閉鎖的社会、このニッポン 同性愛を巡る内外二つの記事

2016-08-11 10:18:08 | 社会

 当時一橋大ロースクール3年生の男子学生が同じクラスで毎日のように一緒に食事する仲の男子学生に恋愛感情を抱くようになり、2015年4月に告白。相手の男子学生は応じることはできないが、友人関係は継続すると伝えたという、8月5日付「弁護士ドットコムニュース」に出会った。  

 ところが、相手の男子学生はその2カ月後、ロースクールの同級生でつくるLINEのグループで男子学生が同性愛者であることをアウティング、男子学生も当然ライングループの仲間だったのだろう、「おれもうおまえがゲイであることを隠しておくのムリだ。ごめん」と謝罪の言葉が書いてあったという。

 同性愛者のこの男子学生はそのメッセージに対して「たとえそうだとして何かある?笑」、さらに「これ憲法同性愛者の人権くるんじゃね笑」と返信したという。

 暴露された男子学生は心身に不調を来たし、心療内科に通院するようになり、暴露した男性と顔を合わせると緊張や怒り、悲しみで吐き気やパニック発作が起こるなどの症状が出るようになったため学内のハラスメント相談室や教授らに自身の体調問題を含め、複数回相談。大学側ともクラス替えや留年など、被告男性と距離を取れないか話し合っていたという。

 だが、2015年8月24日、必修の「模擬裁判」に出席するため登校した男子学生は建物の6階のベランダを乗り越え、転落。搬送先の病院で死亡が確認された。

 男子学生の両親が暴露した同級生と一橋大を相手に計300万円の損害賠償を求めて裁判を起こした。担当弁護士の一人は生前の男子学生からメールで相談を受けていた。

 メールには暴露され、「人生が足元で崩れ落ちたような気がする」と書いてあったという。

 「アウティング」の意味は、「ゲイやレズビアン、バイセクシャル、トランスジェンダー(LGBT)などに対して、本人の了解を得ずに公にしていない性的指向や性自認等の秘密を暴露する行動のこと」と「Wikipedia」に出ている。

 同性愛者の男子学生は自身が同性愛者であることを余程秘密にしておきたかったのだろう。だが、いつも一緒に食事する男子学生に恋愛感情を抱いてしまい、我慢できずに告白した。

 断られたが、友人関係は続けると言ってくれた。男性が女性に、あるいは女性が男性に恋をし、断られても、心は苦しいが、傍にいることができるだけでも幸せだ、あるいは顔を見ることができるだけで幸せだといった矛盾した感情に陥ることがある。

 このような感情に見舞われたのかもしれない。だが、何の心の準備のないままに複数の友人にラインで一気にアウティング(暴露)されてしまった。

 そのショックは相当なものがあったに違いない。頭を何かでガーンと殴られ、顔から火が噴き出す程の恥ずかしさに襲われ、手足が震えた可能性すら考えられる。

 なぜ友人は男子学生に自身の口からカミングアウトすることを勧め、同性愛者としての市民権をグループ内で獲得させて、誰とでもという訳にはいかないかもしれないが、より多くの友人たちと隔てのない関係が築けるように努めなかったのだろうか。

 グループ内での市民権の確立がグループ内外の誰かの口コミ等によってその市民権は徐々にグループ外に広がり、大学の中ばかりか、大学の外のいずれかの世界に広がっていく可能性も否定できない。 
 
 だが、友人は男子学生の当事者であるがゆえに同性愛者であることを秘密にしておきたい強い気持に加担し、秘密として抱えたものの、自身が当事者ではないことから、当事者としてのその気持の強さを思い遣ることもできず、加担が長続きせずに本人に何の断りもなくアウティング(暴露)してしまった。

