『生活の党と山本太郎となかまたち』PR
《2月2日《シリアにおける邦人殺害事件について》「生活の党と山本太郎となかまたち」共同代表談話》
大塚耕平「湯川さん、後藤さんが拘束された事実を改めて伺いますが、政府としてはいつ把握をしていたのでしょうか」
岸田外相「先ず、あのー、湯川さんに対しましては、えー、昨年の8月16日、何者かに拘束をされた疑いがあるという情報がもたらされました。そしてそのとき、その直後、併せて映像が公開されたということもありました。
この時点で、えー、何者かに拘束されたという、この情報を得ています。えー、そして、えー、その直後に外務省として対策室及び現地対策本部を立ち上げました。
そして後藤さんですが、11月1日(ついたち)に後藤さんが行方不明になったという情報を得ています。ただこの段階では、何者によって拘束されたのか、これについては、あのーえー、十分に情報を得ておりませんでした。
えー、そしてその後、今年に入りまして1月20日(はつか)湯川さん及び後藤さんの映像が公開されるということになりまして、その時点でISIL(アイシル)関係者の犯行による可能性が高いということを把握した。
大塚耕平「一連の経緯については国民の最大の関心事項でございますので、委員会に資料を提出して頂くことを委員長にお願い申し上げます」
委員長「理事会において協議を致します」
大塚耕平「その上で1ヶ月間私共も知ることとなるまでの間に政府としてはどのような様々の対策をされたのか伺いたいと思います」
岸田外相「政府の対応としましては先程一部申し上げましたが、8月に湯川さんが拘束された疑いがあるというこの情報を得まして、直ちに外務省対策室、現地対策本部を立ち上げました。
そして11月、この後藤さんが行方不明になったという情報を得ましたので、この後藤さんの件につきましても、この対策室及び対策本部に於いて対応をしたということであります。
あのー、えー、こうした対策室、現地対策本部につきまして、情報収集を行い、そして関係国との連絡・連携を取りながら、えー、先ずは事実をしっかりと確認すべく努力をしてきた、まあ、こうした対応を続けてまいりました」
大塚耕平「外務大臣にもう一問だけお願いします。現地対策本部はいつお作りになりましたか」
岸田外相「えーと、現地対策本部につきましては、えーと、あの、湯川さんの情報がもたらされた直後、昨年の8月17日に立ち上げております」
大塚耕平「と言うことは後藤さんの対応はその対策本部を引き継いだという理解で宜しいでしょうか」
岸田外相「あの、後藤さんのこの件につきましては、あの、その時点で既に立ち上がっておりました外務省対策室及び現地対策本部、こちらで担当を致しました」
大塚耕平「重ねて強い憤りを私もテロ組織に対して感じております。そうした中で今ご説明頂いたような時間軸の中で総理は、積極的平和主義実践のために、そして日本が世界に貢献するために各国歴訪をされたわけであります。
その趣旨はよく理解できます。しかし今、外務大臣がお話して頂いたような状況の中でございますので、色んな、あの、影響についてのご検討を、ケーススタディをされたかどうかについてお伺いしたいと思います」
安倍晋三「先ず、今回の事案でございますが、先ず明確に申し上げたいことは、今やすべての国がテロの脅威に曝されているわけでありまして、テロのリスクはすべての国にあると言ってもいいんだろうと思います。
それは今回のシリアにおける邦人テロ事件やパリの新聞社襲撃事件などで浮き彫りにされたところでございます。従って、事の本質はテロのリスクを如何に低くするかに尽きるわけでございまして、テロの脅威に恐れてそのリスクを強調すること自体が既にテロリストの思惑にはまっていることにもなるわけであります。
テロを恐れる余り、その威かしに屈するような態度を取れば、テロには効果があるとテロリストが考え、日本人が更に巻き込まれていく可能性を高めていくことになるわけでございます。
