昭和天皇の誕生日記者会見国民向けメッセージには安倍自民党圧勝に対する憂慮が裏に隠されている

2014-12-24 08:35:02 | Weblog



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      『タイムライン』番組サイト 

 12月23日は天皇誕生日。平成天皇は81歳の齢(よわい)を迎えた。23日に誕生日の記者会見を開くのかと思っていたら、勘違いで、19日に前以て開いていた。但し「NHK NEWS WEB」は23日早朝の発信で、その全文を記事にしていた。記者会見した日付通りに宮内庁のサイトから発言の一部を引用した。

 《天皇陛下お誕生日に際し(平成26年)》(宮内庁/2014年12月19日)  

 天皇の参賀の言葉は勿論、会見の言葉も、それが公の場で発せられる以上、国民に対するメッセージである。例えそれが父親の昭和天皇の思い出を語る言葉であっても、国民に対するメッセージに擬せられる。

 思い出は昭和天皇の生きていた姿の一コマであったとしても、あくまでも平成天皇の目を通した、その感性が把えた一コマであるゆえに、公の場で見せるその感性は国民に対するメッセージを含むことになる。

 天皇が記者の最後の質問に答えて発言した最後の言葉はまさに国民に対するメッセージであろう。  

 記者「宮内庁が24年余りをかけて編さんし、この夏に両陛下へ奉呈された『昭和天皇実録』に関してのご感想とともに、昭和天皇についての思い出や、天皇としてのお姿から学び生かされていることをお聞かせください」

 最後の発言のみを引用する。

 天皇「昭和天皇から学んだことは多いと思います。

 結婚前には葉山の御用邸に昭和天皇、香淳皇后と一緒に泊めていただくこともありましたから、そのような時に昭和天皇から学んだことが多くありました。

 人のことを常に考えることと、人に言われたからするのではなく、自分で責任を持って事に当たるということは、昭和天皇の御言動から学んだ大きなことであったのではないかと思っています」――

 「自分で責任を持って事に当たる」という行為は自分なりの思考力を背景とすることが絶対条件となる。他人の考えに頼るのではなく、自身の考えに従うのではなければ、いわばしっかりとした自らの考えなくして責任を持って事に当たることはできない。

 では、この言葉は国民に対するどのようなメッセージなのだろう。

 日本の親の最大公約数が自らの言動を通して「人のことを常に考えることと、人に言われたからするのではなく、自分で責任を持って事に当たる」生き方の必要性を、人間としてあるべき姿として自分たちの子供に当たり前のように伝え、学ばせていたなら、親から子に伝わる常識的な言動ということになって、昭和天皇から平成天皇に伝えられた「言動」は特別でも何でもなくなり、平成天皇は思い出とする特別な意味を失い、話すこと自体、滑稽とすらなる。

 つまり、大抵の親がやっていることではないか、昭和天皇が特別と言うことではないと軽くあしらわれることとなって、国民に対するメッセージとしても、その価値を失うばかりか、そもそもからして特別な思い出とすること自体、その感覚が疑われることになる。

 当然、この言葉は国民に対するメッセージとして意味を持っていなければならない。意味を持たせるためには何らかの意味を裏に隠したメッセージでなければならない。国民の多くがそういったことを学んでいないという構図を裏に隠して取り上げた昭和天皇から学んだ「言動」の思い出であり、人間としてあるべき生き方ではないかと見なければならない。

 このことの有力な証拠に「総合的な学習の時間(総合学習)」を挙げることができる。文科省のサイトに「総合学習」についての説明が載っている。

 〈総合的な学習の時間は、変化の激しい社会に対応して、自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てることなどをねらいとすることから、思考力・判断力・表現力等が求められる「知識基盤社会」の時代においてますます重要な役割を果たすものである。〉――

 つまり、このような教えの時間を学校教育に取り入れなければならなかったということは、このような教えを子どもたちが身につけていないからに他ならない。

 子どもたちが身につけていないということは、親自身が身についていなくて、自らの言動を通してそのような教えを子供に伝え、学ばせることができなかったことを意味する。

 教えが身についていないということは教えを生き方として表現し、行動することができていないことを示す。

 周知のように「総合学習」は2000年から段階的に始められたものの、生き方重視が学力を後回しにすることになって、学力低下という思わぬ産物を産み、そのことを受けて、2008年以降、日本の教育行政は「脱ゆとり教育」へと突っ走り、詰め込み教育へと回帰していった。

