ヘイトスピーチに関わる人種差別を規制する新法の立法について公明党議員の国重徹と安倍晋三の間で議論されたとのマスコミ記事に誘導されて動画から文字起こししてみた。国重徹が新法立法に熱心なのかと思ったら、左程のことではないことが分かった。
40歳だそうで、見た目は若く見え、勢いのいいハキハキした物言いをするが、そのような物言いに反して新法に関しては事勿れな姿勢で向き合っているに過ぎなかった。
勿論、安倍晋三は日本人優越主義者であることが原因しているのだろう、立法には不熱心である。その不熱心を誤魔化すためにさも人種差別に嫌悪しているかのような尤もらしげな言葉を駆使して繕うことは忘れていない。
2015年2月23日衆院予算委員会国重徹VS 安倍晋三のヘイトスピーチ議論
国重徹「先月総理はイスラエルの ホロコースト記念館を視察されて、その後次のように演説されました。一分抜粋になりますが、ここで紹介させて頂ます。
『特定の民族を差別し、憎悪の対象とすることが、人間をどれ程残酷なものにしてしまうのかを、学ぶことができました。差別と戦争のない世界、人権の守られる世界の実現に向け、働き続けなければなりません。先の大戦終結から70年、そして、アウシュビッツ解放以来70年でもある本年、このような悲劇を二度と繰り返させない、との決意を表明します』
この総理の演説に私は深い感銘を致しました。道は険しかろうとも、総理のおっしゃる差別と戦争のない人権の守られる世界の実現に向けてありとあらゆる努力をしていく。私もそうですし、ここにいる議員のみなさんも同じ思いを共有していると思います。
ただ総理、残念ながら我が国でも特定の民族・人種に対する差別や憎悪を煽る、いわゆるヘイトスピーチを伴うデモが各地で頻発しております。京都の朝鮮学校へのヘイトスピーチをめぐる裁判に於いてはゴキブリ、ウジ虫、朝鮮半島に帰れ、保健所で処分します。犬の方が賢い、などといった発言が人種差別に当り、法の保護に価しない違法であるとの判決が昨年12月9日の最高裁判所決定で確定致しました。
そこで総理、イスラエルに於ける総理の差別のない世界の実現という演説、そしてヘイトスピーチが人種差別に当たるという司法判決が下ったことを踏まえて、改めてヘイトスピーチを含む人種差別についての総理の基本的認識から先ずお伺いします」
安倍晋三「一部の国民にとって民族を排除しようという言論や人種差別があるということは極めて残念であります。あってはならないことと考えているわけであります。
先日のホロコースト博物館では先程ご紹介頂いたように特定の民族を差別し、憎悪の対象とすることが人間をどれ程残酷なものにしてしまうのか、ヘイトスピーチに於いてもそうなんです。
もしその言葉を自分に向けられたら、どんな思いがするのか、自分の子供や家族がどんな感じを持つのかという、いわば想像を巡らせば、そんなことはしてはならないということはすぐに分かるわけでありますから、差別観が憎悪を掻き立てる、そうした理性的な思考を止めてしまうということではないかと思います。私自身、差別と戦争のない世界、人権の守られる世界の実現に向けて働きかける決意を明らかにしたところであります。
確かに委員がおっしゃるようにまだまだ道は険しいわけでありますが、一人ひとりの人権が尊重される豊かな安心できる成熟した社会を実現していくことが重要だと、このように考えています」
国重徹「ありがとうございます。総理の今おっしゃられた考えのもと、法務省の人権擁護局は例えば『ヘイトスピーチを許さない』をメインコピーしたポスター(隣にいた議員が黄地に黒の大きな文字で書いた大きなポスターを答弁席に向ける。)今お示しをしているポスターですが、こういったポスターやリーフレットの配布、インターネット広告の掲示などを実施しております。これらの取組みについて私も評価できるものだと思っております。
ただ、今取り組んでいる対策だけで十分と言えるのか、被害者の救済として十分と言えるのか。今月6日、我が党のヘイトスピーチ対策プロジェクトチームはヘイトデモが繰返し行われました東京の新大久保地域に行って参りました。そこで地元の商店主の皆さま始め、様々な方からお話を伺って、より一層な対策、講じていかなければならないと私も実感しているところです。
では、如何なる対策が考えられるのか。特定の個人や団体に対して向けられたヘイトスピーチについては現行法で名誉棄損罪、侮辱罪等の刑事罰の対象になり得ますが、問題は不特定多数が属する人種・集団全体に向けられたヘイトスピーチでございます。これは現行法では一般的に刑事罰対象になりません。