今年は日本は戦後70年を迎える節目の年になるわけでありますが。日本はこの70年間、ひたすら平和国家としての道を歩んできたわけでございます。平和への歩みを世界へ通じていくために戦後70年の初めにその意思を国際社会に発信するために、まさに今国際社会が、地域そして世界全体の平和のためにも、中東地域の平和と安定を取り戻していこうという努力を重ねている中に於いて中東地域こそ訪問地として最適であろうと、そして中東から世界に発信すべきであろうと、このように考えたわけでございます。
そしてそれは西欧対イスラムの決して戦いではなくて、まさにイスラムの中にある、あるいは国際社会の中にある過激主義を止めると言うことを主張すべきだろうと、えー、ということに於いて、私のテーマは『中庸こそ最善』。
これはそもそもイスラムの考え方であり、これを共有しながら、この過激主義を止めていこうと、そん中に於いて日本が、えー、その責任を果たしていく支援をしっかりしていくということを表明するということはですね、国際社会がこのテロに対して戦っていく、あるいはその拡大を防いでいくことに資すると考えたところでございます」
大塚耕平「と言うことは、その訪問のケーススタディをしたということで宜しいでしょうか」
安倍晋三「ケーススタディということはどのような観点で仰っているのか私は定かではございませんが、つまり邦人が囚われているというケースの中に於いて、どういう影響になるかということ等についての意味だろうと思うわけでございますが、そういう観点からもですね、様々な観点を総合的に判断して中東訪問を決め、そしてそこから世界に発信していこうと言うことを決断したわけでございます。
そもそも繰返しになりますが、事の本質はテロの過激主義を如何に世界と協力してそれを止めていくことにあるわけでございまして、テロリストの思いを一々忖度して、それに気を配る、あるいはそれに屈するようなことは決してあってはならないということを重ねて申し上げておきたいと思います」
大塚耕平「官房長官にお伺いします。ま、色々とご検討された結果だということは十分理解しましたので、ま、ご検討された選択肢の中にヨルダンの支援やどういう趣旨で支援をしたのかということについてステートメントを出すと言うことを非公式に水面下でやるということも選択肢の中であったのでしょうか」
菅官房長官「我が国の中東支援というのはまさに人道支援の中でですね、今日まで積み重ねてきたものであって、高く評価されておりました。そういう意味で水面下ということは考えておりませんでした」
大塚耕平「今のご答弁でよく理解できました」
有志連合に対する自衛隊の後方支援の有無について安倍晋三に尋ねる。
なぜ外相の岸田はもう少しテキパキと発言できないのだろうか。責任回避のためにウソを情報操作の手段としているから、簡略した物言いをどこかに忘れてしまったということなのだろうか。
岸田が話した2邦人拘束に関わる各事態の推移を時系列で列挙してみる。
2014年8月16日 湯川さん行方不明情報
2014年8月17日 外務省対策室 ヨルダン現地対策本部設置。
2014年11月1日 後藤さんが行方不明情報 外務省対策室 ヨルダン現地対策本部を引き継ぐ
2015年1月20日 湯川さん及び後藤さんの拘束と身代金要求映像公開。
1月20日の拘束及び身代金要求映像で初めて外務省は犯行主体が「イスラム国」の可能性を把握した。
岸田は発言している。「こうした対策室、現地対策本部につきまして、情報収集を行い、そして関係国との連絡・連携を取りながら、えー、先ずは事実をしっかりと確認すべく努力をしてきた、まあ、こうした対応を続けてまいりました」
以上の発言に大塚耕平は岸田の言葉にウソを見抜くことができなかったのだろうか。また、昨年11月に後藤さんの妻に「イスラム国」から身代金要求のメールが届いていたことを把握せずに、この質問を行うというマヌケな失態を演じていたのだろうか。
政府関係者への取材で判明したこととして、妻宛に昨年11月~今年1月まで後藤さんの拘束を伝え、身代金を要求するメールがイスラム国関係者から送られていたと「asahi.com」記事は伝えている。妻は相手側と約10通のメールを遣り取りをしたという。身代金の要求額は20億円余。
他の記事も妻がメールを受け取ったのは11月以降となっている。
と言うことは、妻が「イスラム国」から最初にメールを受け取ったのは2014年11月1日で、直ちに外務省なりに報告したために日本政府は同じ日の11月1日に後藤さんの行方不明情報を把握し得たと言うことになる。