 「おれもうおまえがゲイであることを隠しておくのムリだ。ごめん」

 自分が秘密の肩の荷を降ろすことだけを考えたのかもしれない。

 「たとえそうだとして何かある?笑」

 推測するに、「断りもなくアウティング(暴露)して、お前には何があるというのだ」と、友人自身の人間性を笑ったということではないだろうか。

 「これ憲法同性愛者の人権くるんじゃね笑」

 「同性愛者も一個の個人・国民なのだから、日本国憲法 第3章 国民の権利及び義務 第14条 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されないにくるんじゃね(関係してくるんだね)」と、ロースクールの学生らしく日本国憲法を持ち出して、第14条に抵触していることに気づかない友人を諭し、笑ったということではないだろうか。

 男子学生の自身の秘密が知られることを恐れる閉鎖性は社会の閉鎖性に対応した閉鎖性であり、友人の長続きしなかったものの秘密にすることに加担したことも社会の閉鎖性に対応した閉鎖性であろう。

 なぜ日本にはこういった閉鎖性が存在するのだろうか。一度男はこうあるべきだ、あるいは女はこうあるべきだと役割分担を決めてしまうと、その役割を権威とし、それ以外を社会から排除しようとする閉鎖的な権威主義社会が長く続き、今以て権威主義社会を引きずっている。

 個人の意義・価値を強調し、個人の自由・独立を尊重する生き方を言う外国の個人主義のようには自由になれない、権威主義の閉鎖性に21世紀の今日に於いても囚われている。

 確かテレビ東京配信のフジテレビ放送「Youは何しに日本へ?」だったと思うが、日本に外国旅行に来たアメリカ人の4人だか5人のうちの2人が同性愛のパートナーだそうで、何の抵抗感も見せずにインタビューした記者に自らを紹介し、その二人が健常者の中に仲間として溶け込んでいて、お互いに分け隔てなく冗談を言い合い、笑い合い、日本の旅行を愉しむシーンがあった。

 食事のときは自分が注文した食べ物の中から一部を相手にお裾分けし、相手も自分の食べ物の中から一部をおすそ分けする、仲の良いところを見せ合っていた。
 
 同性愛者が同性愛者の世界に閉じ込もるのではなく、健常者と何のてらいもなく仲間を組むこと、グループを作ることを当たり前の光景とすることができる。

 日本でも最近になって同性愛者が市民権を一応得ることができるようになったが、社会的な権威主義性を欧米やタイ程には個人主義へと解き放つことができないでいる。

 そのいい例が一橋大ロースクール3年生の男子学生と友人の閉鎖性であり、欧米に見る逆の例、個人主義を当たり前に演じることができる「CNN」記事が紹介している例であろう。 

 8月8日、リオ五輪で初めて正式種目に採用された女子7人制ラグビーの決勝戦がオーストラリアとニュージーランドの間で行われてオーストラリアの優勝が決まったあと、9位で終わったブラジル代表チームのイサドーラ・セルロ選手(25)に2年前から交際を続けていた相手の女性マルジョリエ・エニヤさん(28)がピッチに立ち、決勝が終わって多くの観客は既に立ち去った後だったが、マイクを握ってプロポーズし、受け入れられて、記事は、〈チームメートの歓声に包まれた涙とキスの場面は試合に負けないほどの感動を呼んだ。〉と紹介している。

 マルジョリエ・エニヤ(英BBCテレビのインタビューを受けて)「五輪は終点に見えるかもしれないが、私にとっては誰かと新たな人生を始める出発点。愛の勝利を人々の前で示したかった」

 権威主義性の一かけらもない個人主義満開の世界が見えるのみである。

 もしこのような世界が日本に存在していたなら、カミングアウトといったことは深刻な問題ではなく、アウティングといったことも殆んど意味もないことになって、一橋大ロースクール3年生の男子学生が友人を好きになって告白し断られたとしても、友人は「いつの日かきっと受け入れてくれる君にとってのタイプの男性が現れるよ」と言うことができ、男子学生も、「君を忘れるまで辛い時間を過ごさなければならないが、いつかは見つけなければならない」と、拘りを残さない会話の遣り取りはできたはずだ。

 だが、日本の社会には権威主義からくる閉鎖性が未だ色濃く残り、その閉鎖性の犠牲となって6階のベランダを乗り越え飛び降りさせて、生きて在るべき一個の命を失わさせてしまった。

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