また民事でもそれ単独で法行為を構成することは困難であります。実際にあったヘイトデモに於ける発言ですが、北朝鮮人を強制収容所にぶち込め、叩き出せ、お前たち二人朝鮮人共は全ての病原菌、病原菌の元である。
こういった聞くに堪えない罵詈雑言を吐いて街を練り歩く。街宣活動をしていても、これが朝鮮人、また韓国人といった人種・集団全体に対して向けられたものであれば、これを現行法で対処することは著しく困難です。
こういったヘイトデモが毎週のようにこの日本で公然と繰返し行われているのです。このようなことからヘイトスピーチに対して法整備をすべきだという意見がございます。
昨年8月、国連の人種差別撤廃委員会は日本政府に対してヘイトスピーチに対して法規制をすべきだという勧告を出しております。各地の主要議会の多くの、多くはありませんが、まあ、続々とではありますけど、各地の主要議会の法整備を含む対策を国に求める意見書を今相次いで纏めております。
ただ、総理、総理は御存知の通り、法整備については例えば刑事規制は恣意的な運用によって正当な言論活動まで規制・弾圧もある危険もございます。従いまして憲法21条が保障する表現の自由との関係で慎重な検討が必要になってきます。
他方、法整備には乱用の伴う刑事規制ではなくて、総理がおっしゃった人種差別は許さない、こういう理念を定めた理念法というものも考えられます。
そこで総理、ヘイトスピーチに対する法整備について、総理がどのようにお考えか見解をお伺い致します」
安倍晋三「ただいま委員が実際にあった例として発言を紹介しました。こういう発言があること自体、極めて不愉快であり、残念であります。こういう発言をすること自体が実は自らを貶めることになり、そういう発言が行われる日本を貶めることに、私はつながるとこのように思います。
他方でいわゆるヘイトスピーチと言われる言動の危険については(顔を殆どテーブル上の原稿に向け、読み上げる調子で発言。官僚の作文を読んでいるのだろう。)、個々の事実、事案の具体的な状況を検討する必要があり、一概に申し上げることは困難でありますが、いわゆるヘイトスピーチへの対応としては現行法の適切な適用の他、啓発活動により差別の解消につなげていくことが重要であると考えております。
委員ご指摘の理念法の立法など様々な議論があるところでございますが、立法措置についてはそれは各党に於ける検討や国民的な議論の深まりを踏まえまして考えていきたいと思います」
国重徹「総理のお考えはわかりました。私は個人的には時間を掛けて丁寧な議論をした上ですけれども、表現の自由には十分に配慮しつつも理念法等何らかの法整備が必要ではないかと考えております。
その上で総理にお願いがあります。法整備をさておき、総理の強いリーダーシップを発揮して頂ければ、政治的に様々な対策を講じることができます。2020年は東京オリンピック・パラリンピックがあります。多くの外国人がこの日本にやってまいります。この方々は日本をよくよく見るはずです。今年は戦後70年の節目の年としております。
今こそ総理の強いリーダーシップでヘイトスピーチを含む人種差別の根絶に向けて政府を上げて全力で取り組んで頂きたいと思います。そしてその対策を有効なものとするためにまずは被害の実態調査をして差別を受けて苦しんでいる人たち、子どもたちの声をしっかりと聞いていくことも必要でしょうし、学校教育に於ける人権教育の強化や差別の是正に向けた指導、そして総理や法務大臣が適切な機会に『人種差別は許さない!』、毅然と言い切る。繰返し言い切る。
政府が本気でこの問題に取り組んでいる姿勢を懸命に示していくこと。こういったことも大事になってくると思います。
総理、ヘイトスピーチを含む人種差別ついての根絶に向けて、政府を上げて一体的に、政府を上げてありとあらゆる対策を講じまた対策を強化していくことが重要だと考えますが、総理の決意、見解を伺います」
安倍晋三「先ず政府としてですね、ヘイトスピーチや人種差別の根絶に向けて現行法を適切に適用して対処していく。同時に啓発や教育を通じて社会全体の人権意識を高め、こうした言動は許さないという認識を醸成することによって差別の解消につなげていくことが重要であると考えています。
恐らく多くの方々は例えばご紹介されたような発言に対して強い怒りを、私もそうですが、持ったんだろうとこのように思います。確かに委員がご指摘のように2020年は東京オリンピック・パラリンピックを控えています。そうした言動がいわば街頭で堂々と行われる。日本はまさに自らの価値を下げることになります。