「asahi.com」記事はメールの発信者を「『イスラム国』関係者」と記述している。今年の1月20日の動画で犯行主体が「イスラム国」と判明して、遡って不明であった犯行主体を「イスラム国」に特定したということもあるが、イスラムテロ集団は様々にあるのだから、どの組織か名乗らないことには拘束が確たる情報とはなり得ず、詐欺と疑われる危険性も出てくる。
メールの発信元から「『イスラム国』関係者」であることは把握できたと見るべきだろう。
もし妻のメールでも確かな犯行主体の情報を手に入れることができす、2015年の1月20日まで待たなければならなかったというなら、岸田が「こうした対策室、現地対策本部につきまして、情報収集を行い、そして関係国との連絡・連携を取りながら、えー、先ずは事実をしっかりと確認すべく努力をしてきた、まあ、こうした対応を続けてまいりました」と、事実確認の努力をしっかりと果たしてきたかのように言っているが、湯川さん拘束の2014年8月16日から2015年1月20日までの5ヶ月間、後藤さんの2014年11月1日からでも2015年1月20日までの2ヶ月半以上の間も関係国との連絡・連携にも関わらず犯行主体を特定できなかったということは、岸田の責任履行発言に反して外務省の情報収集能力を疑わざるを得ない。
それ程にも外務省はマヌケなのだろうか。
大塚耕平が妻のメールに触れなかったのはマヌケだから仕方がないとしても、岸田が触れなかった理由を考えなければならない。妻がメールを受け取りながら、外務省にも他の関係部署にも届けなかったということも考えられる。だが、20億の身代金要求である。一人で手に負うことのできる金額なら、誰にも知らせずに支払って夫を解放させることができたなら、世間に知られることのない秘密として隠し通すこともできるが、夫は拘束されたままで、身代金も支払われなかった。
外務省に知らせるしかなかったはずだ。だが、岸田は妻に届いた身代金要求のメールに一言も触れなかった。
もう一つ、後藤さんが10月2日に取材でシリア入りした目的は7月28日に同じくシリアに入りした湯川さんの行方探しだという。その後一旦帰国、同10月22日に再び出国した。妻に目的を言わずに出かけたということは考えにくい。
なぜなら、後藤さんは「何が起こっても、責任は私自身にあります。どうか、日本の皆さんもシリアの人たちに何も責任を負わせないでください」という例のメッセージをビデオ映像に残している。
万が一の死をも覚悟している以上、目的と目的地を妻に残しているはずだ。外務省は妻からメールだけではなく、夫が出かけた目的と目的地の情報も得ていなかったことになる。
いわば後藤さん行方不明の情報を得ていながら、外務省は妻に事情を尋ねる聴取さえ行っていなかったことになる。
このようなおかしな事実は岸田がウソをついているとしか理由をつけることはできない。
ウソをついている理由として考えられることは、もしメールに触れたなら、その時点で(実際にはそれ以前かも知れないが)2邦人拘束の犯行主体が「イスラム国」だと把握していたことになって、都合が悪くなるからだろう。
つまり犯行主体を把握した時点を2015年1月20日とした方が好都合だった。その理由は多くが承知しているように、安倍晋三が2015年1月16日にエジプトを訪問、翌1月17日に「中東政策スピーチ」を行い、このときの発言を「イスラム国」は犯行の動機づけとした。
当然発言の適・不適が議論の対象にされることになり、実際にも議論されることになったし、今回も大塚耕平が追及に及んだ。
発言が不適切ではなかったとするためには安倍晋三が犯行主体が「イスラム国」と知らないままにエジプトに出掛けてスピーチを行ったとした方が都合がいい。
岸田はその都合を優先するためにウソをつき、結果的に気づかずに外務省の情報収集能力をマヌケだとする不都合をつくり出してしまった。いくら何でも湯川さんに関して5ヶ月間、後藤さんに関して2ヶ月半の間も犯行主体を特定できなかったというのでは自国民保護の名を有名無実化する。
大塚耕平は岸田のウソまみれの答弁を素直に受け入れて岸田に対する追及を切り上げ、安倍晋三のエジプトでの発言の適・不適に追及の矛先を切り替えた。
