安倍晋三、リオ五輪閉会式のマリオ扮装は独りよがりな一人夢舞台 そして場違いな登場

2016-08-23 10:01:29 | Weblog

 リオデジャネイロ五輪の閉会式は8月21日夜(日本時間8月22日午前)。安倍晋三は4年後の開催都市・東京を紹介すべく閉会式に出席を予定していた。

 閉会式場への登場の仕方がなかなかのサプライズだということで大いに受けたらしい。

 NHKが放送した動画だったと思うが、最近物忘れがひどい、リオ五輪閉幕式に映し出されたのだろう、日本の幾つかの場面が紹介された後、リオに届けるための赤いボールがアスリートからアスリートへ投げ渡され、最後に安倍晋三がリオに届けるべく受け取る。

 次に国会議事堂を背景に安倍晋三が公用車で羽田空港に向かうべく後部座席に鎮座していて、腕時計を気にする。いわば時間が間に合わない設定となっいるが、右手に赤いボールを持ち、脇に赤い帽子を用意している。

 字幕が現れる。「I will not make it to Rio in time!」(私は時間内にリオに辿り着くことができない!) 

 次がアニメ動画の場面となり、ファミリーコンピュータ用ゲームソフトの「スーパーマリオブラザーズ」の赤い帽子を被ったマリオが赤いボールを持って渋谷のスクランブル交差点なのだろう、駆け足で急いでいる。そこへオバケのQ太郎ではない、ドラえもんが空を飛んできて、緑色の大きな土管を交差点の真ん中にドンと置く。

 すると土管の下から土管と同じ経の螺旋状の尖った巨大なドリルが地球を東京からリオに向かって掘っていく。その穴にマリオが赤いボールを持ったまま飛び込み、たちまちリオの閉会式場に到達する。

 動画はここまでで、リオオリンピック閉会式場の真ん中に土管が置かれていて、その土管から赤い帽子を頭に被り、赤いボールは手に持ち、マリオの服装を擬えた赤とブルーの長いマントを肩に掛けた安倍晋三が登場する。

 そして赤い帽子を左手に取って自己紹介宜しく掲げ、次に赤いボールを両手に持ち頭上に掲げた。

 歓声が上がる。

 これが東京とリオをつなぐ儀式だそうだ。

 安倍晋三は閉会式後、マリオに扮装した理由を記者団に喋っている。

 安倍晋三「日本のキャラクターの力を借り、日本のソフトパワーを示したかった」(産経ニュース

 しかし安倍晋三が示すべきはアベノミクスのパワーであるはずだ。そのパワーを国内に打ち立て、国外にその凄さを知らしめているなら、その余勢を駆ってどのようなパフォーマンスに興じようとも、アベノミクスのパワーの輝きがそのパフォーマンスをも輝かすことになるだろうが、いわば美人は何をやっても様になるのと同じだが、アベノミクスのパワーを一向に示すことができずに各方面からアベノミクス失敗の宣告を受けている。

 アベノミクスがサプライズとなっていない状況下でマリオノの扮装をサプライズとする。そして大いに受けてニンマリとする。

 何となく本末転倒の臭いがしないではない。大いに受けるべきはアベノミクスのパワーであるはずだが、そうはなっていないからだ。

 尤もアベノミクスのパワーを国内外に見せつけて、安倍晋三ここにありの自身の存在をアピールすることがができないせめてもの代償にリオ五輪閉会式場でマリオに扮することで「日本のキャラクターの力を借り、日本のソフトパワーを示し」て、自身の存在をアピールしたと見ることもできる。

 だが、自身の存在をアピールしなければならないのはアベノミクスの成果、そのパワーを以てしてでなければならないことに変わりはない。大いに受けるべきはマリオの扮装ではなく、アベノミクスの成果だということである。

 現実は逆を行っている。

 安倍晋三は4年後の東京五輪・パラリンピックや日本をPRする「ジャパンハウス」を訪問し、メダル総数が史上最多となった日本選手団と会って、その活躍を讃えたという。

 安倍晋三「多くの日本国民が勇気や夢や希望を与えてもらった。心から感謝したい」(時事ドットコム)     

 確かに安倍晋三が言う通りにリオオリンピック参加の日本選手から、「多くの日本国民が勇気や夢や希望を与えてもらった」。それは事実その通りである。その活躍は4年後の東京オリンピックに大いなる期待をかける原動力となっているはずだ。

 だが、多くの国民はアベノミクスから「勇気や夢や希望」を与えて貰えずにいる。与えられたのは一部の富裕層のみである。

 人は「勇気や夢や希望」を与えられると、それを明日を生きる、あるいは次を生きる精神的な糧とする。例えそれぞれが与える「勇気や夢や希望」によって自らに植え付ける精神的な糧は種類が異なっていても、その人を明るくし元気づけるという点では共通しているはずだ。

 安倍晋三自身が多くの国民にアベノミクスのパワーを以って「勇気や夢や希望」を与えることができていないのにリオオリンピックで活躍したアスリートたちに精神的糧となる種類は違っていても、「勇気や夢や希望」を与えたことを何の済まなさも恥ずかしさもなく感謝できる。

 尤も演じるべきパフォーマンスを既に違えていたのだから、気に留めることは何もなかったのかもしれない。

 大体がリオオリンピックの次は東京オリンピックだからと言って、安倍晋三がのこのこと閉会式場に姿を現す資格はない。

 ブラジルは移民国家である。人種間同士差別は存在するだろうし、社会的格差・貧困の問題も多く抱えているだろうが、ブラジルには多くの他民族を移民として受け入れてきた長い歴史がある。

 日本人の場合もブラジル政府が1892年(明治25年)に日本人移民の受け入れを表明、それ以来の移民だそうだから短くない歴史を抱えている。

 特にブラジルは異人種間の混血が進んでいて、アメリカとは異なる人種間の融合を果たしているという。

 人種に拘りが少ないからこその混血という選択であるはずだ。

 そしてリオオリンピックのテーマの一つは「多様性」だそうだ。「多様性」を掲げる意味は「互いの違いを認める」という寛容性への訴えであるはずだ。

 開会式なのか、閉会式なのか分からなかったが、女性歌手が「互いの違いを認め、みんな一つだ」とかといった歌を歌っていた。

 そこへ移民も難民も原則として認めず、民族の多様性を遠くに置いた単一民族主義的な安倍晋三がマリオの扮装で登場した。

 ブラジルの国会は同性婚を合法化していないが、ブラジル最高裁は認めていると「Wikipedia」が解説しているが、明治から続いている日本の歴史的な家族制度を尊び、そこから外れる選択的夫婦別姓や同性婚といったそれぞれの存在の「互いの違いを認める」ことから始まる多様性に拒絶的な安倍晋三が「互いの違いを認める」多様性をテーマとしたリオオリンピックの、例え閉会式であっても登場すること自体が独りよがりな一人夢舞台に過ぎず、既に場違いだったはずだ。

 勿論、アベノミクスのパワーでサプライズを演じることができずにマリオでサプライズを演出したこと自体も自己満足の夢舞台であり、場違いそののものと言うことができる。

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