そしてそうした発言で多くの人々が傷つけられている。こうした現実を直視しなければならないと、このように思います。安倍内閣としては今後共一人ひとりの人権が尊重される豊かで安心できる成熟した社会を醸成するために委員ご指摘の点も踏まえて教育や啓発活動の充実など、様々な施策の推進に務めてまいります」
国重徹「総理、是非よろしくお願いします。ヘイトスピーチの多くが在日朝鮮人・韓国人をターゲットにしたものですけれども、今年は日韓正常化50周年に当ります。差別や憎悪の対極にあるものが友情でございます。私たちは未来志向の関係を築くべく、ここ2年の間に韓国、中国に青年訪中団、青年訪韓団を・・・・・・」
人種差別は、差別主義者が気づいていなくても、差別対象者の人格を否定する強い意思を持って行われる。人はそれぞれに固有の人格を有し、それがその人なりの存在を証明することから、人種差別に於ける人格否定は存在否定そのものを意味する。
例えばナチスヒトラーのユダヤ人差別はそれが虐殺にまで発展しないものであっても、人格否定と言うよりも存在否定そのものの人種差別に当たるはずだ。ユダヤ人としての存在そのものを許さない憎悪があれまでの残酷な人種差別を誘発した。
そして究極の存在否定の形を取った人種差別がホロコースト(大量虐殺)=存在抹殺であった。
ヘイトスピーチで使われる「ゴキブリ、ウジ虫、朝鮮半島に帰れ、保健所で処分します。犬の方が賢い」といった悪意ある言葉は明らかに人格否定を超えた存在否定そのものである。
この存在否定は人種差別に限らず、イジメや体罰についても言うことができる。あるいは家庭内暴力についても言うことができる。人格を有する者としてのそれぞれ存在を認めようとしない意思がイジメや体罰や家庭内暴力の形を取って存在否定へと向かう。
執拗なイジメや体罰を受けた子供がその執拗な存在否定の攻撃に耐えきれずにその存在否定を受け入れて、自ら進んで自殺を手段とした存在抹殺で帳尻を合わせる。
多分、推測に過ぎないが、自殺する瞬間、ああ、これでもうイジメを受けずに済む、体罰を受けずに済むと心穏やかになって、一瞬の間だけ自らの存在を取り戻すのではないだろうか。
安倍晋三にしても国重徹にしても人種差別、そしてイジメや体罰、更には家庭内暴力等々は存在否定だとする厳しい認識を欠いていたために以上の議論となった原因であろう。
国重徹自身がヘイトスピーチ規制の新法立法を強く望んで提起するのかと思ったら、2014年12月9日の京都の朝鮮学校へのヘイトスピーチが人種差別であり、法の保護に価しない違法だとする最高裁の判決まで持ち出し、さらにヘイトスピーチを法規制をすべきだという昨年8月の国連人種差別撤廃委員会の日本政府に対する勧告まで持ち出していることに反して、「ヘイトスピーチに対して法整備をすべきだという意見がございます」と第三者の意見として述べたに過ぎないことを暴露、最終的には「総理がおっしゃった人種差別は許さない、こういう理念を定めた理念法というものも考えられます」と事勿れな解決策に落ち着く真剣度のなさを見せている。
人種差別は許さないといったポスターや声掛け、その他を使った啓発活動、教育、あるいはこうあることが望ましいといった理念を記した理念法で人種差別が片付くなら、同じ手段でイジメや体罰、家庭内暴力、更にはストーカ行為はとっくの昔に解消しているはずである。
学校教育法で体罰を禁止し、文部省や各教育委員会、校長等が教師や部活動顧問に体罰が悪であることを訴えても体罰はなくならないし、2013年9月28日にいじめ防止対策推進法が施行され、施行を期に各学校で改めてイジメは人を傷つける行為でしてはならないということを各生徒に教え、啓発しただろうが、イジメはなくなっていない。
如何に事勿れで当たり障りのない議論であり、その真剣度が分かる。誰にとっても第三者の存在を否定することは法律上も精神上も許されていない。日本国憲法は基本的人権の保障を通して各個人が各個人として存在することを認めることで逆の存在否定を許さない形を取っている。
安倍晋三と国重徹の議論は人種差別は存在否定であると認識する強い嫌悪意識・忌避意識を欠いていることの反映としてある真剣度のなさであるはずだ。
存在否定に対する強い嫌悪意識・忌避意識を有していたなら、人種差別に特定した新法の立法を否応もなしに考えざるを得なくなるに違いない。「刑事規制は恣意的な運用によって正当な言論活動まで規制・弾圧もある危険」があると言うなら、個々のケースに応じて裁判で決すれば事は済むはずである。
このことは最高裁がヘイトスピーチの「ゴキブリ、うじ虫」等の罵詈が人種差別に当り、法の保護に価しない違法であると判決を下していることが可能であることの証明となる。