大塚耕平は犯行主体が判明していなくてもという前提であっても、2邦人が拘束されている状況下で安倍晋三がエジプトであのような発言をしたことの影響を前以て「ケーススタディ」したのかと尋ねた。
対して安倍晋三は「ケーススタディ」したのかしなかったのか直接答えずに、「今やすべての国がテロの脅威に曝されているわけでありまして、テロのリスクはすべての国にあると言ってもいいんだろうと思います」と言って、「イスラム国」の2邦人拘束事件をすべての国にあるテロ問題だと相対化することで、自身の責任回避を巧妙に謀っている。
この自己責任回避をすること自体が「ケーススタディ」しなかったことの何よりの証明であろう。
安倍晋三は以後も自身の発言が「ケーススタディ」したものかどうかに触れずに原稿を読み読み、例の如く散々繰返し発言している能書きを再び取り上げて延々と続けたに過ぎない。
その発言はご覧のように、例え「イスラム国」が2邦人拘束の犯行主体と特定できていなかったしても、テロ集団に拘束されていることに変わりはなく、「イスラム国」もその一つに想定していなければなかったのだから、その事実を踏まえてエジプトでのスピーチがどのような影響を与えるか前以て「ケーススタディ」したと証明するに足る文言で成り立たせているとは決して言えない。
大塚耕平はマヌケだから、この発言を以って「と言うことは、その訪問のケーススタディをしたということで宜しいでしょうか」などとマヌケなことを聞いている。
ここで安倍晋三は大塚耕平の質問の意をやっとのことで飲み込むことができた。大塚耕平と同程度のマヌケのようだ。
だが、安倍晋三は口が腐っても、あるいは口が裂けても、「ケーススタディ」していなかったと答弁するはずはない。自身の無能力を自分から公表するようなものである。言葉巧みに誤魔化すことは承知していなければならないはずだが、やはりマヌケだから答弁を予測できずに時間のムダとなる質問を続けた。
安倍晋三は「事の本質はテロの過激主義を如何に世界と協力してそれを止めていくことにあるわけでございまして、テロリストの思いを一々忖度して、それに気を配る、あるいはそれに屈するようなことは決してあってはならないということを重ねて申し上げておきたいと思います」と抽象的なテロ阻止論を述べて、「ケーススタディ」したかどうかについては直接答えずに逃げた。
大塚耕平はここで安倍晋三が中東スピーチで述べた「ISILがもたらす脅威を少しでも食い止めるためです。地道な人材開発、インフラ整備を含め、ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します」という発言が2邦人拘束に対してどのような影響を与えるか「ケーススタディ」した発言だったかどうか、直接追及すべきだった。
2邦人拘束の犯行主体が不明であったが事実であったとしても、「イスラム国」である可能性を想定していなければならなかった以上、「ISIL」と「イスラム国」を名指しした発言は果して「ケーススタディ」した適切な発言だったのかと。
だが、我が大塚耕平先生は時間のムダ=税金のムダを垂れ流したに過ぎない。
大塚耕平は追及先を菅官房長官に変えて、更に時間のムダ=税金のムダを垂れ流すことになった。
要するに「イスラム国」に対する宣戦布告となるようなエジプトでのスピーチに代えて、非公式に、つまり水面下で、スピーチで表明したことの意思表示を行うべきではなかったかと尋ねた。安倍晋三が「ケーススタディ」を否定しないことは最初から分かっていたように菅官房長官も、「大塚耕平先生、あなたの言うとおりです、あそこでスピーチしたことは間違っていた」と答弁しないことは最初から分かっていなければならなかったはずだが、マヌケだから、時間のムダ=税金のムダを費やし続けることになった。
大塚耕平は極く普通の常識でも納得がいかない答弁でありながら、最後に「今のご答弁でよく理解できました」と全てに納得するマヌケを最後に見事に演じて幕を降ろすことになった。
岸田のウソに始まって、安倍晋三の何ら「ケーススタディ」していなかったにも関わらず「ケーススタディ」していたと誤魔化すウソだけが罷り通った、と言うよりも大塚耕平のマヌケさ加減がウソを罷り取らせた国会質疑であった。