりも女性上位となっていることが理解できないことのクエスチョンマークの提示が理解できるはずだ。

 2001年10月23日の「少子社会と東京の未来の福祉」会議での発言。

  石原都知事「これは僕が言っているんじゃなくて、松井孝典(東大教授)が言っているんだけど、文明がもたらした最も悪しき有害なものはババアなんだそうだ。女性が生殖能力を失っても生きてるってのは、無駄で罪です、って。男は80、90歳でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子供を産む力はない。そんな人間が、きんさん、ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害だって・・・・。なるほどとは思うけど、政治家としては言えないわね」――

 同じくブログに次のように書いた。〈「僕が言っているんじゃなくて」と言いながら、他人の主張を借りて、「生殖能力」の有無のみで人間を価値づける自らの女性間差別・男女差別を披露している。

 差別は往々にして存在否定そのものを同義とする。

 他人の主張をなる程なと受け入れたということは自身の内面にある思想と呼応させたことを意味する。その内面性は本質的価値観として位置づけられているはずだから(そうでなければ、他人の主張に呼応しない)、11年前の発言であったとしても、世間の評判のために差別観を内深くに隠していたとしても、賞味期限を維持しているはずだ。〉――

 最後の石原慎太郎の歴史観。かなり前の話だが、昭和天皇の病状が悪化していた頃の1988年9月22日の石原慎太郎当時運輸相の記者会見での発言。

 石原慎太郎「天皇陛下は元首でもあるが、それ以上に、国民のおとうさんみたいなものだ」

 戦前の天皇と国民の関係は国民を赤子(せきし・天子を父母に譬えるのに対して人民のこと)とし、絶対的権威者である天皇を国民の父親と位置づけて絶対的な国家奉公と奉仕を求めた。そのような関係を自らが求める自主憲法に規定しようと衝動している。

 いわば石原慎太郎は安倍晋三と同様に戦前の絶対主義的天皇制の日本を戦後に取り戻して、戦後の民主的な日本を駆逐したい欲求に駆られている。

 このような石原慎太郎を今日まで長きに亘って生かし続けてきた。

 多くの日本人の倫理的な潔癖感の欠如なくして成り立たない、その憲法観や歴史認識、女性差別主義や障害者差別、人種差別を無視した石原慎太郎に対する支持であり、そのような支持に基づいた輝かしい経歴の長さであるはずだ。

 それとも石原慎太郎を支持してきた国民のすべてが石原慎太郎と同じ憲法観や歴史認識を持ち、同じく女性差別主義者であり、障害者差別主義者だと言うのだろうか。

 だとしたとしても、石原慎太郎と同じ倫理観の持ち主とすることはできても、一般的な常識から言って、やはり倫理的な潔癖感を欠いていると見るしかない。

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