そもそもからした安倍晋三がヘイトスピーチを深刻に把えていないことが次の発言に現れている。
「一部の国民にとって、民族を排除しようという言論や人種差別があるということは極めて残念であります。あってはならないことと考えているわけであります」
「残念」という言葉の意味は、「物足りなく感じること。諦めきれないこと。また、そのさま。 悔しく思うこと」といった意味で、軽度の否定感情を表す言葉に過ぎない。
その程度の真剣度でしかヘイトスピーチを考えていない。
安倍晋三が恐れていることは立法によって人種差別に特定した法律が日本に存在することになって、その法律が日本に人種差別が存在していることを証明し続けることになるからに違いない。
なぜなら、安倍晋三の日本民族優越主義が許さないからである。民族優越主義は常に自民族に対する無誤謬性に裏打ちされている。安倍晋三にとって日本の歴史に侵略戦争や従軍慰安婦の日本軍による強制連行と強制売春があってはならないと同様に人種差別などあってはならないからである。
このことは安倍晋三の次の発言に現れている。
「こういう発言をすること自体が実は自らを貶めることになり、そういう発言が行われる日本を貶めることに、私はつながるとこのように思います」
存在否定という許し難い人種差別を受けている在日韓国人・朝鮮人を日本人による人種差別を手段とした存在否定から如何に救済するかに視点を置くのではなく、差別する日本人を貶め、日本を貶めると、日本人と日本の評判、いわば日本という国を単位とした世界に向けた世間体に視点を置き、気にしているところに日本民族の無誤謬性への願いを見て取ることができ、その視点からのヘイトスピーチの取り扱いとなっているところに現れている立法への真剣度の事勿れな低さであろう。
それが現行法の適切な適用や啓発活動という一歩も二歩も距離を置いた対策というわけである。
日本という国を単位とした世界に向けた安倍晋三の世間体は次の発言にも現れている。
「確かに委員がご指摘のように2020年は東京オリンピック・パラリンピックを控えています。そうした言動がいわば街頭で堂々と行われる。日本はまさに自らの価値を下げることになります」
このことは国重徹にしても同じである。「2020年は東京オリンピック・パラリンピックがあります。多くの外国人がこの日本にやってまいります。この方々は日本をよくよく見るはずです」
二人はお互いに世間体を響き合わせている。世間体からの人種差別の解消は本質的な解消には決してつながらない。
安倍晋三の人種差別観には被害者の視点を欠いていることも世間体に重きを置いていることとは無関係ではあるまい。
国重徹が安倍晋三の今年1月19日のホロコースト博物館視察後の発言を取り上げているが、人種差別の被害を受けたユダヤ人の博物館を訪れながら、「特定の民族を差別し、憎悪の対象とすることが、人間をどれほど残酷なものにしてしまうのかを学ぶことができました」と、加害者のナチス・ドイツ人の側に立った差別と憎悪をキッカケとした攻撃的な人間性への変容を言うばかりで、被害者のユダヤ人が味わった存在否定と存在抹殺に対する癒しがたい嫌悪感・忌避感については一言も触れていない。
「もしその言葉を自分に向けられたら、どんな思いがするのか、自分の子供や家族がどんな感じを持つのかという、いわば想像を巡らせば、そんなことはしてはならないということはすぐに分かるわけでありますから」と言い、あるいは「そうした発言で多くの人々が傷つけられている。こうした現実を直視しなければならない」と人種差別を受けている側の人間の立場に立って言ってはいるが、人種差別が些かも許されるはずのない存在否定に当たるという厳しい認識を欠いていること、世界に向けた世間体を気にしていること、新法立法に不熱心であること等々からすると、議論に辻褄を合わせた発言としか解釈しようがない。
また、「そうした発言で多くの人々が傷つけられている」という発言にしても、「安倍内閣としては今後共一人ひとりの人権が尊重される厖で安心できる成熟した社会を醸成するために委員ご指摘の点も踏まえて教育や啓発活動の充実など、様々な施策の推進に務めてまいります」の発言にしても、現行法が如何に役に立っていないかの縷々とした説明に他ならない。
にも関わらず、現行法の適切な適用を言う。
安倍晋三のヘイトスピーチ新法に不熱心であることから確実に言うことができることはホロコースト博物館で発言した「差別と戦争のない世界、人権の守られる世界の実現に向け、働き続けなければなりません」は有言不実行の言葉に過ぎないということである。