 いわば平成天皇が記者会見で昭和天皇の思い出として発言した生き方は身につかないままに終わった。

 多くの日本人が身についていない以上、それを学んだとする平成天皇の言葉は裏に何かの意味を隠した国民に対するメッセージだと解釈しなければならない。

 日本人全体が「人のことを常に考えることと、人に言われたからするのではなく、自分で責任を持って事に当たる」自らの考えに立った自律性、あるいは主体性が求められる最近の出来事とは総選挙を措いて他にない。

 当然、天皇のこの発言が裏に何かを隠している見る以上、安倍自民党圧勝に対して発した国民に対するメッセージであり、圧勝に導いた国民の投票行動、あるいは選択意思を昭和天皇の「言動」を通して学んだ生き方には適っていない、その裏返しの行動となっているという警告と見做すことができる。

 平成天皇の裏に何かを隠した国民に対するメッセージとして例示できる他の発言もある。2001年4月発表の扶桑社の『新しい歴史教科書』の検定合格に対して韓国が修正を要求、日本側が2個所の修正に応じたが、韓国側がこれを不十分とし、日本文化開放の追加措置を中断する等の対抗措置を公表している。

 そして靖国参拝問題。2001年8月13日、小泉純一郎は就任後初の靖国神社参拝を行った。「総理大臣小泉純一郎」として行った公式参拝である。

 この参拝に対して中国では反日感情が起き、2005年の小泉参拝時には激しい反日デモが起きている。

 韓国は金大中大統領が「韓国国民は確実な歴史認識を土台に、両国関係が正しく発展していくことを強く望んでいる」と発言、韓国外交通商省スポークスマンは「我が政府は小泉首相が我々の度重なる憂慮表明と日本国内の多くの反発にも関わらず、 本日、近代日本の軍国主義の象徴である靖国神社に参拝したことに対し深い遺憾を表明する」と激しく反発している。

 そして同年12月23日昭和天皇誕生日に際しての12月18日の記者会見。翌年2002年5月31日から6月30日にかけて日韓共催のFIFAワールドカップを間近に控えていた。

 記者「世界的なイベントであるサッカーのワールドカップが来年、日本と韓国の共同開催で行われます。開催が近づくにつ、,両国の市民レベルの交流も活発化していますが、歴史的、地理的にも近い国である韓国に対し、陛下が持っておられる関心、思いなどをお聞かせください」

 昭和天皇「日本と韓国との人々の間には、古くから深い交流があったことは日本書紀などに詳しく記されています。韓国から移住した人々や招へいされた人々によって、様々な文化や技術が伝えられました。宮内庁楽部の楽師の中には、当時の移住者の子孫で、代々楽師を務め、今も折々に雅楽を演奏している人があります。

 こうした文化や技術が日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは幸いなことだったと思います。日本のその後の発展に大きく寄与したことと思っています。私自身としては桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く、この時以来、日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。また、武寧王の子、聖明王は、日本に仏教を伝えたことで知られております。

 しかし残念なことに韓国との交流はこのような交流ばかりではありませんでした。このことを私どもは忘れてはならないと思います。

 ワールドカップを控え、両国民の交流が盛んになってきていますが、それが良い方向に向かうためには、両国の人々が,それぞれの国が歩んできた道を個々の出来事において正確に知ることに努め、個人個人として互いの立場を理解していくことが大切と考えます。ワールドカップが両国民の協力により滞りなく行われ、このことを通して両国民の間に理解と信頼感が深まることを願っております」――

 この国民に向けたメッセージが裏に隠している意味は「新しい歴史教科書」や小泉靖国参拝が日韓関係を損うことになっていることに対する憂慮ではなくて何であろうか。

 平成天皇が昭和天皇の言動から学び、自身も一部経験した戦前の軍国主義に対する拒否感情は国民統合の象徴という立場からしても、人一倍強いはずだ。安倍晋三の国家主義が言われ、特定秘密保護法や集団的自衛権行使から窺うことができる日本の右傾化を指摘する声が絶えない。

 どう見ても、「自分で責任を持って事に当たる」は自民党圧勝を選択した国民に対する憂慮を裏に隠しているとしか思えない。

 と同時に特定秘密保護法や集団的自衛権行使、及び安倍晋三が狙っている憲法改正等々の先行きを睨んだ、国民が欠いていると見ているがゆえに「人のことを常に考えることと、人に言われたからするのではなく、自分で責任を持って事に当たる」ことの要請をも裏に隠しているのかもしれない。

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